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わが国初の心理専門家の国家資格

ほとんどニュースになることもなかったが、昨年9月9日、第1回の公認心理師国家試験が実施され、11月30日に合格発表が行われた。それに基づいて、今年から正式な国家資格としての「公認心理師」が誕生した。

公認心理師とは、わが国ではじめて、心理の専門家に対して与えられた国家資格である。第1回試験の受験者数は35,020人で、合格者27,876人だったというから、合格率約80%の「広き門」だった。

精神保健福祉士や社会福祉士など、近接領域の第1回国家試験の受験者数が数千人から千人程度だったことから見ると、その数の多さは抜きんでている。

心理の専門家と言えば、どのような人々のことが思い起こされるだろうか。

身近なところでは、学校にはスクールカウンセラーがいて、いじめや学校不適応の問題などに対して、子どもたちや保護者の相談、知能検査や心理検査の実施、指導に行き詰まった教師に対するコンサルテーションなどを行っている。

企業では、産業医のほか、カウンセラーを配置するところも増えている。それは、メンタルヘルスの不調で休職したり、退職したりする人が急増しているからだ。

もちろん、病院にもカウンセリングや心理検査を担当する心理職が配置されているところが多い。

私自身は、これまで刑務所や少年鑑別所など、司法場面で仕事をしてきた。たとえば、刑務所では、受刑者の心理検査や再犯防止のための治療的処遇などに携わってきた。

ほかにも、児童相談所、福祉事務所、家庭裁判所、警察など、多種多様な分野で心理の専門家が活躍している。

それらをまとめて、主要5領域と呼ばれており、すなわち保健医療、教育、福祉、産業、司法である。

こうした場面で働く心の問題を扱う専門職として、このたび公認心理師という資格が誕生することになったわけである。

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従来の心理職

公認心理師資格ができるまでは、「臨床心理士」という資格があった。これは国家資格ではなく、民間資格である。とはいえ、大学院修士課程を修了し、所定の実習を経ないと受験資格が得られないうえ、合格率も60%程度であり、相当ハードルが高い。

しかし、民間資格であるので、心理の仕事をするためには、必ず臨床心理士資格を有していなければならないというわけではない。そのため、カウンセリングという仕事は、言ってみれば誰でもできる。

したがって、現状ではさしたる教育や訓練をうけていないにもかかわらず、「心理カウンセラー」を名乗る人々が乱立している状況である。

この状況は本当に憂慮すべきものである。以前、「似非カウンセラーの問題」を取り上げたが、カウンセリングと称して、不当に個人情報を取得したり、果てはわいせつ行為に及んだりする者すらいる(女子中学生を「買春」子どもを食い物にするカウンセラーが増殖中)。

わずか1日やそこらの講習を受けて、「心理カウンセラー」を名乗り、あたかも専門家のような顔をして「カウンセリング」を行っている者のなんと多いことか。

ちょっとネットを検索しただけでも、多くのいい加減な「講座」がぞろぞろと出てくるし、わけのわからない「カウンセリング・ルーム」「心理相談室」などもたくさんある。

悩みを抱えていたり、あるいは心理的な問題や障害をもっていたりする人たちに対して、素人のような人々が「カウンセリング」をした場合、良くなるどころか、むしろ悪くなってしまうことを示すエビデンスはいくらでもある。しかも、安くはない料金を取るのである。

現状では、このようなことが野放しになっているわけだから、今回のような国家資格ができるのは、とても意義のあることである。むしろ遅かったくらいだ。

ただ、国家資格ができたからといって、手放しで喜べない面もたくさんある。

公認心理師法が成立するまで

心理の専門家の国家資格化は、心理臨床の現場で働く者たちにとって、長い間の悲願だった。何度も法案をまとめる動きが起こっては、そのたびに頓挫してきた。特に強硬な反対姿勢を見せたのは、医師会や精神科医の団体であった。

当初は、臨床心理士同様、大学院修了を条件にして、医師の指示を受けない専門職としての国家資格化を目指していた。しかし、それが競合を懸念する医師団体の強い反発を招き、長い間の混迷の時代を経ることになったのである。

結局、大学卒での受験資格となり、法律には「主治の医師があるときは、その指示を受けなければならない」(第42条2項)という規定が盛り込まれた。こうして、「公認心理師法」は2015年9月に成立し、2017年に施行された。

一方、所管官庁の文科省と厚労省は、2018年1月に「医師の指示に関する運用基準について」という文書を発出し、「公認心理師の専門性や自立性を損なうことのないように」ということで一定の「歯止め」をかけた。

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第1回の国家試験をめぐって

さて、この公認心理師試験、本来は大学で公認心理師のカリキュラムを終えた者が受けるのであるが、まだほとんどの大学では公認心理師カリキュラムは走っていない。

今年4月からという大学がほとんどだろう。つまり、正式のカリキュラムを経て受験する人々が出るのは、5年後のことになる。

それでは、今回国家試験を受験したのは、どのような人々なのだろうか。

まず、臨床心理士有資格者が一番多いと思われる。最近大学院を修了して臨床心理士となった若い人たちは、彼らが学んだカリキュラムを公認心理師カリキュラムとの「対応表」などで読み替えて、受験資格を得ることができる。

また、私のように、何年も前に大学院を修了して臨床心理士資格を有している場合は、昔のカリキュラムが公認心理師カリキュラムに対応しない部分が多い。

その場合は5年を限度に「移行措置」が適用される。それは、「5年以上の臨床経験」があり、所定の講習(現任者講習)を受ければ受験できるというものである。

とはいえ、それが大混乱であった。

まず大変だったのは、講習への応募である。応募が始まるや、予想を上回る数の人々が応募したのである。全国の講習会場一覧が示され、第7希望までを記載して応募することが求められたが、私などは全部落選してしまった。

こうした落選組の救済として、追加で講習が実施された。それは、とにかく人数を詰め込もうという方式で、東京ビックサイトなど全国の大規模会場を使って、数百人もの人々を一室に詰め込み、朝から夕方まで連日4日間などという苛酷な研修となった。私は受講者であるとともに講師までやらされたので、本当にクタクタになってしまった。

そもそも現任者とは

しかも、その研修を受けた後、肝心の試験の受験資格があるかないかでも、大きくもめにもめた。受験には、講習の修了証明書とともに、心理臨床の実務経験が5年以上あることを証明する書類を送付する必要があった。

私のように公的機関や大学の心理相談室、あるいは医療機関などで勤務している者は、比較的簡単に「現任者」であることが認められたが、問題は心理相談室やカウンセリング・ルームなどを開業している人たちや、そこで勤務している人たちだった。

伊藤絵美さんは、わが国における認知行動療法の第一人者で、数多くの論文や書籍があり、多くの心理専門家の養成や研修にもリーダーシップを発揮している。おそらく、日本の心理専門家で彼女の名前を知らない人はいないだろう。もちろん、臨床心理士資格も有している。

その伊藤さんが、「受験資格なし」ということで、受験票がもらえなかったのだ。伊藤さんは、「洗足ストレスコーピング・サポートオフィス」という心理相談室を経営しているが、提出した登記簿に「心理カウセンリング」を業務としている旨明記していたにもかからず、「経営」との文言があったことから、心理実務とは違うと解釈されたというのが理由らしい。

受験資格を審査したのは、国から試験の運営を委託された「日本心理研修センター」であったが、単に文字面だけを見て、本人の活動実績のような内容は一顧だにせず、「受験資格なし」としてはねつけたのである。本当にあきれ返って開いた口がふさがらないとはこのことだ。

もちろん、何万人も応募者がいるなかで、その要件の審査をするのは、大変骨の折れる作業であることは想像できる。

しかし、臨床心理士が現に3万人いて、それに加えて多数の医師、看護師、社会福祉士、精神保健福祉士、公務員、そして民間カウンセラーなどが応募してくることは、わかっていたはずだ。

講習の件といい、人手が足りないからということは理由にならないし、重要な国家試験の受験資格審査が、こんな杜撰なものでいいはずがない。

伊藤さんは厚労省と粘り強く交渉し、なんと試験の3日前(!)というギリギリの段階で、受験票が送られてきたという。その間、受験できるかどうか宙ぶらりんのまま、受験勉強を続けるということは、さぞかし複雑で不安な毎日だったことだろう。

しかも、同様の理由で受験資格を却下された人々はほかにもたくさんおり、求められた追加書類を提出したにもかかわらず、受験できなかった人もいた。このように明暗が分かれたことについて、センターからは何の説明もないという。

一番の問題は何か

このように、ドタバタのなかで実施された第1回の公認心理師試験であるが、私が考える一番の問題はほかにある。それは、肝心の大学のカリキュラムについてである。

カリキュラムを見ると、本当に古色蒼然というか、古臭いだけでなく、エビデンスのない技法や理論がずらりとならんでいる。これは、「業界」の重鎮たちの声が大きかったからだろう。

心理臨床の世界は日進月歩で、かつて主流とされていたフロイトやユング、さらには最近人気のアドラーのような精神分析学には、エビデンスがないことが、数々の研究の積み重ねで明らかになっている。アメリカの大学のカリキュラムでは、彼らは「心理学史」のなかにしか登場しない。

さらに、精神分析学を理論的基盤とする描画法やロールシャッハテストなど、「投影法」と呼ばれる心理検査もエビデンスを欠いており、正確な検査にはならないというのが世界の常識である。ロールシャッハテストとは、インクの染みをみて性格や精神障害を診断するというもので、実際に受けたことがある人も多いだろう。

ロールシャッハテスト 〔PHOTO〕iStock

エビデンスがないと言われても、長年の間、それを学び、臨床場面で活用してきた人たちは、それを手放すことに激しく抵抗する。そして、「エビデンスだけが大事じゃない」「悪口を言うな」などと感情的に「逆切れ」する。

古い人は仕方ないとしても(本当は仕方なくはないが)、今後もこのような時代遅れのカリキュラムで学んだ人たちが、公認心理師として社会に出ていくわけである。

時代遅れだけならまだよいが、治療においても、検査においても、エビデンスがないものを振りかざして、悩める現代人の「こころ」の問題に対処できるのだろうか。それは自己満足以外の何物でもない。

実際、今回の試験問題にも、カビの生えたような理論や技法の問題が数多く出題されていた。私などは、これらの問題に不正解であった者こそを合格とすべきではないかと思ったくらいである。

このような問題点を改めるためにも、広く公認心理師の存在と仕事を世の中の方々に認知していただき、監視していただきたいと切に願う。

なぜなら、われわれ公認心理師の仕事は、われわれの自己満足のためにあるのではなく、人々の心と社会の健康や幸福のためにあるのだから。