アストラゼネカとの提携を発表した中山譲治・第一三共会長CEO(右)と眞鍋淳・社長COO(撮影:尾形文繁)

国内製薬メーカー大手の第一三共が反転攻勢ののろしをあげた。3月29日、製薬大手のイギリス・アストラゼネカ(AZ)と抗がん剤で提携すると発表した。

提携の内容は、第一三共が開発中のがん治療薬「トラスツマブ・デルクステカン」(開発名DS−8201)に関して、AZとグローバルで共同開発と販売を進めるというもの。この提携によって、第一三共はAZから最大69億ドル(約7600億円)を受け取る。

提携で研究開発資金に厚み、開発加速へ

DS-8201の開発や販売が進み一定基準に達した段階ごとに、第一三共はAZから資金を受け取るが、注目すべきは契約一時金の13.5億ドル(1485億円)だ。2017年にアメリカのメルクと提携したエーザイの受け取る一時金が3億ドルだったのに比べると、金額が大きい。

詳細は不明だが、DS-8201の販売が終了するまでとされる独占販売期間は「2030年を超えても十分続く可能性がある」(齋寿明副社長兼CFO)という。つまり、14年程度は見込めるため、この年数で割ると年に100億円程度利益を上乗せする計算となる。

キャッシュフロー上の恩恵は利益以上に大きい。一時金は契約時に半分、その後1年以内に残りが第一三共の懐に入る。要は契約締結から1年内に約1500億円の現金が入るわけで、第一三共の2018年度の研究開発費(見込み額)が2360億円であることを考えれば、そのインパクトは計り知れない。

がん免疫チェックポイント阻害剤「オプジーボ」が、がん治療の新しい可能性を切り開き、がん市場は製薬の世界では最大の成長市場となっている。しかし現状、第一三共はこの分野での売り上げはほとんどなく、業界内でしんがりのポジションにある。

ところが、第一三共は2025年ビジョンとして「がんに強みを持つ先進的グローバル創薬企業」への変身を標榜し、競争がもっとも激しいがん分野に打って出ようとしている。一にも二にも、DS-8201を筆頭とする有望な分野に種を蒔き、育てていく。それもはるか先を行くライバルに追いつくようなスピードで行う必要がある。巨額の研究開発費を確保できなければ、それは実現できない。

第一三共の中期経営計画では、今後5年間に1.1兆円の研究開発費を投じ、がん分野に傾斜配分する。これで足りなければM&Aなどの事業開発投資枠5000億円を流用することも辞さないと、第一三共の首脳陣はことあるごとに繰り返してきた。

今回の提携では、DS−8201のグローバルの臨床試験(治験)などにかかる研究開発費を両社で折半する。一時金1500億円とは別に、2019年度以降から直ちに研究開発費の負担も軽くなる。台所に余裕があるとは言えない第一三共にとって、今回の大型提携はまさに「干天の慈雨」となる。

さて、そのDS−8201とはどういう薬なのだろうか。一言で言えば、抗体薬物複合体(ADC)と呼ばれるがん治療薬の一つで、抗体でがん細胞をしっかりと捕まえ、強力な作用を持つ低分子薬でがんをやっつける。正常細胞も傷つけ、副作用の大きい化学療法(低分子抗がん剤)とは違い、多くの人に効き、その効き目も高いといういいとこ取りの利点がある。

大型ブロックバスターに育つ可能性も

DS-8201はこのADCの中でも良好な治験データをたたき出してきた。それゆえ、アナリストなどの評価も高く、それが第一三共の株価にも反映されている。DS-8201のピーク時の年間売り上げは、4000億円とも5000億円とも予想されている。現在、乳がん、大腸がん、胃がん、肺がんの4がん腫で治験が進められており、製薬業界でいう大型ヒット商品、年間売上げ1000億円超の「ブロックバスター」に育つ可能性が極めて高いとみられている。
 
「今回の提携にまったくの意外感はなかった」とアナリストの一人は言うが、AZを最終パートナーにした決め手はずばり、DS-8201への評価の高さだろう。第一三共は自社単独開発と他社との提携の両面を比較検討し、複数の大手製薬会社と実際に交渉してきた。

AZは「細かいところまで配慮してくれた」と第一三共の中山譲治・会長兼最高経営責任者(CEO)は打ち明ける。その一例が、販売方式や売り上げ計上の仕方を3地域で分けることにAZが合意したこと。日本は、第一三共が単独販売し、売り上げも全額計上する。AZにはロイヤルティを支払う。日本以外は第一三共とAZが共同販促し、損益を折半する。

注目は、第一三共が営業力に絶対の強みを持つ本国の日本で第一三共の単独販売と売り上げ収益計上をAZが認めたことだ。これはいまだ製造販売の承認も得ていない開発薬ということを考えれば、第一三共には極めて有利な条件だ。アメリカのメルクとがん分野で提携したエーザイは、自社の抗がん剤「レンビマ」の日本国内販売は、エーザイ単独とならずメルクとの共同販促(ただし売り上げは全額エーザイが計上)という内容になっている。

実は第一三共はAZと浅からぬ縁がある。AZの消化性潰瘍治療剤「ネキシウム」の国内販売は第一三共が2010年以降、担ってきた。一時、AZが苦境の第一三共に対し、買収を提案したという報道も出た。提携発表会見では「契約内容に買収をしない条項が入っているか」という質問も飛び出したが、第一三共はノーコメントを貫いている。

さらに、第一三共のがん研究開発部隊を2016年から率いるアントワン・イヴェル氏の存在がある。イヴェル氏は入社前にAZのがん領域の開発トップを務めていた。しかし、実は今年1月からAZのがん研究開発部門のトップについたホセ・バーゼルガ氏がキーマンで、第一三共の中山会長は「彼が今回の提携のサポーターになってくれた」と打ち明ける。

69億ドルを投じるアストラゼネカの賭け

AZにとっても、第一三共との提携は69億ドルを投じる大きな賭けだ。AZのがん分野の売り上げは60億ドルで売り上げの3割を占める。乳がん治療薬「リンパーザ」、肺がんに効く「タグリッソ」など有望な薬を揃えているが、がん免疫チェックポイント阻害剤での盟主メルクやアメリカのブリストルマイヤーズ・スクイブ、スイスのロシュに比べれば、競争劣位にあることは否めない。それゆえにAZは今回の提携と同時に35億ドルの増資を実施し、今回の提携にも投じる。

AZ以上に提携メリットが大きいのが、第一三共だ。まず、AZが持つがん分野の開発力、中国・ブラジルなど新興国での強い開発・販売力などを生かせる。中国など新興国に強いとはいえない第一三共にとって大きなプラスだ。そして、AZとの提携で研究開発資金のポケットが膨らみ、「DS-8201一本足打法」(中山会長)から脱却できる道が開けた。今回の提携で他のADSなどの有力な候補にも資金を回す余裕ができる。実は今回の提携ではここでのメリットが一番大きいのかもしれない。

第一三共にとって「失われた10年」は痛かった。2005年に前身の三共と第一製薬の経営統合(その後に合併)で生まれた第一三共の初代社長の庄田隆氏は、当時としては最大規模である約5000億円を投じ、2008年にインド後発薬最大手のランバクシー・ラボラトリーズを買収した。

ランバクシーの持つ後発薬のノウハウ・販売網を活用して成長する新興国市場で先手を取りつつ、第一三共が足場を持つ日米欧の先進国でもポジションを上げる「複眼経営」をぶち上げた。しかし、買収相手が悪かった。アメリカ食品医薬品局から是正要求を受けたインド工場の品質管理体制の問題を解決できず、最後は巨額の損失を出してランバクシー株を売却し撤退に追いこまれた。


その爪痕は第一三共の長期業績低迷にくっきりと表れている。2018年3月期の営業利益は762億円。同じく長期低迷した武田薬品工業でも2417億円、アステラス製薬が2132億円であることに比べ、その差は大きい。第一三共が「国内売り上げ首位」とうたうほど、第一三共の海外事業の弱さと海外戦略の遅れが目立つ。武田、アステラスと並ぶ「国内製薬3強」と言えば聞こえはいいが、現状は第一三共の「独り負け」が実態だ。

業績と逆に、第一三共の株価は高騰中

一方、株価は逆方向に動いている。この1年の大手3社の株価は、第一三共の株価が大きく上げている一方で武田薬品工業、アステラス製薬は相対的には冴えない。今回の大型提携を受け、第一三共の株価は高騰している。


武田はシャイアー買収でメガファーマのリーグ入りを目指し、海外ではアメリカのブリストルマイヤーズが8兆円で同セルジーンの巨大買収に打って出た。スイスのロシュはアメリカのスパーク・セラピュティクスを約4700億円超で、アメリカのイーライリリーも9000億円近い金でロキソ・オンコロジーを買収するなど、今年に入って大型買収が相次いでいる。

第一三共は中期経営計画で2025年までに7つの製品を発売し、がん分野の売り上げ目標を5000億円としている。2022年度に実現すると修正した売上高1.1兆円、営業利益1650億円の目標は、今回の提携で再度、根底から見直す必要がある。首脳陣は「目標数値の上乗せもある」ことを示唆している。

「非常にインパクトのある契約で、5年先以降の成長にも弾みをつけるものだ」。中山会長はAZとの大型提携に自信を深めている。今回の提携は確かに第一三共の「長い冬」の終わりを告げる朗報ではある。ただし、これだけで第一三共の一人負けを覆すだけのインパクトがあるのか疑問だ。今回の大型提携でできた多少の余裕を生かし、さらに大胆な手を打てるのか。それは、中山会長からバトンを託された次期CEOの眞鍋淳・社長兼COOの手腕にかかっている。