新宿三丁目を中心に新聞配達を続けている「新宿タイガー」。一見怖そうだが、実際は気さくで喋り出したら止まらない。仮面の下の素顔もよく見せている。持ち物や装飾品は季節によって変えている。現れるときはラジカセからテーマソングが流れる(撮影:梅谷秀司)

タイガーマスクのお面にまっピンクのアフロヘア、極彩色の服、多数のぬいぐるみや造花……。新宿を歩いていると、そんなカオスな出で立ちの人物を見かけることがある。新宿で虎のお面を被り続けて45年、通称「新宿タイガー」だ。

その正体は、原田吉郎さん(71)。職業は新聞配達員。朝日新聞新宿東ステーション(ASA大久保)に勤め、今なお朝・夕の新聞配達を毎日行っている。担当エリアは新宿三丁目界隈だ。

夜はタイガーのいでたちでゴールデン街へ

新宿タイガーには、大の映画好きという顔もある。仕事が休みの日や、夕刊がない日曜を中心に映画館へ通い、1日に3〜4本はしごすることも珍しくない。劇場で座る席は「映画におもいっきり没入できるから」という理由で最前列の中央と決めている。

夜は毎晩のように新宿ゴールデン街へ飲みに出る。仕事休みが火曜なので、月曜夜は朝方まで飲むことも少なくないという。新聞配達も、映画鑑賞も、ゴールデン街も、電車も、外出はすべてタイガーの装いで行う。

そんなタイガーの勇姿を比較的見かけやすいのは、朝刊を配る早朝、夕刊を配る15〜17時くらいの新宿三丁目付近と、夜のゴールデン街だ。今では「新宿タイガーを見るといいことがある」「一緒に写真を撮ると幸せになれる」といった都市伝説もあるほどで、ついにこの3月、彼を追ったドキュメンタリー映画も公開される。


『新宿タイガー』は3月22日からテアトル新宿にてレイトショー公開ほか是国で順次公開予定©「新宿タイガー」の映画を作る会

それにしても、このスタイルを45年間続けるというのは、並大抵のエネルギーではない。デコラティブな衣装の総重量は10キロほどもあり、取材当日も部屋のドアを通ったり、着席したり、階段を上ったりするだけでも相当に難儀そうだった。これを半世紀近くも続けるというのは、言葉は悪いが狂気すら感じさせる。

そもそも、なぜ新宿タイガーになろうと思ったのだろうか。

タイガーの出身は長野県松本市波田地区。実家は養蚕農家だった。生年は1948年で、現在71歳。タイガーは幼少時代をこう振り返る。

「田んぼの中にある藁葺き屋根の一軒家で幼少を過ごしました。当時はお祭りのときに夜空の下でいろんな映画を無料で観せてくれました。それはそれは楽しみでしたね。だから祭りから祭りへと観に行っていました。あと当時はテレビが始まったばかりでまだ白黒でしたが、月光仮面や白馬童子、まぼろし探偵、快傑ハリマオ、豹(ジャガー)の眼なんかがヒーローでしたね」

タイガーマスクのお面を30枚すべて買った

中学卒業後、地元の梓川高校に進学。3年生のときに競歩大会で優勝するほどの健脚の持ち主だった。そして卒業後に上京。練馬区の江古田駅界隈で読売新聞の新聞奨学生として配達をしながら、大東文化大学に通った。ところが大学は2年で中退。そのまま新聞販売所に就職した後、現在も所属する新宿の朝日新聞の販売所に移籍。担当は新宿三丁目地区。その後、タイガー誕生となる契機が訪れる。

「歌舞伎町にある稲荷鬼王神社のお祭りで、いろいろなお面が50枚ズラーッと並んでいたんです。その中にあったタイガーマスクのお面を見て『これだ!』と直感で感じました。あるだけすべての30枚を買い、それを今もストックしています。だからずっとタイガーをやれているんです

もともと変身願望はありましたが、新宿三丁目という昔ながらのロマンと大繁華街がみごとに調和したすばらしい舞台とお面という2つが組み合わさらなければ、新宿タイガーは生まれませんでした。当時は新宿三丁目からコマ劇場まで、自転車で飛行機乗り(足を後ろに投げ出して体と地面が水平になる乗り方)で、ノンストップで行くこともありました」

以降、新宿に“怪人”がいると、多くのテレビ、雑誌で取り上げられるようになる。ドラマや映画に出演することもあった。ただ、人から罵声を浴びせられたり、酔っぱらいにからまれたり、殴られる・蹴られるといった暴力を受けることもあった。勤め先や朝日新聞本社からも、はじめは「その格好で配達はどうなのか」と、いい顔はされなかったが、愚直に続けることで次第に容認されていったという。


「新宿が大好き」という新宿タイガーは、近年訪日外国人からも人気。これからも新聞配達を続けるつもりだ ©「新宿タイガー」の映画を作る会

とはいえ、やはり気になるのは原田さんがタイガーとなるまでに、いったい何があったのかだ。しかしそのことに話を向けると「直感に理由なんてないんです」といった返答となり、すぐに別の話に移ってしまう。前述のドキュメンタリー映画の中で、タイガーの親友で俳優の久保新二氏がこう話す場面がある。

「タイガーの実家は大きな家で財産持ちなんだ。(中略)でも『俺は新宿で好きなことをやって生きていくから、何かあっても帰れないよ。家のことは任せるよ』と言って新宿に来ているんだよ」

実家の家族については、タイガー本人もこう語っている。

「つい最近、父と母が亡くなって、弁護士を通じていくつもの銀行口座に残された財産をどうするか聞かれましたが、弟(すでに他界)の嫁にあげてしまいました。お金には一切固執しない。だから自由なんです」

人生はシネマと美女、酒と夢とロマン」

タイガーは常々、新宿タイガーでい続けることについて「世の中にラブ&ピースを届けるため」「人生はシネマと美女、酒と夢とロマン」と語っているが、特に美女の部分が大きな原動力の1つとなっているようだ。

タイガーは映画好きとこの風貌が相まって、俳優や映画監督の知り合いが多いが、ドキュメンタリー映画では女優・宮下今日子をはじめ美女とゴールデン街で飲み明かすシーンがいくつもある。取材時もタイガーは自身のスマホを取り出し、最近飲んだという数多くの美女たちの写真を見せてくれた。


大の映画好きで映画の話になると、本当に止まらない。好きな女優はオードリ・ヘプバーン、マリリン・モンロー、そしてエリザベス・テイラー、イングリッド・バーグマンと美女揃い(写真:梅谷秀司)

「こうやってシネマと美女がちゃーんと実写となって目の前に現れる。こういう夢があるからこそ『人生は虎で始まり、虎で終わる』なんですよ。でもどんなに好きな人が目の前に現れても、夢とロマンでいいんです。それ以上望んじゃダメ。そんなの望んだこともありません」

ドキュメンタリー映画中にはこんな印象的な場面もあった。タイガーが、最も好きな映画で過去に15回も劇場で観たという『ローマの休日』を映画館の最前列で観ているシーンだ。マスクを外したタイガーは、あんぐりと口を開け、にっこり笑いながらスクリーンに魅入られている。年齢は違えど、名作『ニュー・シネマ・パラダイス』に登場するあの子どもと同じような、汚れのまったくない顔がそこにあった。

「なぜタイガーかというと、虎はジャングルの王だからです。何があっても負けないし、ブレない。権力や名誉には一切興味がない。俺は人間と動物が共存した存在だけど、自然を破壊する人間より、野生でいる動物の味方だね」

タイガーに変身することは、不純な精神と決別し、ありのままのピュアな姿で生きるという決意表明なのかもしれない。それは見る人によってはアートであり、生涯をかけたパフォーマンスだ。機会があればぜひ一度実物を見て、その生々しい姿を体感してもらいたい。見れば本当にいいことがありそうだ。