中山雅史氏

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平成5年10月28日、カタール・ドーハで行われたW杯アジア最終予選は、悲願のW杯出場を目前とした日本代表が試合終了間際にイラク代表の同点ゴールを許し、その夢が潰えたサッカー史に残る出来事として語り継がれている。

25日、テレビ朝日「報道ステーション」では、「ドーハの悲劇」と呼ばれるこの一戦を振り返り、その裏側にあった関係者の想いを伝えた。

この試合では、撮影が許されるカメラの台数に制限があったことから民放5社が映像を共有。歓喜の瞬間を逃さぬよう話し合いが行われ、協力態勢のもと役割分担が決められていたという。日本テレビは三浦知良を、TBSはラモス瑠偉氏を、テレビ朝日は試合展開を、フジテレビはキャプテンの柱谷哲二氏を、テレビ東京はオフト監督をそれぞれのカメラで追った。

だが、イラク代表の同点ゴールが決まった直後、フジテレビのカメラはベンチに退いた中山雅史氏を捉えていた。中山氏が振り向きざまに倒れ込み、両手で顔を覆って嘆く姿は、この試合を象徴するシーンとなった。

本来、柱谷氏を撮影する予定だったフジテレビで当時の撮影を担当した生方剛氏は、「ここまできて、この試合で一番喜ぶ、一番良いシーンを絶対撮ってやろうってとっさに思った。それは誰かなと思ったら、やっぱり勝ち越しゴールを決めてベンチに下がってしまった中山選手」と切り出した。

さらに「僕が一番良いシーンを撮ろうと思って撮った映像が、象徴的な映像となって色んな局で使われる。でも、僕はそういう意味であの映像を撮ったわけではないし、本当は喜ぶシーンを撮りたかった」と続けた生方氏。中山氏には「会う機会があったら謝りたい」などと続けた。

このVTRを見たスタジオの中山氏は「謝りたいとか色々言って頂きましたけど、あれが自分の弱さを表してくれて、それを自分の中に溜め込んで次にっていう活力になりました」と話すと、「まだ(試合)時間はあるのに倒れ込んでしまった。なぜ味方を鼓舞できなかったのか。なぜその前に決めることができなかったのか。色んなことが巡りました」と説明した。

また、中山氏は「力がなかったから(W杯に)行けなかったんだけども、それでも自分達でなんとか引き寄せよう、掴もうとして頑張り抜いた。それでも手が届かなかったっていう悔しさが今でもあって行きたかった」と語気を強めると、この試合の映像は「ほとんど観てない。帰ってきて象徴的なシーンとして観てましたけど、その後はそれを脳裏に刻み込んでからは映像を観ないですね。全ての現役のプレーが終わったらゆっくり観ればいい」などと明かした。