グランプリ界を12年前に去ったとはいえ、ケニー・ロバーツ氏は今もやはりレースのツボをよく心得ている。伝説の王者”キング”ケニーは、アルパインスターズが発表した限定モデルのブーツの宣伝活動で、第3戦の開催地サーキット・オブ・ジ・アメリカズを訪問していた。ライダーとして3度、チーム監督としては4回の世界タイトルを獲得した人物だけに、氏はパドックにも万全の目配りを利かせていた。


アメリカ合衆国のレースで圧倒的な強さを誇っていたマルケスだったが......

 土曜には、なかば奇跡的な息の長さで現役活動を続けるバレンティーノ・ロッシ(モンスターエナジー・ヤマハMotoGP)に対して、「もう安楽椅子でくつろいでもいい年齢じゃないのかい」と言い放ったが、それよりもさらに最大級の賛辞を向けた相手がマルク・マルケス(レプソル・ホンダ・チーム)だった。

 7回の世界チャンピオンを獲得したマルケスについて、ロバーツ氏がまず指摘したのは、彼のライディングは自分の現役時代を彷彿させる、ということだった。

「コーナーに思いきり突っ込んでクルリと回り、立ち上がっていく。あれこそ私が現役時代にやろうとしていたことなんだよ」と、グランプリ参戦初年度(1978年)にいきなりチャンピオンを獲得した改革者は説明した。「でもまあ、私はあそこまでうまくはできなかったけれどもね」

 優勝を逃したものの僅差のバトルを繰り広げた開幕戦カタールと、大差をつけて圧勝した第2戦アルゼンチンのレースにも、ロバーツ氏は言及した。「誰かがずっとへばりついて思いきりプレッシャーでもかけないかぎり、あれではミスのしようがないだろう。現状では、それもちょっと難しそうだね」

 では、いったいどうすればマルケスを止められるのだろう?

「自分で墓穴を掘る、くらいしか私には思いつかないね」

 その翌日の決勝レースで、マルケスがあまりにあっさりと転倒して戦列から離れた際に、まず脳裏に思い浮かんだのが、上記のロバーツ氏の言葉だった。なんといってもマルケスは、アメリカ合衆国のレースで13連勝(MotoGPクラスでは11連勝)を目前にしていたところなのだ。

 誰も彼に追いつけなかった。勝利を簡単に掌中に収めそうにも見えた。2週間前のアルゼンチンGPで9秒の大差をつけて勝ったときと同じように、圧倒的な距離を開いていた。ここは、今まで彼が走行した47セッションのうち39回でトップタイムを記録した、得意中の得意コースなのだ。

 マルケスはレース後に、「限界を超えていたわけじゃなかった」と、1周目から8周目までの走りを振り返ってそう述べた。「フロントタイヤを温存するために安定したペースでスムーズに走っていたんだ」

 おそらく、すべてがあまりに順調すぎたのだろう。それ以外には、珍しく集中力を切らせて転倒してしまったことの理由が見つからない。

 バックストレートエンドから低速旋回する9周目の12コーナー進入は「3メートル、ブレーキが遅かった」と説明した。旋回動作は「いつもよりバンク角が2°深く、ブレーキの効力も少し低かった」のだとか。そのためにフロントタイヤがわずかに限界を超え、マルケスは転倒に至る。そしてその結果、3.5秒後方にいたロッシにトップを譲ることになった。「僕のミスだね」とマルケスは潔く認めた。

 マルケスがノーポイントに終わり、ランキング首位に立ったアンドレア・ドヴィツィオーゾ(ミッション・ウィナウ・ドゥカティ)は、マルケスすらも「すべてをコントロールできるわけじゃないんだ」と指摘した。「彼はたいていの場合、うまくやるけど、いつもというわけではない。これは、チャンピオンシップにはいいことだね」

 マルケスは、過去にもトップを走行中に転倒したことがある。2014年のサンマリノGPや、2016年のオーストラリアGPがその好例だ。だが、これらはいずれも王座を確定させたあとか、ほぼ手中に収めた状況での出来事だ。

 今回については、けっして油断していたわけでもなく、また、無理をしていたわけですらない。たとえばマーベリック・ビニャーレス(モンスターエナジー・ヤマハMotoGP)は金曜のフリープラクティスではトップタイムだったが、土曜午前のフリープラクティス3回目が悪天候でキャンセルになったため、バイクのセットアップが十分ではなく、午後の予選では苦戦を強いられることになった。

 マルケスは土曜のセッション終了後に、コース上のバンプ(路面の凹凸)に対してRC213Vをしっかりと対処させきれるセットアップをまだ見つけられないため、サーキット・オブ・ジ・アメリカズを存分に愉しく走れていない、と話していた。

 このバンプのために、マルケスと同じホンダ勢のカル・クラッチロー(LCRホンダ・カストロール)はマルケスよりも3周早く11コーナーで転倒し、おそらく確実であっただろう表彰台を逃すことになった。レース後のクラッチローの話では、バイクの最適なバランスをまだ見いだせておらず、ギア抜けの問題も相変わらず抱えているようだった。

 この日のレース結果は、ホンダにとって不名誉なものだった。陣営4選手のうち、入賞したのは10位で6ポイントを獲得した中上貴晶(LCR Honda IDEMITSU)のみ。これは、1982年の第3戦・フランスGPで安全性の問題からフレディ・スペンサー、マルコ・ルッキネリ、片山敬済がレースをボイコットして全員がノーポイントに終わったとき以来の、ホンダ最高峰クラスワースト記録だ。

 とはいえ、この厳しいレース結果はある意味で予測できたことでもあった。もしも、アルゼンチンでクラッチローが犯したごくわずかなジャンプスタートがなければ、おそらくホンダ勢はランキング1位と2位でアメリカ入りしていただろう。

 それが現実にならなかったのは、HRC契約4選手のうち3名が4回のプレシーズンテストで負傷を抱えていたからだ。ホンダはまだ、ベースセットアップが煮詰まっていないのかもしれない。とはいえ、それはおそらく今後のテスト等の機会を利用して、確実に仕上げてくることは間違いないだろう。

 ここでひとつ指摘しておきたいのは、今回のコースはシーズン中でも最も肉体的に苛酷なレイアウトだが、そこでマルケスは勝利を掴みかけていた、ということだ。昨年12月に行なった大がかりな肩の手術からここまで体調を回復させたのは、まさに彼の肉体的精神的な強靱さと、つらく厳しいひたむきな努力があったからだ。

「普通なら、回復まで6カ月はかかるでしょう」と、クリニカモビレのミケーレ・ザザ医師から聞いたことがある。「3カ月ほどで、日常生活に支障のない程度なら復帰できるでしょう。とはいえ、それはあくまで時速300kmのマシンを操る必要のない一般人レベルの話ですからね」

 マルケスの迅速な回復もあって、シーズン序盤の注目はことさら彼の周囲に集まった。だが、今回の第3戦ではアレックス・リンス(チーム・スズキ・エクスター)が劇的なMotoGP初優勝を達成した。また、ロッシは2戦連続表彰台で高い安定感を発揮した。さらに、ランキング首位に立ったアンドレア・ドヴィツィオーゾは、例によって沈着冷静さを維持している。

 舞台を欧州に移す第4戦以降、レースの行方はますます混迷の一途を極めるだろう。マルケスがまたしても「墓穴を掘る」ようなことにでもなれば、彼ら3名が次々に襲いかかってくるだろうから。