2011年12月12日に最高裁で死刑が確定した松永太。現在は、福岡拘置所に収監されている

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平成を振り返る ノンフィクションライター・小野一光「凶悪事件」の現場から 第2回

平成に起こった連続殺人事件でも特に猟奇的で残虐だった北九州監禁連続殺人事件。監禁されていた少女が脱走したことで事件が明るみに出たが、当時は、捜査員もまさか7人もの被害者がいるとは思わなかったという。この連載ではノンフィクションライター小野一光氏の当時の取材メモからいまだから公開できる話題、また時には「事件のその後」についても解説していく。第2回は、北九州監禁連続殺人事件で被害者になりかけた女性たちの告白をお届けする。

2011年12月12日に最高裁で死刑が確定した松永太。現在は、福岡拘置所に収監されている

遺体のない事件であることから、殺人での立件が危惧された”北九州監禁連続殺人事件”で、最終的に7人への殺人罪などを問えたのは、主犯の松永太(40=逮捕時、以下同)と一緒に逮捕された緒方純子(40)が、全面自供に方針転換したことが大きく影響している。

それまで完全黙秘を貫いていた彼女が、すべてを自供する気になったのは、逮捕から7カ月半が過ぎた2002年10月中旬のこと。当時の事情を知る司法関係者は言う。

「彼女がある日突然、勾留されている警察署に弁護人を呼び、『警察に本当のことを話すことにしたんです』と口にしたのです。それまで緒方は、弁護人に対しても事件の詳細を話そうとせず、弁護団は2人の犯行について全容を掴んでいませんでした。しかし、彼女がすべてを話したことで、やっとはっきりした。緒方は覚悟を決めていて、自分は死刑になってもいい、という様子だったそうです」

緒方が自供の決意を表明した時期は、同年10月12日に彼女の父である孝さん(仮名=当時61)への殺人容疑で再逮捕されて間もなくのことだ(逮捕は5度目で、殺人容疑では姪の花奈ちゃん〔仮名=当時10〕に対するものに続いて2度目)。この再逮捕の際に、彼女は「容疑事実については合っているか合っていないか言いません」と口にしていたが、動揺も見られたという。そのため、父の死について思うところがあったのではというのが、当時の見立てだった。司法関係者は続ける。

「すべてを話してからの緒方は、すっかり明るくなったと聞いています」

緒方の全面自供の影響について、福岡県警担当記者は私に語った。

「やっぱり緒方が全部喋ったのは大きかった。彼女の親族への殺人については、監禁されていた少女も、自分の父親が殺されたと証言してから1週間ほど後に、『じつは別にも殺されている』と話していたんです。かなり信憑性のある内容だったのですが、未成年者の証言なので、捜査員はそれで(公判を)もたせるのは厳しいだろうと考えていました」

緒方は自供を境に、松永との利害が対立することになり、これまでの弁護団は全員が辞任。新たに双方がそれぞれ後任弁護団を選任した。

それからは緒方の母(当時58)、緒方の甥(当時5)、監禁から逃走した少女の父・広田由紀夫さん(仮名=当時34)、緒方の妹(当時33)、妹の夫(当時38)という被害者順で、殺人容疑での再逮捕が繰り返された。福岡地検がすべての罪での起訴を終えたのは03年6月20日のことであり、緒方の自供から約8カ月、事件発覚からだと1年3カ月以上の時間が経過していた。

インターネットですぐに情報が拡散する現在であれば、裁判前の早い段階で週刊誌報道は沈静化するが、この頃はそうではなかった。『FRIDAY』でも、この事件については”新ネタ”があれば、継続して取材を続けていた。

そんな中、私が着目したのは、松永の”女”にまつわる話だった。

それこそ緒方の存在がそうであったように、松永は常に”女”を食い物にしてきた。

たとえば花奈ちゃんへの殺人容疑で再逮捕される前に、松永は元主婦の女性(被害当時36)に対する監禁致傷、さらに詐欺・強盗容疑で2度の再逮捕を繰り返されている。この女性の夫は広田由紀夫さんの親友だったのだが、松永が由紀夫さんに夫婦を紹介するよう強要し、親しくなったところで、彼女から夫に対する悩みを聞くなどして口説き落とし、離婚させていた。その女性は松永から多額のカネを引き出されたうえ、利用価値がなくなった時点で監禁、虐待を受けている。やがて脱出に成功したが、その際に腰椎骨折や肺挫傷の重傷を負い、さらに重度のPTSD(心的外傷後ストレス障害)を患っていた。

また、この主婦が離婚する約2年前には、同じく松永にそそのかされ、夫と離婚して家を出た女性(当時32)が、家族などからの送金約1千300万円を失った状態で、大分県の別府湾で水死している。ちなみに彼女が連れていた幼い娘は、その約半年前に福岡県北九州市で椅子から落ちて事故死していた。

私は、かつて布団販売業を営んでいた松永から虐待を受けていた、元部下の男性を取材したが、彼も次のような言葉を口にする。

「私は松永が口説き落とした女性と逢引きする際、いつも待ち合わせ場所まで車で送っていました。20歳くらいのフリーターや30代のスナックママ、あと看護師や学校の先生もいました。みんなチャーミングな感じの女性です。松永は付き合った女性に布団の信販契約をさせたり、借金させたりしてカネを引っ張っていました。逮捕後に警察の人がやってきて、松永に騙された若い女性が自殺していた話を聞き、胸が痛みました」

松永の被害に遭った女性についての情報は、各所に転がっていた。その一つ一つを実際に現場に足を運んで確認していく。

最初に接触できたのは、松永が布団販売業をやっていた際に出会った女性だった。取材時に33歳だった彼女は言う。

「私が松永に会ったのは19歳のとき。クラブで働いていたのですが、そこで席に呼ばれたんです。向こうもまだ27歳でしたが、地元の銀行の支店長とかと来ていたので、若いのにヤリ手やなあと思っていました。スーツにネクタイ姿で、悪い人には思えませんでした。ママからは『いいお客さんだから』と言われ、彼が来るたび席に呼ばれました」

店に4〜5カ月通った松永から、もうすぐ誕生日だからとデートに誘われたという。

「食事に行って、ドライブして。それから付き合いが始まりましたが、まる1カ月連絡が取れなかったり、急に連絡があって『会いたい』と言われたり。まわりにはいつも”僕の彼女”と紹介してくれていました。私もちやほやされるのが嬉しかったんです。ただ、キスはしたけど、それ以上はありません。ちゃんとしてからって私が拒んでましたから……」

その後、彼女は松永から自分の会社の従業員である緒方が車で事故を起こし、200万円が必要になったと頼まれ、100数十万円を消費者金融で借りて用立てている。もちろん返済されることはなかったが、幸いなことにそれ以上の被害に遭うことは免れた。というのも、松永が詐欺案件で地元の暴力団員に追い込みをかけられ、逃走したからである。

こうした被害者探しのなかでは、北九州市で7人を殺害後に、松永と緒方が共謀して、新たなカネづるとなる女性を探すため、網を張っていたことも明らかになった。

「警察の人から突然連絡があり、『松永の部屋からあなたの顔写真と住所を書いた紙が出てきたが、どういう関係ですか』と尋ねられて驚きました。というのも、写真を撮られたことも住所を教えた憶えもなかったので……」

そう語るのは北九州市内のカラオケボックスで働いていた女性(取材時20)だ。この店には松永が東大卒の医師、緒方がその病院の看護師長として頻繁に来店していた。そこで松永は彼女に「僕はあなたのことが好きだから」と口にしては飲みに誘い、緒方は「先生はすごい人。付き合うとかはできんやろうけど、相手しちゃってね」と、後押しをしていたこともわかった。

逮捕によって凶行に終止符が打たれたが、そうでなければ、さらなる被害者が生まれていた可能性は十分にあったのである。

取材・文:小野一光

1966年生まれ。福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーライターに。アフガン内戦や東日本大震災、さまざまな事件現場で取材を行う。主な著書に『新装 家族喰い 尼崎連続変死事件の真相』(文春新書)、『全告白 後妻業の女: 「近畿連続青酸死事件」筧千佐子が語ったこと』(小学館)、『人殺しの論理 凶悪殺人犯へのインタビュー』 (幻冬舎新書)ほか