【都成竜馬の感謝】師匠・谷川浩司から受け継がれた棋士としての誇り

「愛」の気配をまとう男だ。

端正な顔立ちに鋭く熱い視線。一転、柔らかく人懐こい笑顔は、たちまち人々を虜にしてしまう。家族、友人、仲間。多くの人の愛に支えられてきたことを伺わせる。

「都」「成」「竜」「馬」。まるで、将棋マンガの主人公のような名前だ。師匠は、不世出の天才棋士・谷川浩司。その唯一の弟子として、棋界中から注目を集め続けてきた。羨望、嫉妬、重圧を物ともせず、自らの名前や境遇を「プライド」と胸を張ってまっすぐに愛を寄せる。

順風満帆に見える棋士人生。しかし将棋の神様は、都成を試した。

課した試練は「時間」。誰にも平等だが、棋士を目指す青年たちにとっては最大の敵にもなる。小学5年でプロへの道の門を叩いた少年は、いつしか年齢上限の26歳となっていた。最後の三段リーグ、指し分け(勝率50%)以下なら退会。極限状態の中、突破できた要因は?長い下積み期間を支え、感謝の気持ちを伝えたい人とは−?

今宵は矢のような光陰から少しだけ抜け出し、遅咲きの花・都成竜馬の「感謝」に寄り添ってほしい。

撮影/MEGUMI 取材・文/伊藤靖子(スポニチ)

「棋士の感謝」特集一覧

まずは2018年度の振り返りをお願いします。49 戦 32 勝 17 敗で勝率は約6割5分(3月12日まで)。点数をつけるとしたら100点満点中、何点ですか?
竜王戦の6組で優勝できたのはひとつの大きな結果だったので、70点くらいですね。残りの30点は、いくつか本戦や予選の決勝でやっぱりトップレベルの方に力の差を見せつけられた場面がたくさんありました。もっと自身の力をつけていかなければと感じています。
その中で最も印象の残っている対局はやっぱり……?
そうですね。師匠との対局が一番印象に残っています(※)。
※都成五段の師匠・谷川浩司九段
史上2人目の中学生棋士で最年少名人の記録を持つ。歴代の中学生棋士は加藤一二三、谷川浩司、羽生善治、渡辺明、そして藤井聡太の5人で、いずれも歴史に名を残す棋士ばかりだ。この中で谷川のみ弟子を抱えている。都成の誕生日は1月17日で、阪神・淡路大震災と同じ日。兵庫県出身で被災を経験した谷川が運命的なものを感じ取り、弟子に迎え入れたという。
※谷川九段vs都成五段 運命の師弟対決
2019年1月18日に行われた第60期王位戦予選の決勝、都成は谷川浩司とプロ入り後、初めての対局。結果は105手で谷川が勝利し、「恩返し(師匠に勝利すること。将棋界で使われる用語)」はならなかった。
谷川先生にとっても思い出に残る一局になったでしょうね。
師匠としては「本戦入りをかけた大一番で当たるのはすごく複雑だった」ということを聞きました。

自分としてはこの世界に入って、師匠と対局することを一番の目標にしてきたので、それがついに…。奨励会に入ってから19年越しの夢が叶って……すごくうれしかったです。

対局前はとても緊張しました。楽しみにしていたんですけど、やっぱり勝ちたいという気持ちが強くて…。力を出しきれず負けたら後悔するので、普段の対局以上に準備をして臨みました。どの戦法でいこうかとすごく悩みましたし、すごく考えました。

やっぱり対局前日の夜は眠れなかったですね。日ごろから対局前は寝つきが悪いんですけど、特別な一局ということで特に寝つきが悪くて…。横になってからもずっと戦法を考えて、眠りについたのは深夜の3時か4時ごろだったと思います。
小学5年の都成少年と谷川浩司九段(都成五段提供)
王位戦予選、実現した初の師弟対決は谷川浩司九段が勝利した(スポニチ提供)
それほど大事な一局だったんですね。今回は残念ながら「恩返し」とはなりませんでしたが、終局後は師匠とどんなお話をされましたか?
感想戦の後は特にお話もせず…。師匠も自分も初めてのことだったので、どうしたものなのかがわからなくて(笑)。師匠から「食事のお誘いでもあるかな」と思ったり、自分が負けてしまったので、「声を掛けづらいのかな」と思ったりもして。

駒を片付けた後、微妙な空気が張りつめていたんですよ。お互いに「この後、どうしましょうかね…?」みたいな(笑)。師匠は声を掛けようかと迷っていたようですが、たまたま入れ違いになってしまって、自分は将棋会館から外に出てしまったんです。

でもやっぱり師匠がまだ中にいるかもしれないと思い、将棋会館を出たところでしばらく待っていたんです。師匠はその間、棋士室でずっと自分を待っていてくださったようで…。

お互いに違う場所でしばらく待っていて、お互いに「もう帰ったのかもしれない」と思って、結局、会うことができずふたりとも別々に帰るということになってしまいました。
お互いのことを思い続けながらも、いつもすれ違ってばかりの恋愛ドラマのようですね(笑)。

師匠はやっぱり存在自体が別格、自分の誇り

ご自身の人生に大きな影響を与えた人物について、事前にアンケートにお答えいただきました。やはり、というべきでしょうか。谷川先生のお名前が先頭に書かれていました。
師匠はやっぱり存在自体が別格、自分の誇りです。

谷川先生は「将棋指し」の中でも特別な存在で、特に自分たちの世代だと羽生(善治)−谷川戦というのは黄金カードでした。そのタイトル戦を見て育ったので、おふたりは神様のような存在だったんです。

そんな偉大な先生の弟子になることができて…。やっぱり師匠にとって唯一の弟子という部分が自分にはあって……。兄弟弟子がいなくて寂しい面もあったんです。でも谷川先生に弟子入りを志願してくる人は、自分以外にもまったくいなかったわけではないので…。唯一の弟子ということで、今も奮い立つような気持ちですね。
谷川先生からはいろいろなアドバイスを受けてこられたと思います。どれも金言ばかりだとは思いますが、特に記憶に残っているものはありますか?
小学生で奨励会に入会した当初くらいに「三段になってやっと半分と思いなさい」と言われました。

実際、三段に上がったときは「(プロ入りまで)もうすぐだな」みたいな感覚もあったんです。けれどやっぱりふたを開けてみると半分どころではなかったので…(※)。「すごく重みのある言葉だったんだな」と後で振り返って思いました。

なかなか四段に上がれないときも、あまり厳しいことは言われなかったです。「上がれるだけの力はもうあるから、あとは力を出しきれるかどうかだ」という、すごくポジティブな言葉を、お会いするたびに掛けてもらい、すごく励みになりました。
※過酷な三段リーグ
半年をかけて約30人でリーグ戦を行う。上位2名が四段に昇段し、正式にプロ棋士となる。つまりプロになれるのは1年でたったの4名。都成は三段に上がるまで7年、四段に上がるまで8年半もの時間を要している。ちなみに、藤井聡太七段は3年で三段、半年で四段と驚異的なスピードで昇段している。
そして年齢制限ギリギリで四段に昇段。そのお祝いとして谷川先生から直筆の駒をプレゼントされたそうですね。
実を言うと谷川浩司書の駒は、一組ではなく二組持っているんです。四段への昇段時にいただいた駒と、もう一組はその駒を作ってくださった駒師さんにごあいさつに伺ったときです。「実はもう一組ある」と言われていただきました。

師匠からいただいたものは木箱に入っているので保管用。駒師さんにいただいたものを、研究用として使い分けています。

でも世の中に全部で五組くらいしかない谷川浩司書の貴重な駒を、自分が二組も持っていていいのかな(笑)。
四段昇段時に師匠の谷川浩司九段から贈られた駒(都成竜馬五段提供)
弟子入り後、谷川先生とのコミュニケーション手段は手紙だったと伺っています。(※)
手紙でやりとりしていたのは弟子入り後、最初の数年だけなんです。自分がなかなか勝てなかったので負けた棋譜を送りたくなかったんです。それでだんだん送らなくなっちゃったんですよね。数年分で30、40通くらいしかないんですけど、やりとりしていた手紙は、親がきれいに保管してくれています。
※都成五段の出身は宮崎県
小学校5年生のとき、谷川門下に入門。奨励会の対局で月に数回、飛行機で大阪にある関西将棋会館まで通っていた。その対局の棋譜を手紙でやりとりしていた。
その時代に、LINEがあったらまた変わっていたかもしれませんね。
どうだったんでしょう(笑)。今は師匠とはメールでやりとりしています。

三段リーグの改革には賛成派

奨励会で16年という長い時間を過ごされていました。
基本的には代わり映えしないというか。予定といえば月に十数回の研究会か、記録係や塾生としての奨励会員の仕事をやるか。何も予定がない日は将棋会館に行って研究して、という繰り返しの日々でした。

どうしてもモチベーションが下がるというか、やる気がなくなっちゃう日もあったので、引きこもってずっとゲームをしているときもありました。会館で合わせる顔もほとんど同じで、奨励会員や若手棋士と会うことが多かったですね。
プロ入り後の勝率を見ると、これほどの実力者がなぜ三段リーグで手こずっていたのか不思議でなりません。
三段リーグをやっていて、途中からはいつ抜けてもおかしくないくらいの実力ではあったと思うんです。でも「圧倒的」ではなかった。

たとえば、同じ三段リーグを戦った菅井(竜也)さんや斎藤(慎太郎)さんは、指していて「頭ひとつ抜けていて他の三段とはレベルが違う」という感覚があって。「この人たちは、100パーセント抜けるだろう」というのは自分以外の周りの三段も感じていたと思います。でも自分はそこまでのレベルではなかったです。「上がれるかもしれない」くらいの微妙な感じで。突き抜けた実力はなかったと思います。
お言葉ですが、プロではない三段での新人王獲得は史上初の快挙です。普通に「突き抜けた実力」なような気がしますが…。
ひとつ考えられるのは、早指しよりもじっくり考えるほうが自分には合っていたということでしょうね。三段リーグだと1日二局で1分将棋になる確率が高くて、なかなか連勝できなかったんです。今思えば、1日一局でじっくり考えられるほうが自分の良さが出て、新人王戦での優勝につながったのかもしれません。
高見泰地叡王が、以前のインタビューで「羽生世代の次にレベルが高いのは自分たちの世代(92年〜94年生まれ)」ということをおっしゃっていました。同様に、佐々木勇気七段も「自分たちの世代が藤井聡太さんの壁になれたら」と話していましたが、その世代が都成先生の壁にもなっていたのかもしれませんね。
たしかにそのころの三段リーグは、規格外に強い人が多かったです。佐々木さん、菅井さん、斎藤さん、高見さんとかが自分より年下で、みんな同じ世代ですけど強かったですね。「みんな余裕で抜けていくだろうな」という人ばかりでしたので、その世代にプロ入りの枠を取られてしまったというのはあるかもしれないです。
三段リーグというのは、そんな強い世代と重なる不運など、さまざまな不確定要素も多いにもかかわらず、ひとりの人間の人生を大きく左右するという理不尽な側面もあります。都成先生は現行のルールに何か疑問を感じていたりはしませんか?
奨励会という制度自体が厳しすぎるなと思っています。長い年数をかけても棋士になれずに、一般社会に放り出されちゃう人たちを多々見てきているので。時代にそぐわなくなってきたら思い切って変えちゃってもいいというか…どちらかというと改革には賛成派ですね。でも実際に改革するという話が出てきたら難しい問題も多いですよね。特に現役の三段の扱いをどうするのかとかは…。
奨励会時代、年下棋士のお茶くみなど、記録係を担当するのは「精神的にもキツかった」とも過去に話していました。現在、藤井七段の登場で似たような立場にいる奨励会員が多いと思います。何かアドバイスすることなどありますか?
アドバイスは必要ないと思います。長く三段で苦労している人もいますが、年下の記録係を務めることを自分ほど気にしていないというか、すごく真面目な人が多いんですよね。

でも変に慣れてしまうのも良くないとは思います。自分も最初こそ悔しかったですが、慣れてきちゃって、当たり前に記録を取っている感覚になったので、それは良くないと思います。でも純粋な気持ちで「この人は強いから記録を取る」という姿勢なら、それが一番良いかな、と思います。
少し話題を変えて、プライベートな部分をお聞かせください。まずは、都成竜馬(リュウマ)というご自身のお名前。棋士としては最高の響きですね。
自分も好きですね。将棋をやっているうえで得をしたことも、結構あります。一番はすぐに覚えてもらえるというのがあります。谷川門下というのと、名前のことで、奨励会に入ってすぐに目上の方に覚えてもらえたり、声を掛けていただいたりしました。

小学校のころの大会でも「名前で強そうだな」と思ってもらえていたみたいですし、三段リーグで東京の方と初めて対戦するときも、「なんか強そう」と思ってもらえたみたいで(笑)。すごく恩恵を受けたと思います。

父がすごく将棋が好きで、最初は兄に将棋を教えていたんですけど、間近で見ていた自分もいつのまにか興味を持ちました。

名前の由来は、父が「坂本龍馬のように育ってほしい)というのもあったようなんですけど、一番は将棋ですね。将棋なのでリョウマではなく「リュウマ」と読ませたいと。兄は拓馬(タクマ)なんです。父が「次の子は竜馬と名付けたい」と考えていたそうですが、次に生まれたのは姉だったんです(笑)。
お父さんが諦めなくてよかったですね(笑)。妹さんも含めて4人兄弟、ご家族の仲がとてもいいように感じます。
たしかに仲はいいほうですね。LINEで家族のグループがあるんです。昇段したときには、そこへみんなが「おめでとう」とスタンプを送ってくれました。今は兄弟全員、実家のある宮崎県を出ていますし、変に近すぎないから仲が良いのかもしれないですね。
お忙しい毎日だと思いますが、地元に帰ることはありますか?
正月と夏は絶対に帰るようにしています。最近は宮崎でも将棋大会やイベントをやっていただいているので、年に5、6回は帰省していると思います。兄弟の中で自分が一番帰っているかもしれないですね。親からも「竜馬に一番会うな」とからかわれました(笑)。
中学校を卒業されてプロを目指したとき、実家を離れて大阪でお兄さんと4年間ふたり暮らしをされていたんですね。アンケートでは一緒にいてくれた兄に感謝しているとも挙げられていました。
兄の大学進学と自分が大阪の高校に進学するタイミングが一緒だったんですよね。親は自分を大阪に出すならひとり暮らしより、やっぱり兄と住んでもらったほうが安心というのがあったみたいです。

そんな中、兄は文句を言わず、自分に合わせて大阪の大学を選んでくれました。

当時は年ごろですし、6畳一間の狭い部屋での二人暮らしは難しい部分もありました。でも今思えば、兄は兄でいろいろ自分自身の生活を犠牲にして、我慢してくれていたんだなと、感謝することはたくさんあります。

料理が好きな兄は、よくご飯も作ってくれたりもしました。兄がカレー作りにハマってる時期があって、ドライカレーなどをよく食べていました。

20代前半のころ、戸辺さんにはとてもお世話になった

影響を受けた棋士のお名前で、谷川先生を除くと戸辺誠七段、久保利明九段、稲葉陽八段、糸谷哲郎八段、菅井竜也七段と5人のお名前が挙がりました。関西が多い中で唯一、関東の戸辺先生のお名前が入っていたのが意外でした。
久保先生は純粋に棋風に影響を受けたというところですね。稲葉さん、糸谷さんは年も近い。菅井さんは後輩で一番影響を受けた存在です。

その中で、戸辺さんとはプライベートでの親交が深いんです。自分がまだ宮崎にいるときからの付き合いで…普段そんなにお会いすることはないんですけど、宮崎に来ていただいたこともあります。自分が奨励会時代、東京に何度か武者修行に行っていたんですけど、だいたい戸辺さんのお家に泊まらせていただいて…。「いつでも泊まりにおいでよ」みたいな感じで。

自分の兄とも年が一緒なので「お兄ちゃん」みたいな感覚が強いですね(笑)。すごく面倒見の良い方なので、変に先輩っぽくないというか。一緒に遊んでくれて将棋も教えてくださいます。
たしかに戸辺先生はお人柄も素晴らしく、いろいろな先輩・後輩から慕われていますよね。
それだけじゃないんです。自分が20歳くらいのころでしょうか。戸辺さんのお家に長いことお世話になっていた期間があったんですけど、そのときに自分が新型インフルエンザにかかってしまい、すごく迷惑をかけたことがありました。

戸辺さんはそのときにはすでに結婚していて小さいお子さんもいたんです。感染する危険もあるので、さすがに新型インフルエンザの病人を家に置いておけないじゃないですか。でも、放り出すこともできない。そのときに、戸辺さんが近くのホテルをとってくれたんです。それだけじゃなく、その隣の部屋も手配してひと晩中、看病してくれたんです。

2日間も夜通しで様子を見に来てくれて、たまに意識がふっと戻ると、戸辺さんがおでこのおしぼりを代えてくれていたり…。ホテル代まですべて面倒を見てくれて「こんな人いるんだ」と思いました。
左から戸辺誠七段、都成竜馬五段、鈴木肇アマ名人(都成竜馬五段提供)
まさに将棋界の聖人ですね。間違いなく戸辺先生のファンが増えるはずです(笑)。家族、棋士の先輩や後輩、そして師匠と、都成先生は、周りの方からの「愛され力」が高いように感じます。
先輩にかわいがってもらったな、というのは感じます。その分、後輩に返してあげなきゃ、というのもあります。周りに恵まれていると思います。奨励会にも仲の良い後輩がいますが、慕ってくれているのかナメられているのか…(笑)。
棋士以外では、中学時代の先生にも影響を受けたという回答もありました。
それは逆にマイナスな意味で、なんです。自分はあまり宿題とかちゃんと提出するほうではなかったですし、奨励会も平日に通っていたので学校もよく休んでいたんです。担任の先生は理解してくれて応援もしてくれていたんですけど、ある先生はそれをあまり心よく思っていなかったんですよね。

あるとき、その先生から「将棋なんかでメシが食えるのか」と言われたことがあって、すごく腹がたったんですよね。「こっちはプロを目指してんだ」って。その先生にとっては遊びで学校を休んでいるという感覚だったんでしょうね。

でも、逆に「見返してやろう」という気持ちになりました。

それまでは宮崎から大阪に通っていて、遊び感覚みたいな部分もたしかにあったんですよ。奨励会の前日、地方から出て来ている人は同じ和室に雑魚寝で泊まるんですけど、みんなでトランプしたり、楽しい遠足とか合宿みたいな感覚もあったんです。ちょっと夜更かしして遊んだりとか。

その言葉を受けて「大阪へ行って本気でやろう」という気持ちが芽生えて強くなったので、ある意味では感謝です。当時は将棋のプロといってもピンとこない方が多かったんだと思います。

藤井さんに対して嫉妬のような感情はまったくない

将棋界の環境が激変したきっかけのひとつには、藤井七段の存在が大きいと思います。都成先生にとって、どんな存在なんでしょうか?
藤井さんの存在は、将棋界にとって良い出来事だったと思います。29連勝の新記録も、自分も当事者として2勝も献上してしまっているので、本来であればその状況を喜んでいいものか…というのはあるんですけど。

藤井さんが勝ち続けたというのは「尊敬」しかないですよね。今も注目される中で結果を出し続けていて、あの若さですごく謙虚で振る舞いも素晴らしくて。将棋界にとっては「宝」のような存在ですね。
その藤井七段と一緒に食事をしに行ったりとかは…?
ないですね。藤井さんからしたら自分はだいぶ年上なので、残念ながら会話は弾まないです(笑)。

でも先日、対局後に藤井さんが同世代の奨励会員と話しているのを見かけたんですけど、その子たちとは普通に笑顔で話していたので「藤井くんも将棋界でこういうふうに話せる人がいるんだ。よかった」と思って見ていました。
師匠の谷川先生が、同じ中学生棋士ということで、藤井七段の家庭訪問をしたというエピソードがあります。自分の尊敬している師匠が、自分以外の誰かに興味があるということに、嫉妬を感じたりしませんか?
杉本先生(藤井七段の師匠)に対して師匠が「おたくの弟子はいいな」みたいな気持ちはあるかもしれません。自分は不肖の弟子なので(笑)。

でも自分は藤井さんに対して嫉妬のような感情は全然ないですね。藤井さんという存在があまりにも特別すぎるからなのかもしれないです。たとえば、藤井さん以外の、自分とレベルの近い人と比べてそう言われたらつらいかもしれないですけど、藤井さんはやっぱり将棋界にとって「宝」なので。
第77期順位戦C級1組最終局、藤井聡太七段との対局(スポニチ提供)
ここ数年で都成先生も以前より注目されるようになったと思います。今年のバレンタインの戦果はいかがでしたか?
チョコは全然来なかったですよ! 本当です(笑)。将棋連盟の事務所から「届いていますよ」と聞いて何個かいただいてありがたかったです。

藤井さんはダンボールでドーンと届いていてケタ違いでした。あとは斎藤王座にもドーンと。でも自分はちょこんと(笑)。いただけるだけありがたいです。
このインタビューを読んだファンの方たちから、来年はきっとドーンと届くはずです(笑)。もう少し踏み込んで、好きな女性のタイプを教えてください。過去には女優の佐々木希さんを挙げられていました。
佐々木希さんは結婚しちゃいましたからね(笑)。あのときはタイプを聞かれて、単純に顔の好みを答えましたけど、性格が明るい人がいいですね。芸能人やアイドルは実はあまり知らなくて…乃木坂46もようやくふたり目の名前を覚えました。将棋フォーカス(NHK Eテレ)のご縁で伊藤かりんさんと、向井葉月さん。
野澤亘伸さんの著書『師弟 棋士たち魂の伝承(光文社)』の中で、奨励会時代の恋人の存在を明かされていました。ちなみに杉本先生は自著で「奨励会員という修行中の身で恋人は将棋の邪魔になる」ということも書かれていましたが…。
振り返ると恋愛も必要な時間だったと思います。「真っ当に青春したい」という気持ちも強かったですね。ある意味、奨励会員に深く染まりすぎたくないというか、恋人との時間も必要でしたね。

自分は「将棋は将棋、恋愛は恋愛」だと思っています。自分に弟子がいたとしたら、「こうしろ」とか押しつけたりはしないですかね。さすがに自分が恋愛をしていたので、言えないというか…(笑)。
過去のインタビューで、ご自身を「ネガティブ」だと分析されていましたが、お話しているとまったくそんなふうには感じません。
いやいや…。今年の目標のひとつに「ポジティブになる」というのがあって(笑)。

メンタルの専門家の方とお話する機会があって、「ネガティブでいいことなんてひとつもない。ポジティブな脳に切り替えないといけない」と言われたんです。

棋士にとってメンタルはすごく重要だと思います。棋士というのは基本的にトレーナーがいなくて、対局に向けて自分自身で調整していくんですよね。たとえばチェスやテニスなどはメンタルコーチが付いていますし、同じプロの世界だとすれば、そのほうが自然だと思うんです。自分もゆくゆくは、そういう専門の方に本格的にアドバイスをもらう必要があるだろうな、と思っています。
たしかにそういうチームを組んで将棋で指すという時代が来るかもしれませんね。「ポジティブになる」以外に目標はありますか?
新しいことにチャレンジしていく、ということですね。『将棋フォーカス』の司会の仕事が、自分の中では最も大きなチャレンジだなと思います。

そして今日の、この撮影も新たなチャレンジでした(笑)。普段はこういう写真を撮っていただいたことがないので、脳に良い刺激が伝わった気がします。

「タイトル戦に出たい」じゃなくて「タイトルを獲る」

現在29歳。今年は20代の総括の年ですね。
以前、師匠の著書で読んだ言葉なんですけど、「若いうちは勢いで勝てることもある。でも30代に差し掛かってくると、人間的な厚みがないと勝たせてもらえなくなる」というのがありました。そういう意味でいろんな経験をしていかないとダメなのかな、と。

「人間的な厚みは今の自分にはないな」と思ったので、イベントやテレビ出演など、いろんなお話をいただいたら、積極的にできることはやっていこうという気持ちでいます。それが指し将棋のほうにもプラスになると捉えてやっています。
先ほどお話されていましたが、4月から『将棋フォーカス』の司会に大抜擢されました。意気込みをお聞かせください。
いやもうビックリでしたね。NHK杯の本戦すら出たことないですけど(笑)。「予選落ちしてますけどいいんですか…」みたいな(笑)。

前任との実績も段違いで。中村(太地)さんはタイトルを獲りましたし、山崎(隆之)さんも棋戦優勝を何回もされています。今回一緒に司会を務める高見さんは現・叡王ですし、「何で自分なんだろう」とすごく戸惑いました。でも、これを断ったら「もう二度とこの話はないな」と思って。

師匠に相談するか迷ったんですけど、やっぱりカッコ悪い気がして。「プロなんだからそういうのは自分で決めなさい」と言われそうな気もしたので、自分で悩んだ末に受けようと決めました。

ワクワクよりは緊張のほうが大きいですね。なかなか気の利いたことが言えなさそうですが、なんとかなると前向きに思っています。
また師匠のお話が出てきました(笑)。本当に尊敬されているのがわかります。ちなみに都成五段にとって、師匠に対する最大の恩返しとはどんなことだと思いますか?
将棋界でいう「恩返し」って、ひとつは師匠に勝つことって言うじゃないですか。

でも、「本当の恩返しは、師匠が勝てなかった人を倒すこと」というのを聞きました。つまり師匠の場合だと、倒さなきゃいけないのは、羽生先生っていうことになるわけじゃないですか。うーん…なかなか厳しいハードルですよね(笑)。

自分としては、師匠が期待する以上の活躍をすることだと思っています。
では最後の質問です。谷川先生は38歳のとき、新しい棋士を育てることが、今の自分の「使命」だということで、都成先生を弟子に迎えました。”29歳の都成竜馬”にとって、今の「使命」を教えてください。
トーナメントプロとして結果を出すことが一番の使命です。

ずっと望んでいたのは「タイトル戦で全国各地を回って対局したい」ということだったんです。でもそんな気持ちではダメで「目標以上には上に行けない」ということを聞いたことがあります。「タイトル戦に出たい」じゃなくて「タイトルを獲る」ということが使命だと思っています。

そのうえで、ファンの方々に喜んでもらったり、子どもたちに将棋の楽しさを知ってもらったり…将棋の普及はとても大切なことですので、棋士として決して怠らずにやり抜きたいと思っています。

「棋士の感謝」特集一覧

サイン入りポラプレゼント

今回インタビューをさせていただいた、都成竜馬五段のサイン入りポラを抽選で3名様にプレゼント。ご希望の方は、下記の項目をご確認いただいたうえ、奮ってご応募ください。

応募方法
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受付期間
2019年4月1日(月)21:00〜4月7日(日)21:00
当選者確定フロー
  • 当選者発表日/4月8日(月)
  • 当選者発表方法/応募受付終了後、厳正なる抽選を行い、個人情報の安全な受け渡しのため、運営スタッフから個別にご連絡をさせていただく形で発表とさせていただきます。
  • 当選者発表後の流れ/当選者様にはライブドアニュース運営スタッフから4月8日(月)中に、ダイレクトメッセージでご連絡させていただき4月11日(木)までに当選者様からのお返事が確認できない場合は、当選の権利を無効とさせていただきます。
キャンペーン規約
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