バルセロナがガチで行って振られた9名のスター、そしてその代役

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『Planet Football』は、「バルセロナが獲得に動いたものの、取引を成功させられなかった9名のスター選手」という記事を掲載した。

マルコ・アセンシオ

レアル・マドリーが彼をマジョルカから獲得したとき、その移籍金はわずか500万ユーロ程度であった。ただ、それは競争相手がいなかったからではない。

代理人のオラシオ・ガッギオリが明かしたところによれば、バルセロナはマルコ・アセンシオの獲得に熱心であったが、250万ユーロ+ボーナス200万ユーロを提示しただけだったという。

その後何が起こったかを我々は知っている。アセンシオはレアル・マドリーに移籍し、バルセロナはアルダ・トゥランを3000万ユーロ以上で獲得した。

デイヴィッド・ベッカム

アセンシオはバルセロナとレアル・マドリーを天秤にかけて後者を選んだ唯一の選手ではない。

デイヴィッド・ベッカムはかつてマンチェスター・ユナイテッドでプレーしていた時バルセロナへの移籍に近づいており、移籍金も合意に至っていた。それは『Newyork Times』が伝えている。

唯一の問題は、ベッカムがジョアン・ラポルタ会長の選挙で政治的な駒になることを嫌ったことだそうだ。

バルセロナは後に中盤を埋めるためにエドガー・ダーヴィッツをローンで獲得している。

ジャンルイージ・ブッフォン

2001年、彼は世界でも最も高額なゴールキーパーであった。そしてそれから長い時間が経ち、ユヴェントスでは前人未到の記録をいくつも作り上げていった。

ただ、パルマから彼を獲得したのはユヴェントスであったが、後にブッフォンはバルセロナからの真剣なオファーがあったことを認めている。ただ、父の勧めもあってイタリアに残ったという。

バルセロナはこの時期新しいキーパーを探していた。ペペ・レイナはまだ若かったため、彼らはアルゼンチン代表のロベルト・ボナノ、そしてトルコ代表のリュシュトゥ・レチベルを獲得した。結果がどうなったかは推して知るべし。

フアン・マタ

バルセロナは一時期「ラ・リーガの2強以外にいるベストプレーヤー」を狙っていた時期があった。そしてフアン・マタの獲得にかなり近づいていたという。

2011年にはマタがカンプ・ノウへの移籍を前向きに考えているという話があった。かつての同僚であるダビド・ビジャとリンクしていたと。

しかし最終的にはマタはチェルシーへと移籍し、プレミアリーグへ。バルセロナは代わりなのかどうかはともかくアレクシス・サンチェスを獲得している。

メスト・エジル

2010年のワールドカップでドイツ代表を優勝に導いたコンダクターのエジル。世界的に需要が高まり、バルセロナも彼を狙っていたチームの一つだった。

しかし結局エジルは2つのクラブの監督を比較し、レアル・マドリーを選んだ。『グアルディオラの態度が原因でバルセロナに行きたくなかった。モウリーニョのほうがより戦っていた』と自伝に書かれている。

バルセロナはエジルの代替案として考えていたイブラヒム・アフェライを獲得したが、その結果は…。

ポール・ポグバ

ユヴェントスを2015年のチャンピオンズリーグ決勝に導いたポグバ。それを見たバルセロナは8000万ユーロもの移籍金を提示したという。

残念ながらユヴェントスは彼を売る準備が出来ておらず、1年キープすることを決めた。マンチェスター・ユナイテッドからとんでもないオファーが来るまで。

ポグバは結局古巣ユナイテッドに戻り、バルセロナは中盤の強化のためにベンフィカからアンドレ・ゴメスを引き入れている。

アーロン・ラムジー

アンドレ・ゴメスとともに関心を抱いていたのがアーロン・ラムジーだと言われている。2016年の夏には6000万ポンドのオファーを準備し、合意に近づいていたという。

ただラムジーはその際にアーセナル残留を固執したため、交渉は破談に。結局今季フリーで退団し、ユヴェントスに移籍する事になったが…。

バルセロナはその際アンドレ・ゴメスに加えてビジャレアルからデニス・スアレスを買い戻している。そして今季彼をアーセナルに放出しているのだから、奇妙な縁である…。

クリスティアーノ・ロナウド

2003年、マンチェスター・ユナイテッドに移籍するためにスポルティング・リスボンを去ったクリスティアーノ・ロナウド。しかしその際、バルセロナも交渉に臨んでいたのだ。

『彼は当時スポルティング・リスボンにいた。そして我々はデコを売りに来た代理人(ジョルジュ・メンデス)と話をしていた」とジョアン・ラポルタ会長(当時)は思い返している。

バルセロナは結局取り逃してしまったが、幸いなのかどうなのか、すでにチームにはポルトガル人のウイングがいた。リカルド・クアレズマという。

ジネディーヌ・ジダン

あのジダンがバルセロナへ行っていたら、どんなキャリアを歩んでいただろうか。きっとレアル・マドリーを指揮してチャンピオンズリーグを3連覇することはなかっただろう。

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ヨハン・クライフ御大は1996年、ボルドーからジダンを獲得することで口頭合意を得ていたという。しかし、クライフ自身が監督から離れてしまったのでオシャカになった。

皮肉なことに、その夏に獲得されたのがルイス・エンリケだった。しかもレアル・マドリーから。不思議な縁である。