「俺、裸の王様だったのか…?」妻を完全に見下していたエリート男。夫の鼻をへし折った痛烈な一言とは
美男美女カップル、ハイスペ夫、港区のタワマン。
上には上がいるものの、周囲が羨むものを手に入れ、仕事も結婚生活も絶好調だったあずさ・30歳。
まさに順風満帆な人生を謳歌するあずさは、この幸せが永遠に続くものと信じていた。
…ところが、夫の非常事態で人生は一変、窮地に立たされる。
幸せな夫婦に、ある日突然訪れた危機。
それは決して、他人事ではないのかもしれない。もしもあなただったら、このピンチをどう乗り越える…?
「ご気分はいかがですか」
雄太は、2週間ぶりにメンタルクリニックを受診していた。
眠れるようになったこと、食欲が戻ったことや気分にムラがなくなってきたことを報告すると、仏のような顔をしたオバちゃん医師が優しく微笑んだ。
「お薬は続けて、このまま様子をみていきましょうね。他に困っていることや相談などありますか」
−転職について聞いてみようかな。
いまだに、なぜあずさに転職を否定されたのか理解出来ずにいた。正直なところ、受け入れてもらえなかったことへの苛立ちが、しこりのように残っている。
環境を変えることで心機一転やりなおすことも出来るだろう。それに、無気力気味だった自分が前向きになっているのだ。応援するのが普通ではないか。
さすがのあずさも、医師のお墨付きがあれば納得するかもしれない。
医師だって、こんなにも前向きだということが分かれば、喜んで勧めてくれるに違いないと、雄太は自信たっぷりに話した。
「実は、会社を辞めて、転職しようと思っています」
すると、先ほどまで穏やかだった医師の顔がみるみるうちに曇っていった。
「…和田さん。焦ってはいけませんよ。ゆっくり考えていきましょう」
言葉は丁寧だが、その目は完全に拒否を示している。
−え…?俺、間違っていたのか…?
予想外の回答に頭の中が真っ白になり、言葉を失った。
あずさの父と会うことになった雄太。その行方は…?
義父との対決
土曜日。雄太は二子玉川を訪れていた。あずさの父親と、ここで会う約束をしているのだ。
先日「娘を返すつもりはない」と告げられた後、すぐに電話をかけ直した。どうにか一度話を聞いてほしいと懇願し、土曜日の昼ならと約束を取り付けることが出来たのである。
義父からの電話は、「妻はそのうち帰ってくるだろう」と甘く見ていた雄太の目を覚ます、強烈な一撃だったといえる。
電話越しでも分かるほどに、あずさの父親は怒っていた。だから今すぐ会って謝罪をしなければ、取り返しのつかないことになると思った。
−ふぅ。疲れるな…。
やっとの思いで到着した二子玉川駅の人混みに、めまいを起こしそうになる。
最近は、田町の自宅と近所の図書館、そしてメンタルクリニックという半径1km圏内で生活しているため、電車に乗ったのも久しぶりだ。
それに一日中ジャージで過ごしているからか、ジャケットにパンツという服装が窮屈に感じてしまう。
待ち合わせの『代官山ASO チェレステ 二子玉川店』の入り口で、雄太は大きく深呼吸をした。
到着してから5分もしないうちに、ロマンスグレーの髪をきっちりと整え、上質なコートに身を包んだ、あずさの父親が現れた。64歳とは思えないほど若々しく、紳士的な雰囲気を持つ男性だ。
「ご無沙汰しております…」
顔色を伺いながら頭を下げると、義父は「あ、どうも」と一瞥くれただけで、ずんずんと店の中に入っていく。
雄太は慌てて、その後を小走りで追いかけた。
−やっぱり、怒っているんだな。
義父が放つ冷たい空気に、何とも言えない不安を覚える。もともと威圧的な人ではあるが、今日は一段とプレッシャーを感じるのだ。
案内された席に座ると、義父は一言「今日はコースを頼んであるから」と言っただけで、目を合わせようとはしない。
重苦しい空気の中、ドリンクの注文を終えると、雄太は意を決して切り出すことにした。
「この度は、申し訳ありません…」
「体調はどうかね。あずさから大体のことは聞いているが」
「おかげさまで徐々に回復してきております」
義父は「そうか」と呟いた後、何か考え事をしている様子で、再び二人の間に沈黙が流れる。
緊張しているのか、やけに喉が乾く。雄太は水をゴクリと飲みこんだ。
「あずさが…今、どんな様子か知っているかね?」
今度は雄太の目をじっと見つめながら、義父はそう聞いてきた。
義父は雄太に痛烈な言葉を放ち、雄太はあることを決心する。
裸の王様
その厳しい眼差しに、思わず目を背けたくなるが、ここで逃げてはいけない。
「あずささんとは連絡を取っておらず…申し訳ありません」
正直に答えると、義父は表情を強ばらせながら、大きなため息をつき、指を何度も組み直している。怒りを押し殺しているのだということが、嫌という程伝わってくる。
「あずさは…つわりがひどくなってきているようだ」
そう告げた後、少し声のボリュームを上げて、義父は続けた。
「雄太さんも大変な状況だということは分かっている。しかし、敢えて言わせてもらうが、家庭を守るという自覚が足りていないのではないか」
強い口調で責められ一瞬たじろいだものの、自覚が足りないと言われたことには憤りを感じた。
義父は、鬱になったことを責めているのだろうか。確かに雄太自身も、自分がこの状況に陥るまで、鬱というのは弱い人間がなるものだと思い込んでいた。突然会社を休み、一家の大黒柱としての役割を放棄するだなんて、無責任とさえも思っていた。
だけど自分が現在の立場におかれて初めて、今までの自分の考えを恥じた。きっと義父もかつての自分のように、鬱というものを少しも理解していないのだ。
でも少なくとも、これまであずさとの生活を支えてきたのは雄太だ。病気になったからといって、一方的に責められるのは納得出来ない。
「今はご迷惑をおかけしていますが、自分なりには精一杯やってきたつもりです」
感情が高ぶらないように丁重に返答するが、義父は「そういうことじゃない」と言いたげに目をそらす。
「転職を考えていると聞いたよ。それは一体どういうことなんだ…?」
前菜が運ばれ、ウエイターが去ったのを見計らったように、義父は尋ねた。
「それは…」
雄太は、すぐに返答することが出来なかった。
医師に否定されたこともあるが、実は数日前、転職エージェントに休職中であることを正直に伝えたところだった。すると「医師に確認しないと動けない」とキッパリ言われてしまったのだ。
自分以外の周囲の人間全員にこうも否定されると、さすがの頑固な雄太も、自分の考えを改めた方が良いのかもれしないと心が揺らぎ始めていた。
黙って考えていると、義父が食事の手を止め、口を開いた。
「雄太さん、私が"自覚が足りない"と言ったのはね、君の状況のことを言っているんじゃない。君の考え方のことを言ってるんだよ。
自分一人で決めるのではなく、きちんと周囲の言葉に聞く耳を持って欲しいんだ。君は一人で生きているわけじゃないんだから」
声を震わせ、必死に感情を押し殺して話す義父の言葉に、雄太はハッとなった。
これまで、勉強でも仕事でも、自分で考え行動したことが全て良い結果につながっていたから、他人の意見なんか聞かなくても良いものだと思って受け入れてこなかった。
夫婦に関して言えば、正直、あずさを見下していたと思う。相談したところで、論理的で建設的な議論も出来ないから、するだけ無駄とすら思っていた。
しかし、自分は客観性を完全に失い、独りよがりになっていただけなんだとたった今気がついた。
知らぬ間に、自分は世間一般とズレていて、裸の王様になっていたのだ。
妻を持ち、これから子供の父親になろうとしているのに、確かにこれでは家族を持つ男として失格だった。
雄太が声を振り絞るように「申し訳ありません…」と頭を下げると、義父が「かつての私のようだよ」と、少しだけ口元を緩める。そして先ほどまでの厳しい態度とは打って変わって、穏やかな口調で続けた。
「父親が出て来て話すなんて、過保護だと思ったかもしれない。でもな、私には娘を守る義務がある。それは、嫁に出した後だとしても、だ。きっと君にも、この気持ちがいつかわかるはずだ」
−あずさと話そう。話さなければ。
雄太は、ある覚悟を決めた。
「この後、あずささんに会いに行っても良いでしょうか」
義父は大きく頷き、「私の車で行こう」と承諾してくれた。
雄太はこの時、最近の絶望的な日々から抜け出す、一条の光を見つけた気がした。
▶︎Next:4月23日公開予定
ついに、話し合いの場を持つことになった二人。あずさの反応は?