1974年式マセラティクアトロポルテIIプロトタイプ(Photography:BOA Fotostudio)

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マセラティ・エンスージアストの間では、とうの昔に処分されてしまったと信じられていたクアトロポルテIIプロトタイプが発見された。

自動車メーカーを取り巻く環境が波乱万丈であればあるほど、コンセプトカーやプロトタイプがその生い立ちにおいて姿を消すことがある。姿を消す期間は様々あるが、ここに紹介するクアトロポルテIIプロトタイプは、廃車処分されたと信じられていたものだった。だが、車体番号AM123.002は、スペイン・バルセロナの倉庫の中にひっそりと隠れていた。

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4.2や4.7リッターV8エンジンを搭載したクアトロポルテIは、1963年から69年にかけて750台が販売された。これは当時のマセラティにとっては、決して悪い数字ではなかった。対するV6エンジンを搭載した後継車、クアトロポルテIIは1974年から4年間で売れた数は13台と致命的に少なかった。

当初、マセラティとは蜜月状態にあったシトロエンとの共同プロジェクトには、期待が高まっていた。しかし1973年10月、OPECが原油価格を4倍に引き上げるという、いわゆるオイルショックが流れを変えた。ヨーロッパ諸国ではガソリン消費量を削減すべくスピードリミットが引き下げられ、イタリアでは日曜日の自動車使用が原則、禁じられた。当然ながら、スポーツカーや大排気量エンジンを搭載した高級車の売り上げは著しく伸び悩んだ。

最も打撃を受けたのはシトロエンSMであっただろう。ご他聞に漏れず、SMの販売は急滑降。当時、シトロエンは、SMに搭載するV6エンジンを製造するためにマセラティを買収していた。当然ながら、SMの売れ行きが滞ると、マセラティ社の工場も開店休業状態に陥ってしまった。そこで起死回生策として、SMをベースとした新型クアトロポルテの開発に着手したのだった。2ドアのシトロエンが売れなくなったからといって、4ドアのマセラティなら売れると踏んだ経営判断は斬新過ぎる。

ベルトーネに在籍していた、マルチェロ・ガンディーニが時代に即した"控えめ"でエレガントなエクステリアデザインを手がけた。当時、マセラティ社のR&D部門に在籍していたジャンカルロ・マルティネッリが振り返った。「全長を延ばし、リアのトレッドは拡げていますが、中身はSMのままでした。それこそマセラティなのに前輪駆動でしたし」

シトロエンにとっては代名詞的といえるハイドロニューマチック・サスペンションもそのまま装着されているが、スフィア(窒素ガスを封入した球体)のセッティングは硬めに変更されていた。マセラティ開発陣を悩ませたのは、マセラティとしては非力なV6エンジンであった。テストの過程においては、3.2リッターまでボアアップされたエンジンも用意された。この頃、SMは燃料噴射装置を採用していたが、クアトロポルテIIではキャブレターを用いることになった。まずは50台を販売し、後によりパワフルなV8エンジンの投入をする計画が練られた。しかも、既存のV8エンジンを改良するのではなく、メラクのV6エンジンをベースに開発が進められた。完成した最高出力280bhpを誇る4リッターV8エンジンは、新エンジンの開発に反対していたマセラティ伝説のエンジニア、ジュリオ・アルフィエーリが乗っていたSMに搭載された。しかしながら、シトロエンとマセラティの資本関係の終焉とともに、このエンジンは陽の目にあたることなく消滅した。

1975年、シトロエンはプジョーに買収され、マセラティはアレッハンドロ・デ・トマゾの手に渡った。その後、間もなくシトロエンSMは生産を終了し、それがベースになるはずだったクアトロポルテIIの投入も白紙に戻さざるを得なくなった。ただ、デ・トマゾは転んでもただでは起きない経営者で、パーツがある分だけ完成させ、売却することを命じた。そして、ベルトーネから納入済みだった6台分のボディは廃棄処分されたという。

当時、ホモロゲーションを必要としていなかったサウジアラビア、カタール、スペインでクアトロポルテIIは販売された。具体的にはAM123.012、022、026、032はサウジアラビアに、018、034はカタールに、002、004、008、016、034はスペインに送られた。ちなみに008は長年、スペインの倉庫に眠っていたものが、フランスに渡ったことからその存在が明らかになった。これに伴いマセラティ・クラシケにおけるクアトロポルテIIの生産台数記録も従来の12台から13台へと訂正された。

クアトロポルテIIのデリバリーは1975年3月22日の004を皮切りに、実に3年もの月日をかけて合計13台が送り出されたことになる。なお、004のみがシトロエン譲りのデジタルメーターを備えているが、この004はイギリスにしばらく生息したことがあり、2009年に筆者は運転する機会に恵まれた。シトロエンSMよりも上質な空間で、快適で、視界も良好だった。驚かされたのはエンジンが奏でるサウンドで、なぜかSMよりも力強さを感じた。クアトロポルテIIは特筆すべき速さこそなかったが、必要充分だったと記憶している。幻となってしまった4リッターV8エンジンを搭載したSMのレプリカに乗ったこともあるが、あのエンジンだったらもっと気持ちの良い加速を味わえたであろう。クアトロポルテIIはマセラティらしからぬボディロールこそあったが、これこそシトロエンの油圧式サスペンションの特徴でもあるし、あの乗り味は一度、体験するとはまる。ちなみにこの004は、最近フランスへ嫁いだという。

今回取り上げる、AM123.002の発見によってクアトロポルテIIに新たなストーリー性が加わった。このクアトロポルテは初期のプロトタイプだったこともあり、いくつかの相違点が見受けられる。Cピラーにエアアウトレットが設けられていたり、ワンオフのステアリングホイールが装着されていたり、革新的なデジタルメーターが装備されていたことが挙げられる。ちなみにデジタルメーターを有していたのは002と004しかなかった。

002は各地のモーターショーでお披露目された後、1976年9月14日にスペインのある会社に売却されたことがわかっている。販売を手がけたのはBMWとマセラティの指定整備工場を兼ねていた「Auto Paris」というディーラーだった。法人車両として登録され、おそらく社長車として使われていたのだろう。1980年台後半、エンジンのトラブルに見舞われ、高級マンションの地下駐車場に置かれた。いつか修理しようと思っていたのか、会社の経営が芳しくなくなったのかは定かではない。しかし、それから30年の歳月が流れたことだけは事実だ。それから倉庫へ移動され、倉庫の持ち主が変わり、やがてクアトロポルテIIオーナーとは連絡がつかなくなった。また、かつてスペインに存在していた中古車の輸出を禁ずる法律が、クアトロポルテIIをスペインにとどまらせたのかもしれない。

スペインでは裁判所が「放置物」であることを認定しないかぎり、車両を移動したり売却したりすることができない。そして2017年、倉庫に眠るクアトロポルテIIをスペインのブローカーが見つけ出し裁判所の手続きを経て、ベルギーのマセラティ・コレクターの手に渡ることになった。ベルギーではミストラル・クラシックス(当該ショップオーナーのAM123.024をレストア経験あり)によってレストア作業が施される段取りが組まれていた。作業前に撮影したのが、今回の写真だ。保存状態は良好というわけではなかったが、雨風をしのいできただけに錆はほとんどなかった。

クアトロポルテIIのレストアは、さほど難しくない。なぜなら、すでに述べたように、中身はシトロエンSMだからである。002は初期のプロトタイプゆえにワンオフのパーツがふんだんに盛り込まれているが特段、無くなっているパーツは見受けられなかった。ベルギーにある002、024を除けば、走行可能な状態が保たれているクアトロポルテIIはフランスにある004と008、ドイツにある018だ。フランスにある020と032は現在走行不能だが、コンディションを見ながらどちらかを"ドナー"として活用することでレストアが計画されている。残りのクアトロポルテIIは現在、行方不明だ。

002のレストア完成のあかつきには、5台のクアトロポルテIIが集められ、パリからモデナまでのロングドライブが予定されている。不運としかいいようがない時代背景に開発が進められ、やがて白紙撤回されてしまったクアトロポルテII。もし"あの"V8エンジンを積んで販売できていたなら、名声を残していたに違いない。結局、知る人しか知らない存在となってしまったが、それでも愛を注いでくれるエンスージアストが少なからずいることがせめてもの救いといえよう。


1974年式マセラティクアトロポルテIIプロトタイプ


エンジン形式:エンジン:2965cc、90°V6、DOHC、
ツインチョーク・ウェバー44DCNFキャブレター×3基
最高出力:210bhp/6000rpm 最大トルク:188lb-ft/4000rpm
トランスミッション:5速MT 前輪駆動ステアリング:ラック&ピニオン
サスペンション(前/後):独立式、ハイドロニューマチック
ブレーキ:ディスク、パワーアシスト 車両重量:1600kg
最高速度:125mph 0-60mph加速:9.0秒