渋谷ヒカリエのオフィスにて。社内の家族向けイベントのために作られた社員紹介パネルが展示されている

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年間売上約1300億円 オークション、ゲーム、球団経営…アップダウンの20年を語る

渋谷ヒカリエのオフィスにて。社内の家族向けイベントのために作られた社員紹介パネルが展示されている

 東京・渋谷ヒカリエ内のオフィスの通路には、キックボードが立てかけてあった。DeNA・南場(なんば)智子会長(56)は、何かあるとこれに乗って担当社員を訪ね、現場の意見に耳を傾けるという。

 時には言い合いになることもある。撮影時、彼女は笑って「例えばこの前は彼ともケンカしましたよ」と若い男性社員に視線を送った。

 その視線の先を見ると……社員もいたずらっぽく笑っていて萎縮した様子がない。いまや年間売り上げ約1300億円、横浜DeNAベイスターズのオーナー企業としても知られるDeNAのカリスマ創業者・南場智子と言い合いをしても、彼らは平気なのだ。彼女はいかにして、こんなユニークな"仕事場"をつくったのか?

「できることは全部やる」

 南場は元々、外資系企業(マッキンゼー)に在籍する優秀なコンサルタントだった。同社で34歳にして日本支社のパートナー(役員)を務めた後、独立してDeNAを起業したのは’99年のこと。彼女はこの決断をさらりと振り返る。

「人の会社に横から口を出しているうちに、自分で事業をやりたくなってしまいました」

 最初に立ち上げたのはオークションサイト「ビッダーズ」。ところが、時期を同じくしてヤフーオークション――現在の「ヤフオク!」が日本でもサービスを開始した。相手は資本が大きく、米国ですでに実績のあるシステムを持っていた。当時の小さなDeNAは最強の競争相手に立ち向かうことになってしまったのだ。

 だが、この創業時の苦労は、現在のDeNAに繋がる糧となった。

「あの時、会社に『できることは全部やるんだ』という"根性"がついたんだと思います。ビッダーズの広告をヤフオクに掲載してもらったこともありました(笑)。そういう強さというか」

 やがてDeNAの進撃が始まる。きっかけはネット上にショッピングモールを開設したこと。南場と社員は魅力的な商品を集めるため、皆で人気店にどぶ板営業をかけた。当時、南場は多くの出資者を巻き込んでおり、周囲から「失敗したら自殺するのではないか」と心配される有り様だったが、ここにしかない商品が増えると事業は一気に拡大。’02年度の下期、ついに初の黒字を達成する。「DeNAの20年で、うれし泣きしたのはこの1度だけ」(南場)だったという。

 DeNAの名が広く知れ渡ったのは、’06年、SNSやゲームを楽しめる「モバゲータウン」の開設からだろう。南場の経営判断により、いち早くモバイル領域に進出したことが効を奏し、2年後には会員数が1000万人を突破した。

 ただし、大成功の一方で手痛い失敗もあった。モバゲーユーザーはSNS上で自分の分身、"アバター"になる。ユーザーの中には、毎日のようにアバターが着る服やアクセサリーを買っておしゃれを楽しむコア層がおり、売り上げは1日1億円にも達していた。

「社内では、なぜこれが流行るのかがわからず『(好調は)いつ止まるの? 買っているのはどんな方?』と議論や調査も行っていました。でも『はっきりしませんが、とにかく伸びてます』という状況でした。私たちとしては『飽きられたくない』という恐怖感もあって、テコ入れのつもりで、二次元だったアバターを三次元に変えたんです。そうしたら……」

 アバターの見た目を変えることは、それまでコア層が買い集め工夫を凝らしてきたファッションが、一瞬にして時代遅れになることを意味する。彼らは怒り、モバゲーから離反してしまう。南場にとっては、「理由がわからない好調ほど怖いものはない」という教訓になった。

 DeNAが歩んだ20年は、こうした成功と失敗、光と影、浮きと沈みの中でチャレンジしてきた試行錯誤の積み重ねでもある。アバターで反省した後、’09年にはソーシャルゲーム「怪盗ロワイヤル」が大ヒット。DeNAはモバゲーのプラットフォームを他のゲームメーカーに開放し、多数の社が参加することで業界は大いに盛り上がった。

 いつしか、モバイル・ゲーム業界のカリスマ的な存在として大きな注目を浴びるようになった南場。だがそこにはやはり、明と暗が混在する。

「私たちの成功は世界でも評判になり、国際会議では立ち見が出ました。でも"ガラケー"で上手くいっていた分、結果としてスマートフォンの市場に乗り遅れた部分はあります。『スマートフォンの普及に備えよう』というメッセージは社内に出していたのですが、経営者としては、それだけでは足りなかった。『ガラケーはすぐに、必ずなくなる』という恐怖感を持って、全社を挙げて対処するべきでした。事業が伸びるのは半歩先んじていた時です。でも少し油断すると半歩遅れてしまう」

 そして、彼女はこう笑うのだ。

「まあ、いい時も悪い時もありますよ。アップダウンが激しい業界ですから」

組織にも「生き様」がある

 アップ(浮き)とダウン(沈み)。それを乗り越え、時には受け入れ、歩んできた道が、現在も経営者を続ける南場智子という人間を形作っているのだろう。

「もちろん、人は順風満帆に進むのが一番ですよ。でも苦しんだ人の方が人間味や深みがあるじゃないですか」

 ’11年、夫(紺屋勝成氏・元USEN取締役)が病に倒れ、南場は代表権のない取締役に退き、戦う社長から一転、献身的な妻になった。しかし’16年、DeNAは医療・ヘルスケア情報のキュレーションメディア「WELQ」に不正確な医療情報を掲載した問題で、囂々(ごうごう)たる批難を浴びる。この時、南場は現場の責任とせず、自ら批判の矢面に立ち、会見の場で頭を下げ、謝罪した。会見は、夫が亡くなった2日後のことだった。

「困難とは、それをどういう姿勢で乗り越えるのかを社内外に示す機会でもあると思います」

 これが会長・南場智子の覚悟だ。

「私が経営のなかでわかったのは、人にも生き様があるように、組織にも生き様がある、ということです。優秀な方はお金や結果を求めるより、自らの成長を求め、世の中に何かを残そうとしますよね。同様に永続的な組織を目指すなら、目先の事業を興すことも大切ですが、社員と苦難を乗り越えていくことが、最も大切だと思うんですよ」

 南場が、「大丈夫か、しっかりしろ」などと叱咤しつつも、長年可愛がってきたDeNA社員がいる。その彼が、ベイスターズの担当となり、ある時、選手たちに話した言葉があるという。

「球団所属の選手には規則があるんですけど、彼がその規則を緩和することに決めました。『髪型や服装のようなルールは緩和します。ファンや青少年のお手本になろう、という思いがチーム内に徹底されてきたからです』と。その時に言ったのが『良い組織はルールが少ない。なぜなら、文化がしっかりしているものですから』って言葉で。私、もう感動しちゃって(笑)。こんなすごいことを言うようになったんだぁって」

 ネット・モバイル業界の栄枯盛衰は激しい。DeNAにも、これまでがそうだったように、これからも幾多の試練が待っているかもしれない。だが、南場はこれからも厳しく、温かく、社内を走り回ってその「生き様」を伝えていくのだろう。

(文中一部敬称略)

’84年、津田塾大で年に1人だけ選ばれる奨学生となり、米国の名門女子大ブリンマー大に留学。得意科目は数学

名刺入れに手描きされた「マリオ」は、生みの親である任天堂・宮本茂氏に描いてもらったもの。宝物だという

オフィスに置かれたキックボードでフロア内を移動することも。「気分転換と、IT企業っぽさに憧れて(笑)」

モバイルゲーム事業と同時に、ベイスターズの運営、さらには電子書籍やコミックまで幅広く事業を展開する

取材・文:夏目幸明(経済ジャーナリスト)

PHOTO:鬼怒川 毅 DeNA提供(2枚目写真)