日本文化好きのボーイ・ジョージ(左)に高橋代表が着物を用意

 夜な夜な必死にラジオをエアチェックしたあのころ、「外タレ」たちのサウンドに、日本中が夢中だった。そして待ちに待った来日公演、ポスターには「ウドー音楽事務所」と書かれていた。

 とある日本の音楽雑誌が、ディープ・パープルのギタリストであるリッチー・ブラックモアに取材を申し込んだ。マネジメントサイドは、こう答えた。

「ノーだ。だが、もしウドーのタック(後出の高橋代表)が来るなら、取材を受けてもいい」

 エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ザ・ローリング・ストーンズ、エアロスミス……。海外のビッグアーティストと、ウドー音楽事務所は、半世紀以上、強い絆で結ばれている。

 同社50周年を機に、「ウドーの生き字引」代表取締役・高橋辰雄氏(正しい表記は、はしご高)が、半世紀の歩みを語った。

「1967年に有働誠次郎が会社を立ち上げ、米軍のベースキャンプや将校クラブなどをブッキングしていました。サミー・デイヴィスJr、ナット・キング・コール、ジャクソン5とか。

 まだプロモーターが『呼び屋』と呼ばれていた時代ですね。1971年からロック、プログレ、ポップスと、いろんなアーティストが来日するようになりました」(高橋代表、以下同)

 日本でコンサートを開催したければ、ウドーに頼めばいい。「ミスター・ウドー」の名前は、わずか数年で、エージェントたちに浸透していった。

 ウドーが担う業務は、コンサートの運営、制作、アーティストやスタッフの衣食住の手配など、じつに幅広い。

「日本の会場のスケジュールを押さえて、アーティスト側と交渉します。洋楽だと、日程が決まるのが早くても6、7カ月前。なかには、3カ月前というケースもあります。

 スケジュールが組みやすい邦楽が金、土、日を押さえてしまうので、どうしても洋楽はウイークデーが多くなる。

 日程が決まると、次はギャラの交渉。基本は、お客さんの入りに関係なく同じです。チケットの売り上げが一定数を超えたら、追加のボーナスを支払う、という場合もあります」

 契約が決まると、「ライダー」と呼ばれる手配書が、ウドーに届く。そこには、アーティスト側からの要望が、事細かに記されている。

 メンバーの宿泊先は、5つ星のホテルで、会場まで車で15分の距離。窓が開けられる部屋。ツアーマネージャーもアーティストと同じホテルに宿泊。

 24時間アテンドできる態勢を取る。従業員やVIPだけが使える、裏の動線を使用できるように。ホテルのメニューにない料理を用意する……等々。

「僕らは、見かけだけは『イエスマン』にならなきゃいけない。イエスマンになりつつ、うまくオペレーションをしていく。

 彼らのオーダーは、たんなるわがままではなく、アメリカやイギリスではこんなスタイルでやっている、ということ。相手をリスペクトして、理解して対応する。

 どこまで我々が応えられるのか、というのがクオリティですね。言い換えれば、演歌の付き人、もしくは、ベビーシッターのようなもの(笑)」