フィリピンでスリに遭った当日、つらいらむ(撮影:木村 茂之)

「海外の観光地ではスリが大変多い。とくに日本人はカモにされやすいから注意しなければならない」

テレビや雑誌などでは、よく言われている。ただどうしても、

「そうは言っても、自分だけは大丈夫だろう」

と思ってしまうのが人間である。

僕はかつて、ある雑誌で海外のスリ事情を取り上げた記事を書いたこともあった。それなのに、

「まあ僕だけは大丈夫だろう」

と根拠のない自信を持って旅行をしていた。今思えば大変マヌケである。そしてその油断が、悲劇の始まりだった。

「自分は大丈夫」が招く悲惨な被害

今回は、実際にフィリピンでスリの被害にあった筆者が、「海外でスリにあうとどうなるのか?」というリアルな体験談を書きたいと思う。これから海外に行かれる人は同じ轍を踏まないよう、参考にしてほしい。

今年の3月22日、僕は同行者と2人でフィリピンのマニラを訪れた。観光しつつ、できれば記事にできるネタも拾いたいな、というくらいのゆるい旅だった。

出発の遅い便だったので、マニラに到着したときには深夜1時を過ぎていた。そのまま予約していたホテルに向かう。ホテルの周りには売春施設がたくさん並び、あからさまに治安が悪かった。歩いていると、

「シャチョーシャチョー」

と声をかけられる。逃げるように早歩きでホテルに向かい、チェックインした。

翌朝、同行者とショッピングモールに行って、ご飯を食べることになった。出発前は仕事が忙しくて、荷物を整理することができなかった。財布も普段使っているものをそのまま持ってきていた。

食事が終わったらいったんホテルに戻る予定だったので、小型のボディーバッグの中に財布とレンタルのポケットWi-Fi、iPad、充電バッテリーを突っこんだ。パスポートも入ったままだった。

昼間のマニラは昨晩に比べると、平和に見えた。ショッピングモールも大きく清潔だったので安心した。

鳥料理を食べたあと、ショッピングモールでしばらく買い物をして、ホテルに戻ることにした。ボディバッグと一眼レフカメラは、背中に背負うように持っていた。歩道にはスマートフォンのカバーや、サンダル、ターバンなどを売る露店が出ていた。露店を見たり、スマートフォンで看板の写真を撮ったりしながら歩いていた。

歩いていると突然背後から「ガシャーン」と物が落ちる音がした。慌てて振り向くと、僕のスマートフォンの予備バッテリーが落ちていた。

「え?」

と思うとボディバッグのファスナーが全開になっている。慌ててカバンの中を探ると、財布とレンタルポケットWi-Fiがなくなっていた。

目の前が真っ暗になった。

僕も、同行者の男性もまったく気がつかなかった。あまりに気がつかなかったので、スリにあったと確信できないくらいだった。

予備バッテリーが落下していなかったら、しばらく気づいていなかっただろう。ひょっとしたらホテルまで気がつかなかったかもしれない。冷や汗を垂らしながら、もと来た道を戻った。もちろん財布は落ちていなかった。食事をしたショッピングモールのレストランでも、係の人に落ちていなかったか尋ねたがやはり見つからなかった。

パスポートは無事だったものの…

財布の中身は日本円7万円と3000フィリピン・ペソ(1万円程度)、銀行のカード、クレジットカード、運転免許証などが入っていた。

【2019年3月30日8時52分追記】初出時、現地通貨を誤っていたため、上記のように修正しました。

「なんでこんなに日本円持ってきたんだ」

「使わないカードは日本に置いてくるべきだった」

などなど、ひどく後悔した。


盗まれた場所(筆者撮影)

ちなみにパスポートはカバンの小さいポケットに入っていたのでなくならなかった。iPhoneとiPadがなくならなかったのも、不幸中の幸いだったと言えるだろう。

パスポートをなくしていたら、日本大使館、総領事館に行ってパスポートの失効手続きをしなければならない。パスポートが再発行されるまでは、帰国できない。より一層、深刻な事態になったはずだ。

ただ、そのときは運がいいなどと思える余裕はなかった。

盗まれなかった手持ちの現金は、ズボンのポケットに入っていた2000フィリピン・ペソほどしかなかった。

今回はたまたま同行者がいたからよかったが、もし1人旅だったらもっとヤバい状況になっていただろう。ひょっとしたら空港までのタクシー代金も払えなかったかもしれない。

宿泊しているホテルのホテルマンに警察署の場所を聞いて、訪れることにした。言われたとおりゴミゴミした通りを進んでいくと、それらしき建物を見つけた。中に入って警察官に事情を説明する。

その警察署は盗まれた場所とは管轄が違ったらしい。いったん、警察官とともに現場へ向かい、そのまま管轄の警察署に移動することになった。現場には歩いていくのかな? と思っていると、バイクの後ろに乗るように言われた。

警察官はケタケタと笑うと、

「ジャパニーズ? オーケー! ゴーゴー!」

というと、勢いよくバイクをスタートさせた。フィリピンの道路事情はかなり荒い。ジプニー(乗り合いタクシー)やトラックが激しくクラクションを鳴らしながらブンブン飛ばしている。


バイクの後ろに乗って移動中(筆者撮影)

その喧騒の中を、警察官はビュンビュンと飛ばしていく。僕はノーヘルでバイクに乗るのははじめてで、風が気持ちよく少しだけ気が紛れた。

しばらく走って僕が財布を落としたと思われる場所にたどりついた。警察官は路上販売をしていた人に事情を聞いた。聞かれた側は、あからさまに迷惑そうな態度で質問に答えている。

「知らないし、見てねえよ。もう帰れよ」

と言ってるんだろうな、と雰囲気でわかった。

その後、再びバイクに乗って管轄の警察署に移動した。署内で警察官同士の簡単な引き継ぎがあった後、僕の事情聴取が始まった。

盗難保険を利用した旅行客の保険金詐欺

僕はそれまでの顛末をそのまま伝えた。警察官はかなり強い口調で、取り調べのような雰囲気になった。

そのときはなんでこんなに強い感じで事情を聞くんだろう? と思ったが、あとから話を聞いて合点がいった。

保険の詐欺をするために、ウソの申告をする日本人が多いのだそうだ。日本で盗難保険に入っておいて、盗まれたとウソの申告をして保険金を受け取る保険金詐欺だ。保険を受け取るためには、現地の警察にポリスレポートを書いてもらわなければならない。

昔とある雑誌で仕事をしていたとき、編集者の1人が、

「ノートパソコンを海外でなくしたとウソをついて、保険を適用させて新しいのにした」

と自慢げに語っていたのを思い出した。

世の中には、そういうケチな悪党はたくさんいるのだろう。そういう悪党のせいで、本当に被害にあった人が困ることになるのである。


監視カメラをチェック(筆者撮影)

本当に財布が盗まれたのかどうかを確認するため、現場の対面にあったコンビニエンスストアの防犯カメラをチェックすることになった。防犯カメラを管理する事務所に入り、僕と同行者の足取りをチェックする。

僕がスリの被害にあったと思われる場所の近くにあったセブンイレブンの防犯カメラには、僕と同行者が歩いている様子がバッチリ映っていた。

最初は普通に歩いていたのだが、僕の後ろにだけ人だかりができた。その中の数人は日傘を開いている。日傘のせいで防犯カメラから僕の姿は完全に隠れた。

警察官は、

「たぶん、この瞬間に盗まれたんだな! こいつらはスリ集団だな」

と言った。

同行者すら気づかない、腕利きのスリ集団

画像を見ると、僕の周りにだけ人が集まっているという、かなり異常な状態だ。皆さんも、その場面の写真を見たら、「いや、普通気づくでしょ? これだけ囲まれていたら」と思うだろう。


監視カメラに映ったスリ集団(筆者撮影)

しかし、僕はまったく気づかなかったし、僕のすぐ隣を歩いていた同行者もまったく気がつかなかった。

日傘で周りの目から隠れた後、ボディバッグのファスナーを開け、財布とポケットWi-Fiを盗んだのだろう。まるでマジックのようだと思った。一瞬腹立たしさを忘れて、思わず感心してしまった。

防犯カメラを見て、本当にスリの被害者だとわかり、警察官は態度を軟化させた。

フィリピンの警察官は明るい人が多かった。突然歌いながらダンスを踊ったりするし、訪れてきた人とわいわいしゃべりながらパンをむしゃむしゃ食べていた。部屋に備え付けのテレビを見ながらゲラゲラ笑っている人もいた。ちなみにその時見ているテレビは、忠臣蔵をモチーフにしたハリウッド映画「47RONIN」だった。

長身の警察官が僕の肩をパンパンたたきながら話しかけてくる。

「カバンを後ろに持ってたって? ダメだよ! カバンは絶対に前! 前! 前!

ファスナーが開けられない場合は、ナイフでカバンを切って開けることもあるんだ。今度からは絶対に注意して! カバンは前!! オーケー?」

とかなり大きな声で注意された。でもその後は笑いながら握手を求めてきた。

フィリピンは「麻薬戦争」の真っただ中

警察官たちは人懐っこいし一見緊張感はなさそうだが、ドアが開いて人が入ってくるときにはスッと目が座る。そして反射的に右手を腰の拳銃に当てる。拳銃は、グロック17 、オーストリア製の実戦的な銃だ。日本の警察官の拳銃のように革のホルスターで全体をカバーしていない。スムーズに銃を取り出せるよう設計されたホルスターに入っている。そして腰の左側には予備の弾倉(マガジン)が2つ刺さっていた。


グロック17を腰に携帯する警察官(筆者撮影)

フィリピンはロドリゴ・ドゥテルテ大統領の号令の下、麻薬一掃をめざす“麻薬戦争”が起きている。使用者や密売人が最低でも5000人、説によっては2万人以上が殺されたと言われている。部屋の中で陽気に笑っている警察官も、麻薬戦争で戦っている人たちなのだ。そう思うと、彼らを見る目も少し変わった。

その日の事情聴取はいったん終わった。

後日、ポリスレポートを書いてもらうためにもう一度、警察署を訪れるよう言われた。

旅行の最終日、まずは警察に提出するレポートを代筆してくれる代行屋さんを訪れた。

公的な書類を作る場所なので、落ち着いたオフィスの中にあるかと思ったが全然違った。店のショーケースの中にはお惣菜がズラッと並んでいる。狭い店内にはたくさんのお客さんがいてしゃべりながらご飯を食べていた。

店の奥に、小さい部屋がありパソコンが1台置かれていた。パソコンはケースがなく中の配線が丸見えになっている。

店の人に書類を作ってほしい旨を伝えると、恰幅のいい赤いTシャツの男性がパソコンの前に座り、書類作成ソフトを立ち上げた。スリにあった年月日、場所、状況などを説明していく。


書類作成をお願いした代筆屋の外観(筆者撮影)

「なくしたものは、ルイヴィトンの財布と、7万円、運転免許証、クレジットカード、キャッシュカード……」

と説明していると、パンと肩をたたかれた。

見るとお店の若い女性だった。

「ドライバーズライセンス!! なんでそんなの持ってたの! ダメね! 日本人優しいね! 日本人ホント優しいね!」

と日本語で怒られた。フィリピン国内で日本語を勉強しているそうだ。

優しいというのは心根が優しいという意味ではなく“ワキが甘い人”“ちょろい奴”という意味のようだ。

何が何でも「カバンは絶対に前!」

「ここらへん悪い人いっぱいよ! ドロボーいっぱいいるよ! 子どもやレディボーイすぐすり寄ってくるけど気をつけて。それとカバンは前! 絶対にいつも前! 日本人のあなたカバン盗られる、わたし心痛いよ」

と感情をこめて言われ、本当に反省した。

それからも何人にも

「カバンは前!!」

と注意された。皆さんも海外に行ったときは、

「カバンは前!!」

を忘れないようにしよう。

書類の制作には1500円ほどかかった。まずまず高い額だ。同行者がいなかったら、払えなかったかもしれない。

できあがった書類を受け取り、警察署にむかった。警察署の中は前回訪れたときよりも騒々しかった。一般の人がたくさん出入りしている。

先日会った警察官に書類を渡すが、混み合っていてなかなか手を付けてもらえない。しばらく部屋の隅で立って待っていると、少し年配の警察官が入ってきた。

「日本人かい? ドロボーにあったのか? 実は犯人のドロボーはコイツなんだよ!」

と言って、若手警察官を指差した。署内でドッと笑いが起きる。

若手警察官は

「俺はドロボーじゃないから」

と苦笑いで否定して、ポリスレポートを書き始めた。

年配の警察官は続けて、

「そうそう本当のドロボーはコイツなんだ」

と言って、僕の対面に座っていた太った一般の女性を指差した。

「そんな、また冗談をー」

と答えると、

「いやコイツは本当にドロボーなんだよ」

と言ってニヤっと笑った。

「ええ!」と女性を見ると、苦笑していた。どうやら本当らしい。女性を見ると右手の中指がなかった。中指だけなくなる、というのはとても珍しいと思う。

漫画『ブラック・ジャック』に、凄腕のスリ師が指を詰められてしまうエピソードがあったが、そういうことなのだろうか? だとするとドロボーの世界も大変である。

女性のとなりに座ってる仏頂面の男性が被害者らしい。犯人と被害者を並べて座らせておくなんて……なんておおらかなんだろうと思った。

年配の警察官に、

「シャチョー、次に来るとき、カバンは前に持つんだぞ!」

とまたまた注意され、肩を組んで一緒に写真を撮った。そうこうしてるうちに、ポリスレポートが書き上がった。


警察官と記念撮影(撮影:木村 茂之)

レポートにサインをするとあっさりと開放され、そこからはトラブルなく日本に帰国することができた。

スリに合ったおかげでずいぶん旅行の予定が狂ってしまった。そもそもはかなり余裕のある旅の予定だったが、現金がないためかなり節約した旅になった。

また、ポリスレポートをもらうために、かなり長時間警察署に拘束されたので観光する時間は大幅に減った。

油断が招いた痛すぎる代償

そしてそれだけでは終わらない。日本に帰ってきてからは、いったんフィリピンからの電話で止めていた銀行のカードを復旧、免許証の再発行などで丸2日かかった。フィリピンからの国際電話で電話料金もかなりかかっているはずだ。

旅行の保険には入っていたのだが、決定的瞬間が防犯カメラに写っていなかったので(日傘で隠れていた)、『盗難』ではなく『紛失』の扱いになった。そのため保険が適用されるかどうか微妙である。

そもそも、僕が入っていた保険では現金は適応外だ。またルイヴィトンの財布は、適応内だが10年前に購入した物なので、領収書はとっくになくなっている。領収書がないと基本的には申請できない。結局、なくなったレンタルのポケットWi-Fiが保証されるのと、免許証の再発行料である3500円が保険でカバーされるだけだった。

スリ被害に合うと、楽しい旅が台無しになることを心から実感した。

これからは絶対に

「カバンは前に!!」

を実践したいと思う。