出産以来、ほぼワンオペ生活を送って早や6年。
昨年、とうとうガタがきて、本腰入れて家庭改革に乗り出した。対応策のひとつが、「平日の1〜2日、夫に20時に帰宅してもらう」であったが、その成果が実を結んできたのでご報告したい。

結論からいうと、
  1. 父親嫌いだった第二子が父親好きになり、家族の一員だと認識したもよう。
    (→生まれて初めて父親と自分の絵を描いた)

  2. 2.私の育児責任が半減し、精神的重圧が減った。

気持ちの余裕からか、仕事やその他の所用が楽しい!と思えるからすごい。私はどれだけ無意識のストレスを背負っていたんだろう、と今だから分かるのである。

さて、夫に居てもらう、これだけが私にとってはいばらの道だった。他人(夫)に意識を変えてもらって、動いてもらうって、本当に難しい……軌跡を記しておくので、参考になれば幸いだ。


■気付けば“ワンオペ・クイーン”


ワンオペ育児を続けていくと、キャパに余裕はないはずなのに、徐々にレベルが上がってできてくる気がするから不思議である。1人で2人を見るなんて修羅的ハードモードだったはずが、いつのまにかノーマルモードになり、むしろ外部の大人を関わらせる方が「めんどう」と感じてくる。

母親一人の方が効率的に一日のタスクを滞りなく進められるので、「ヘタに夫がいるよりワンオペの方がラク」と言い切る猛者も出てくる。

そんな“ワンオペ・クイーン”に至る道を振り返れば、最初は夫に育児参加をかけあっているはずである。だが何度かけあっても成果がないとすれば、さっさとあきらめて、ワンオペでどう回すかを考えた方が精神的にラクだし、効率が良いと思ってしまうのは仕方ない。そこへ「夫がその分働けば家計も収入が増える」というもっともらしい理由に甘んじればなおさらである。

とどめに、まわりの育児経験者はこう言ってきたりもする。
「パパは、休日は家にいるんでしょう?(→じゃあ、いいじゃない)」
「どこの家もそうだったもんだよ(→だから目くじら立てることじゃない)」
「シングルマザーはもっと大変だよね(→夫がいるだけマシ、母親として当然のことでしょ)」

ふつうのいい人であれば、こんなことを言われると「ワンオペ育児で不満がたまるのは自分のせい?」などの間違った結論を出し、ここにめでたくガチガチの反逆なきワンオペ育児が完成する。不幸にもなんだかんだとワンオペで日々が回ってしまうと、外部も「なんだ、やれるじゃん」と助けを出さなくなってくるのだ。

我が家もそのパターンで修行を積んだせいで、燦然たる「母親+子ども共和国」と「父親ひとり王国」が出来上がった。王国から共和国へ金の援助はあるが、国境のミゾは深い。そしてそのミゾは年々深まっていくばかりであった。

その先にあるのは一体何か。
お金のつながり? 父親だけ距離のある家族? 熟年離婚?
うーむ、どれにしろハッピーな感じはしないな〜とぼんやり思っていたら、ある時、私が異常モードに突入した。夫が出張中に39度の熱が出たり、突然ベランダから飛び降りたくなったり、キレイすぎる月を見て涙が止まらなくなったのである。「あ、とうとうヤバいやつが来た」そう自覚した。

■子どもに何かあってからでは遅いので


次に思ったのは「これじゃ、おちおちワンオペもできない」ということだった。笑っちゃうが本当の話である。自分を保つのにさえ危ういヤツが、子ども2人の安全を確保できるのか? 殴ってしまったらどうしよう?
……その時期、仕事で慣れない案件を請けていたこともあり、やらかす前にどうにかせねばという危機感は満載であった。

私はまずジムに入会し、心療内科を探し、休日に昔からの友人と会うことにし、迷ったあげくに新規案件を辞退した。ファミサポのマッチングもした(いろいろあって未利用だが)。自分なりに自分を正常化しようと以下のように考えたからだ。

・人は頭ばかり使っていると正常な思考が鈍り、どんどん暗くなるので外に出て動くことが必要。
・幸せ物質とかいうセロトニンを清く正しく手に入れたい。
・私が家にいる限り母親役から逃られない。子どもたちは普段しみついたクセで、家にパパがいてもママに寄ってくるため、私が休むため家から離れる。
・自分と家族にキャパを充てるためエネルギーを取られるもの(仕事)を手放す。

結局、心療内科は受診しなかった。家族でいきつけの耳鼻科の先生(女性)が「何か辛いことがあったらここに来なさい。心療内科も紹介してあげるから!」と言ってくれたので、少なくとも医療のプロが味方にいると安堵したからである(ちなみに号泣)。

また先生は「ケイタイで連絡するんじゃなくて、夫がいるとき直接、つけまわしてでも話をしなきゃダメ!」と教えてくれた。先生いわく、自分も親だと自覚してもらうためには、文字よりも対面のしつこさが大事らしい。医者であり母親である自らの体験からのアドバイスなので、読者の皆さまもぜひ家の中で夫をストーキングしていただきたい。

■山が動いた、そしてこうなった


さて、夫への「どうにか生活を変えてほしい」という要請は、風のごとく、林のごとく、火のごとく続けて約3ヵ月、とうとう山が動いた。平日夜1〜2日「家にパパがいる」状態となり、それが2ヵ月続いて冒頭のことが実現したのである。

「パパ、ちらい(嫌い)!ママがいい!」とことあるごとに言っていた娘(3歳)が、「今日はパパと一緒にお風呂に入る〜」と言い出した時、心の底からうれしかった(結局私と入ったけど)。

いつも絵を描くとき、ママ(特大)、にいに(大)、自分(大)、パパ(極小)だったものが、先週とうとうパパ(特大)と自分(大)を描き上げたとき、粘り強い交渉が実を結んだと思った。息子(6歳)は、たびたび愛憎を極めて白目で私に突進してくるのだが、夫がいることでそれが減った。ママへみっちり向かっていた子どもの気持ちが徐々にパパにも傾き出したのだ。

夫本人にもきいたところ、「(娘のオレに対する)違いが顕著だな……」と自覚もあるようである。

私は「子どもから指名されない」「怒りの標的にされない」ことで、肩がす〜っと軽くなったのが分かった。育児の責任というものが半分消え、その分母親じゃない自分のキャラクターが戻ってきたと感じた。

コレコレ、こっち側ですよ。私、ワンオペ・クイーンじゃなくて、パートナーのいるツーオペ・クイーンになりたかったのである。一輪車じゃなくて二輪車……欲を言えば四輪車くらいで育児を回したい。そのためには、要であるもうひとつの前輪は夫に担当してもらわねばならないと痛感した。

まだまだ改善点はあるけれど、我が家の場合は、6年かかってようやくスタートラインに立った。

斎藤貴美子
コピーライター。得意分野は美容・ファッション。日本酒にハマり、Instagramの#SAKEISAWESOMEkimikoで日本酒の新しい切り口とコピーを思案中(日本語&つたない英語)。これからの家族旅行は酒蔵見学。二児の母。