2001年、ポスティングシステムでオリックス・ブルーウェーブからシアトル・マリナーズへ移籍したイチローは、メジャー1年目にして盗塁王、首位打者、MVPを獲得する活躍を見せた。そんなイチローの活躍を早々に確信していた男がいた。彼の名はジム・コルボーン。オリックスの投手コーチを務めていた時に若き日のイチローに出会い、衝撃を受けた。その後、マリナーズのスカウトになったコルボーンはイチロー獲得に尽力。彼の存在なくして、イチローのマリナーズ入りはなかったかもしれない。


コルボーン(写真右)と談笑するイチロー

 名古屋キャッスルホテルのロビーの柱の陰に隠れ、ひとりのアメリカ人スカウトが、携帯電話で話をしていた。そのスカウトは、大喜びで拳を振り上げた。

 ナゴヤドームでの日米野球から一夜明け、ほかのメジャー関係者たちは移動のためロビーに集合し、忙しくしていた。彼らが日米野球の架け橋をつくろうとし、集まっている一方で、柱の陰にいる男は、日米関係を最も深めることになる情報を、誰よりも先に入手したのだった。

 2000年11月10日の朝、(当時)マリナーズの環太平洋地域スカウト部長だったジム・コルボーンは、我が球団がポスティング制度での入札の結果、イチローとの交渉権を獲得したことを知った。

「思わず、『やった』と叫んでしまいました」

 コルボーンは南カリフォルニアの自宅で、その時と同じように拳を振り上げ、喜びを再現した。

「あの時はとても充実感を感じていました。イチローをシアトルに誘うため、私たちは何年もの間、いろんなことに努めてきました。彼はシアトルに来るべくして来たのです。私たちの努力を神様は見守ってくれていたのです」

 コルボーンは、イチローが無事に渡米できるよう、そして確実にマリナーズに入団できるよう、多くの時間を費やしてきた。

 90年から93年の間、オリックスの投手コーチをしていたコルボーンは、イチローが鈴木一朗として二軍に在籍していた時から、彼の潜在能力の高さに興味を示してきた。

「私は、二軍にとてもいい選手がいるというのを聞きました。その話を耳にした時、その選手は何試合か連続でヒットを打っていました。急激な成長を遂げるその選手を見に行かなくては、という衝動に駆られるようになりました」

 現場に行くと、コルボーンのイチローへの関心の度合いが、より大きなものになっていった。

「彼のバッティングをひと目見れば、人並み外れたバットコントロールと優れた流し打ちの技術の持ち主であることは明らかでした。それに、イチローはある試合で相手の執拗な内角攻めに対し、見事にライトへホームランを打ったんです。彼が前でとらえた強い打球は、かなりの飛距離が出ていました。

 そればかりかイチローは、その後の打席でも、まったく同じ要領でまたしてもライトへホームランを打ってみせたのです。その瞬間、私は心の中でいろんな想像が膨らみ、『この選手は内角の球に対してバットのヘッドを前に出し、引っ張ることができる上、流し打ちもできる。すべての要素が揃った、なんてすばらしい選手なんだ』と感激しました。

 彼が私の目の前でやってのけたことは、ロッド・カルーやジョージ・ブレッドのようなタイプの打者を彷彿とさせるほど、数少ない本当のプロのみが持つ、高い技術を要するものでした」

 コルボーンは、その日見た信じがたい光景を再度思い返しながら、首を振りつつ語り続けた。

「それを蝶の変態に例えるなら、蛹(さなぎ)になった段階。イチローがのちにすばらしいバッターへと進化を遂げる前兆であったのです」

 コルボーンは93年のシーズン後、アメリカに帰国して、97年シーズンにマリナーズに所属するまで、マイナーで監督を務めていた。その間、コルボーンは、日本で甚(はなは)だしく変化を遂げていく”蝶”を常に見つめていた。

 イチローは冬場、自主トレを南カリフォルニアでするようになり、近くに住んでいたコルボーンは、彼のためにノックや打撃投手をするようになった。コルボーンには、コーチとしてイチローの上達を手助けしたいという思いと、マリナーズのスカウトとしてなんとかイチローの意識をシアトルに向けさせたい、という2つの思いがあった。

 そしてコルボーンは99年、イチローがマリナーズのスプリングキャンプに2週間、特別参加できるように手配をした。

 コルボーンはその2週間が、マリナーズにとって、イチローの才能を見るいいショーケースとなることを密かに願っていた。しかし、腹痛と脱水症状により、イチローは1試合半しか出ることができず、6打席立って、1安打1三振という結果に終わってしまった。

「ルーのイチローに対する印象は、決して芳(かんば)しいものではありませんでした」と、コルボーンは当時の監督であったルー・ピネラの態度を思い出しながら語った。

「イチローが体調を崩してしまったことで、私が知る本来のイチローの姿をルーに見せることができなかった。それはとても残念なことでした。私のやるべき仕事は、マリナーズがイチローに対して興味をもつことだったので、この結果により、イチローが実力不足だと思われたのではないかと心配でした」

 しかし、コルボーン自身のイチローに対する評価は揺らぐことはなく、むしろ上がっていく一方であった。

 その2週間の間、マリナーズの練習終了後は、元メジャーの投手で、77年にノーヒット・ノーランを達成したことのあるコルボーンが、居残りでイチローの打撃投手を務めていた。

「私にはメジャーリーガー相手に10年間投げてきた経験があり、メジャーリーガーが投球に対してどのような反応をするのか知っています。私にはイチローがいかにいいバッターであるかわかっていたのです。

 ある日、アレックス・ロドリゲス(A・ロッド)が私たちの練習している姿を見て、飛び入りで参加してきたことがありましたが、彼と比べてもイチローの方がはるかにいいバッターであると、私は感じました。仮にそれがスプリングキャンプの時期であったとしても、ストライクゾーンに来たすべてのボールをうまく対処するところを見ると、やはりイチローの方が上だということは明らかでした。その時、私はマリナーズ関係者の誰かが歩み寄り、見てくれていたらいいのにと思っていました。

 A・ロッドは内角に大きな穴がありましたが、イチローには打ち返せないストライクゾーンの球はひとつもなかったのです。イチローの頭にはすべてのコースの球の軌道や動きがインプットされているのです。今まで私はそのようなバッターを見たことがありませんでした。

 私のイチローへの評価は、さらに上がりました。それと同時に、たとえメジャーの投手がどんなボールを投げたとしても、イチローなら必ず打ち返すことができる、という自信を持ちました」

 コルボーンはその後の1年半、マリナーズがほかのどの球団よりも高い入札額を払えるよう、体制づくりに時間を費やした。

 マリナーズが交渉権を獲得したことを名古屋で聞いたあの日こそ、10年にわたって思い続けたコルボーンの夢が現実になった瞬間だった。

 コルボーンの信念が正しかったことは、その後のイチローの活躍によって証明されたのだった。