東京・千鳥ヶ淵の桜(2018年撮影)

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文化としての桜、植物としてのサクラ

昨春、「中国人も韓国人も、日本の桜が気になってしかたない理由」という記事を書きました。

幸い多くの読者に読んでもらえたようで、コメントも沢山いただきました。ただ残念だったのが、「日本の素晴らしい桜の文化を中国や韓国からの観光客が分かるわけがない」……というような、一歩間違えれば、お隣の国々に対する差別とも受け取れかねないコメントが少なくなかったこと。

筆者も、そうした意見の前半部分には賛同します。桜を身近な存在に育てあげたのも、世界に誇る文化として磨き上げたのも、紛れもなく日本と日本人です。

しかし、筆者が伝えたかったのは、そこじゃないのです。桜も(当たり前のことなのだけれど)「もとは野生の植物である」ということ。「桜の文化」を語る前に、「桜の文化は日本独自だけれど、野生植物としてのサクラは、アジアの共有自然財産である」という事実を、まずは知っていただきたかったのです。

ソメイヨシノ「起源論争」のその後

「桜の起源」にまつわる論争について、改めて整理しておきましょう。筆者の見解は、まとめると下記になります。

(1)野生生物としてのサクラは、日本にも中国にも韓国にも在来分布している、よって、そのような次元からいえば、東アジアのどの国も「桜の発祥の地」であると主張する権利を有している。

(2)「桜を愛でる」習慣が広く大衆に行き渡っているのは、日本独自の文化と言ってよい。

(3)日本で作成された品種ソメイヨシノが、現在の「桜を愛でる」文化の中心になっている。

日本と韓国の間では、長らく「ソメイヨシノの起源」が争点となってきました。韓国では「ソメイヨシノは済州島の野生の桜である」とか「韓国で親しまれている王桜(ワンボンナム)がソメイヨシノの起源である」と主張する向きが、少なくありませんでした。

しかし、この問題はすでに決着がついています。ソメイヨシノが、日本の伊豆諸島周辺地域の野生集団(オオシマザクラ)と本州の集団(エドヒガン)の交配により作出された品種であることは、DNA解析によって証明されています。

また昨年9月には、韓国でも「ソメイヨシノと王桜は別の植物である」との見解が報じられ、徐々に受け入れられつつあるようです。

〈韓国・中央日報は、『済州か日本か...ソメイヨシノ起源めぐる110年論争に終止符』と見出しを取り、韓国の研究チームが行ったゲノム分析の結果を報じた。韓国では、同国の済州島に自生する「王桜(ワンボンナム)」がソメイヨシノの起源であるとする説が広く信じられているが、今回の分析により「済州の王桜と日本のソメイヨシノは明確に異なる別の植物であることが分かった」という。その結果は、世界的な学術誌『ゲノムバイオロジー』9月号に掲載された〉(ニューズウィーク日本版、2018年9月19日「ソメイヨシノ韓国起源説に終止符? 日本文化の起源巡る韓国世論に変化の兆しか」より)

しかし、なぜ「ソメイヨシノ」と「王桜」をめぐる論争はこれほどまでに長引いたのでしょうか。また確かに、これら2つの植物の見た目は似ていますが、それはなぜなのでしょうか。

それを知るためには「桜/サクラ」という、2つの異なる次元から理解する必要があります。

東京・千鳥ヶ淵の桜(2018年撮影)

東アジアに広がる野生のサクラ

ひとつは、通常話題にのぼる、人間社会の生活圏における「桜」。ソメイヨシノはエドヒガンとオオシマザクラという2つの野生種を人為的に交配した品種ですし、カンザクラ、シダレザクラ、ヤエザクラなども、生物学的な分類という意味での「種」ではなく、人為的に作出した「同じような外観の品種の総称(俗称)」です。

一般的に「桜」と呼ばれて親しまれている対象は、こうした人為的に作られた「品種」群です(便宜上、漢字の「桜」と表しておきます)。その数はいまなお増え続けていて、一説には現在、日本だけで1000種近くの桜があると言われています。

そしてもうひとつは、野生生物としての「サクラ」です。

「サクラ属」が示す範囲は研究者によって異なります。狭義で捉える場合はいわゆる「サクラ」類のみが含まれますが、広義で捉える場合は、ほかにもいろんな馴染の植物を含み、それぞれが「亜属」に置かれます。

代表的なグループには、スモモ亜属(スモモやプラム)、アンズ亜属(ウメやアンズ)、アーモンド亜属(モモやアーモンド)などがあり、メジャーな果物やナッツが属します(日本にはどれも野生しません)。

サクラ亜属の中でも、ヨーロッパや中国においては、日本には野生しないセイヨウミザクラやカラミザクラなどの果実(すなわちサクランボ)を食べるために栽培されている種が主流です。例えば中国の都市のスーパーに行くと、多種多様の「サクランボ」が山盛りに並べられていますし、奥地の少数民族の村でも、道端の露店のいたるところで、様々な種類の「地元のサクランボ」が売られているのに出会います。

そのような意味で、サクラ属の各種をまず第一に「食用」と見做す諸外国とは違って、サクラの「花」に重きを置く日本の文化は、独特と言えるのかもしれません。

一方、日本に分布する野生のサクラには、ヤマザクラ、エドヒガン(ソメイヨシノの片方の親)、マメザクラ、チシマザクラ、チョウジザクラ、カンヒザクラ(日本には石垣島のみに自生するとされる)などがあります。

便宜上、こうした分類からみたものをカタカナで「サクラ」と表すことにしましょう。これらは生物として互いに近縁で、そのため交配ができ、新たな品種を作ることができるのです。

野生のサクラは、日本だけでなく朝鮮半島、ロシア沿海州、中国大陸、ヒマラヤ地方、インドシナ半島北部、台湾など、いわゆる「東アジア」に広く在来分布し、日本産はざっと10種前後ですが、さらに統合したり細分したりする見解もあります。

中国で自生していた野生ザクラの一種

特にヤマザクラは、ヤマザクラ、カスミザクラ、オオヤマザクラ、オオシマザクラ(ソメイヨシノのもう片方の親)の4つに分け、それぞれを独立の種として扱うことが一般的です。

このうち、前述したように、オオシマザクラとエドヒガンの交配品種の一つが「ソメイヨシノ」であることが確定済みです。しかしポイントは、ヤマザクラ4種のうちオオシマザクラ以外の3種とエドヒガンも、同様に交配可能と考えられることです。

つまり、「ソメイヨシノ」に似た別の桜が(天然にか、人為的にかは問わず)存在していても不思議ではないのです。ソメイヨシノと「似て非なる桜」である韓国済州島の「王桜」は、そのような桜のうちのひとつである可能性もあります。

ちなみに自然界では、同所的にあるいは隣接して分布する近縁種同士は、遺伝的にごく近い組み合わせであっても、何らかの忌避機能のような働きが作用するためか、自然の状態で交配することは少なく、むしろ離れて存在する遺伝的にもやや離れた種の間のほうが交配確率が高い、という傾向が見られます(※野生アジサイやいくつかの蝶類における筆者の観察に基づく)。

実際、ヤマザクラとカスミザクラとオオヤマザクラは、血縁上極めて近く、同じ地域に生えていることが多いのですが、野生下では互いに独立した集団として存在するのが通常です。同じ地域に生えていることが多い、やや血縁の離れたエドヒガンについても同様です。

一方で、オオシマザクラとエドヒガンは分布域が離れており、重なっていません。そのため、これらが交配に成功し、ソメイヨシノが生じたといえるでしょう。

済州島原産の王桜の場合も、離島という特殊な条件下で、ヤマザクラ群のどれかの種とエドヒガンとの交配が起こったのかもしれません。だとしたら、王桜がソメイヨシノそっくりであっても不思議はありません。でもそれは、やはりソメイヨシノではないということも確かです。

ソメイヨシノが消えるかもしれない

現在日本で生育しているソメイヨシノは、もとはと言えば、全ての個体が同じ祖先の遺伝子をそのまま受け継いでいる「クローン集団」です。

野生の植物の場合は、原則として雄しべから雌しべに受粉がなされて種子を形成し、次世代が生まれます。一方、人間の手によって作られた園芸品種の多くは、生殖機能をもっていません。そのため、次世代に繋げることは出来ず、ソメイヨシノも接ぎ木などによってしか増やすことができません。

もちろん、ある程度の個体差はあるとしても、日本のソメイヨシノはそろそろ、一斉に寿命が尽きる時期を迎えています。ということは、もしかすると近々、ソメイヨシノに代わる新たな「鑑賞用の桜」を作成しなくてはならないかもしれません。

繰り返しになりますが、野生のサクラは日本だけでなく、朝鮮半島にも中国大陸にも数多く生えています。生物地理的視点からは、東アジアのどの国も「桜の発祥地」を名乗る権利があるでしょう。ただし、「文化としての桜」の主流をなすソメイヨシノは、疑いなく日本発祥です。

もしも今後ソメイヨシノが失われてしまうとすれば、「文化としての桜」を象徴する品種を、人間の手で新たに作り出す必要が生じてきます。その際のスタートラインは、どの国も同じです。

中国であろうが韓国であろうが、自国の野生種に基づいて「これこそが次世代の桜」であると国際的に認められる品種を世に送り出すことができれば、その暁には改めて「桜の発祥地は我が国である」と主張できないこともない――と言えるでしょう。

だとしても、「桜文化」の歴史的な発祥が(たぶん)日本であることは、変わりないのですが。

最後に、私が言いたかったこと

さて、筆者は約2年間、20回あまりこの「現代ビジネス」でコラムを掲載してきましたが、残念ながら筆者の力量不足で、今回が「ひとまずは」最後の掲載となります。

継続的に取り組んできた中国や琉球の自然についても、途中で終了してしまうことになります。楽しみにしてくださっていた読者の方々に、お詫びを申し上げます。いつかまた続きを読んでいただける機会があるかもしれません。それまでお待ちいただければ幸いです。

これまで執筆してきた記事を通して、筆者が本当に伝えたかったこと。それは突き詰めて言えば、「真実は一つではない」「正義は一つではない」ということの確認です。

現代社会では、特にメディアにおいては、情報を発信する側もそれを受け取る側も、何らかの「答えに直結する情報」だけを「価値がある」とみなし、必要としているように感じられます。

人間にとって快適な空間を創り上げる、近代的で、科学的で、能率的で、即効性があり、社会に貢献することだけが求められ、必要のないもの、無駄なもの、非生産的なものは置き去りにされ、排除されています。

その結果、例えば観光資源にならないただの山野などは切り捨てられることになります。日本の山野が全て人間の管理下に置かれ、本来の「自然」が消滅してしまったときには、野生のサクラも消滅してしまうでしょう。

別に自然の山の中に桜が生えている必要はない、庭や公園や植物園に移植すればいい、という考え方もあるでしょう。研究室の試験管の中ならば、いくらでも種を維持できる。人の手でいくらでも新しい品種を作り出すこともできる。それで困らないし、むしろ能率的で好ましい、と。

しかし筆者は、それは違うと考えています。なぜ違うのか――筆者の記事をきっかけに、読者の皆さんも考えてみてくれればうれしく思います。

中国の野生ザクラの一種