日本社会に広がる「被害者意識」とは、どのように生まれるのでしょうか(写真:Sunrising/PIXTA)

「追い出し部屋」に異動させられた百貨店勤務の女性社員。彼女が見た異様な光景とは? 会社のリストラ対策の被害者同士が互いに中傷し合うようになってしまった理由を、『一億総他責社会』 (イースト新書) の著者である精神科医の片田珠美氏が解説する。

現在の日本社会では、みな互いに「被害者意識」を募らせているように見える。例えば、私は企業で定期的にメンタルヘルスの相談に乗っているのだが、「自分だけが割を食っている」と被害者意識を抱いている人が多いことに驚く。

その最たるものが、役職定年制を導入している会社でポストオフになった元管理職である。一定の年齢に達すると、管理職から外れて平社員と同じ仕事をすることになるのだが、なかなか受け入れられないようだ。

中には、「30年以上も会社のために頑張ってきたのに、肩書も、権限もなくなり、おまけに給料も下がった。給与明細を見て、愕然とした」と、面談の際に、不満と怒りをあらわにする元管理職もいる。また、ポストオフを、「もうあなたには期待していません」という会社からの肩たたきと受け止めて、「しょせん頑張っても同じだ」と意気消沈する元管理職もいる。こういう場合はモチベーションを保つのが難しい。

愚痴るオジサン、陰口をたたく若手

しかも、困ったことに、ポストオフになった元管理職は、しばらく現場の仕事から離れていたので、慣れるまでに時間がかかる。また、手が遅いので、パソコンを使用した書類の作成などは、1日にこなせる量が、若手社員と比べると少ない。そのうえ、モチベーションも低いのだから、年下上司や若手社員の目には「働かないオジサン」のように映ることもある。

もっとも、そういうことを面と向かって元管理職に言うわけにはいかず、若手社員は「働かないオジサンのせいで、こっちの仕事が増えて大迷惑だ」と陰口をたたく。一方、元管理職のほうも「これまでは管理職でバリバリやっていたのに、こんな誰でもできるような仕事なんか、やってられるか」と愚痴をこぼす。

同様の関係は、家庭でも認められる。例えば、共働きの家庭では、「私も働いているのに、家事も育児もほとんど私がやっている。たまに夫が手伝ってくれても、お皿に汚れが残っていたり、洗濯物がしわくちゃになったりするので、結局私がやり直さないといけない」と愚痴をこぼす妻が多い。

一方、夫も「夜遅くまで働いてクタクタに疲れて帰っているのに、『全然手伝ってくれない』と愚痴を聞かされる。土日くらいはゆっくり休みたいのに、『私も働いているんだから、休みの日くらい手伝って』と頼まれる。手伝っても、『やり方が悪い』と文句を言われるので、腹が立つ」と不満を漏らす。

このように自分こそ被害者だと互いに思い込んでいるのが、日本の現状だ。被害者意識が強くなると、加害者とみなす相手に対して怒りを覚え、罰を与えたいと願うようになる。そのため、どうしても攻撃的になるのだが、問題は加害者があいまいな場合が少なくないことだ。

第三者に「怒りをぶつける」理由

例えば、定年退職者が低い年金受給額に怒りを募らせても、その矛先をどこに向ければいいのかわからない。現在の年金制度を築いた政府なのか、年金をたっぷりもらっているように見える上の世代の高齢者なのか、わからない。だからこそ、年金事務所の職員に怒りをぶつけるしかないのだろう。

もっとも、加害者が誰なのかがある程度明確でも、その加害者に罰を与えるのは難しい場合が多い。すると、どうなるか。実際に害を及ぼした加害者とはまったく関係のない第三者に対して、自分の受けた被害の憂さ晴らしをするかのように攻撃を加えることがある。

ある有名百貨店に勤務していた40代の女性社員は、職場でいじめを受けた。このいじめは、彼女が退職勧奨を拒否した頃から始まった。売上高が年々減りつつある百貨店業界は、まさに「斜陽産業」と呼ぶのがふさわしく、郊外や地方の店舗の閉鎖の発表も相次いでいる。

彼女の勤務先も例外ではなく、リストラが進められた。表向きは希望退職制度だが、実質的には肩たたきである。給料が高いベテランや能力不足の社員を中心に肩たたきが行われ、割増退職金を手に多くの社員が去っていった。しかし、この女性は独身で、生活に不安があったので、百貨店に残る道を選んだ。

すると、女性上司からの執拗な嫌がらせが始まった。この女性に郵便物が届くと、上司は丁寧に手渡したり机の上に置いたりするのではなく、投げて渡した。コピーを取りに行く際にすれ違うと、ぼそっと「邪魔」と言われた。それでも耐えていたら、しまいには彼女の後ろを通るたびに「死ねばいいのに」と暴言を浴びせられるようになった。

さすがに耐えかねて、「パワハラではないか」と相談室に相談し、調査委員会による聞き取りが行われた。だが、この女性がパワハラとして告発した上司の言動は、パワハラとは断定しがたいという結論が出た。まず、いずれの言動も上司が否定した。そのうえ、実際に郵便物を投げて渡したとしても、急いでいたからかもしれないし、「邪魔」「死ねばいいのに」などの暴言も独り言だったかもしれないというのが調査委員会の見解だった。

調査委員会の出した結論に落胆した女性は夜眠れなくなり、朝出勤しようとすると吐き気や動悸が出現するようになった。そのため、私の外来を受診し、「パニック障害」の診断書を提出して休職した。3カ月後に復職したが、例の上司にあいさつしても無視され、すれ違うたびにそっぽを向かれた。仕事もろくに与えられず、自分はもはや必要とされていないように感じたという。そのため、居づらくなって異動願を出し、認められた。 

ギスギスした雰囲気が漂う異動先

異動先は、うつ病やパニック障害などで休職していた社員ばかりを集めた部署だった。この女性と同様に、職場で強いストレスを感じて心身に不調をきたした社員ばかりで、いじめやパワハラの被害者もいたはずだ。

もしかしたら、百貨店が進めるリストラの影響で、職場全体にいじめやパワハラが起こりやすい雰囲気が漂っていたのかもしれず、ある意味では、この部署の社員はみなリストラ策の被害者ともいえる。そう考えれば、同じ境遇の社員同士いたわり合いながら働いても不思議ではない。

ところが、実態は真逆のようだ。この部署では、みな互いに攻撃し合う。それぞれが「自分は前の部署でひどい目に遭って心を病んだ被害者なのだから、それなりに配慮してもらって当然」という態度を示すので、仕事の分担をめぐってしばしば言い争いになる。

中には、自分が要求する配慮を受け入れてもらえないと、怒り出し、それ以降口をきかなくなる社員もいる。配慮してくれなかった相手を「冷たい」「思いやりがない」「そんなだから、職場不適応になる」などと誹謗中傷する社員もいて、つねにギスギスした雰囲気が漂っているという。

その背景には、この部署特有の事情もあると考えられる。心を病んで休職していた社員ばかりであり、復職したからといって100%能力を発揮できるわけではない。だから、仕事量の面で配慮してほしいと要求するのは当然かもしれない。もっとも、配慮を要求された側も、同じように心を病んで休職していた社員であり、自分に与えられた分以上の仕事をこなす余裕はないはずだ。

しかも、与えられる仕事のほとんどが肉体労働というのも大きいようだ。この部署に集められた社員の多くは、もともと事務仕事に従事していた。私の外来を受診した女性もそうだったので、この部署で重い段ボール箱やマネキンなどを運ぶように命じられたときは、「なぜこんな仕事をさせられるのか」と当惑したという。

何よりもこたえたのは、単純作業の繰り返しだった。この女性は、20年以上百貨店に勤務し、事務仕事を几帳面にこなしてきた。だから、事務仕事に関しては知識も技術もあるというプライドがあった。ところが、これまでやってきた仕事とはまったく関係のない肉体労働をやらされ、プライドがズタズタに傷ついた。そのうえ、毎日のように言い争いがあるので、疲れ果ててしまった。

追い打ちをかけるように、慣れない肉体労働のせいで腰痛にも悩まされるようになり、ほとほと嫌気がさしている。「事務仕事に戻してほしい」という希望を人事部に伝えたものの、「同じように希望して待っている人が多いので、いつになるかわからない」という答えが返ってきた。そのため、憂鬱な日々を送っており、最近はさすがに転職を考え始めたが、年齢的なこともあって現在の職場と同水準の収入を得られる仕事は見つかりそうにない。

この部署は「追い出し部屋」なのか?


もしかしたら、この部署はいわゆる「追い出し部屋」なのかもしれない。心の病で休職していた社員ばかりを集めて、「リハビリのため」という名目で肉体労働をさせるのは、それぞれの社員が嫌になって自分から辞めると言い出すのを待つ作戦なのではないか。この部署で社員が互いに攻撃し合うことも見越したうえで、その退職促進効果に期待しているのではないかとさえ疑いたくなる。

もちろん、この部署が「追い出し部屋」であることを百貨店側は決して認めないはずだ。おそらく、「心の病で休職していた社員の職場復帰ができるだけスムーズにいくように、一カ所に集めて精神的負担の少ない仕事をさせている」といった答えが返ってくるだろう。

もっとも、精神的負担が少ないどころか、実際には言い争いで疲れ果て、プライドも傷ついて、精神的に参っているのがこの部署の社員の現状である。