サザエさんの食卓研究 〜50年前、磯野家の晩酌はこうだった〜

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さかのぼること4ヶ月前、Amazon Prime Videoで「ある作品」が初めて配信されることになり、事件的な盛り上がりをみせました。

作品のカスタマーレビューは4.8。レビューの84%は星5つをマークし、コメント欄では「歴史的快挙!」や「平成最後のプレゼント」など、すがすがしいほどの歓喜で一色です。

この作品というのが、国民的人気アニメの「サザエさん」です。

アニメ・サザエさんは1969年(昭和44年)の10月5日、フジテレビで始まりました。少しだけでも見ていただくとわかりますが、現代のサザエさんとは表情も声も違っていて、磯野家全員の性格もエッジが効いています。

当時の時代背景を尊重し、原版のまま配信していて、社会生活史としても貴重な資料とも言える本編は見応えたっぷりなんです。

そこで今回私は、サザエさん一家の夕飯の皿数や、カツオが食べたいとせがむお菓子の種類、サザエさんが行くスーパーマーケットの様子などから、当時の食文化を数回の連載にして、ご紹介していきたいと思います。

放送が開始された1969年は、どんな時代だったのか?

エピソード1の磯野家一家の夕食シーンより。お米はおひつの中で、ちゃぶ台の上には焼き魚が確認できる

配信されているサザエさん(エピソード1)の食文化を紐解くために、いくつか時代背景をインプットさせてください。

アニメ・サザエさんが放送開始された1969年は、どんな時代だったのか?まずは当時の「空気感」をエピローグとして紹介します。

<1969年(昭和44年)> 
・東京オリンピック開催の5年後
・東名高速道路 全線開通
・「アポロ11号」人類初の月面着陸成功

1969年は、東京オリンピック開催から5年たった頃であり、この年に東名高速道路が全面開通し、世界ではアポロ11号が月面に着陸しました。

日本の至るところでインフラ工事がさかんに行われ、サラリーマンは「モーレツ社員」としてフルスロットルで働くことが美徳とされた時代です。

この当時の様子を実写で追究したいなら、同年に公開された「男はつらいよ」の第1作を見ることをおすすめします。

「男はつらいよ 第1作」

サザエさんのファッションは、寅さんの妹にあたるさくらと似ていますし、住環境や幹線道路の雰囲気もぴったりで、時代の空気感をより深く理解することができます。

世界初のレトルト食品「ボンカレー」、世界初の缶コーヒーUCCも発売

当時は食のトピックも豊富な時代です。

高度経済成長期で日本中が活気に満ちた時代でしたが、まだまだ庶民の生活としては貧しい時代。暮らしの中で一瞬だけでも「豊かな体験」をすることが、食の贅沢だったのかもしれません。

前年には「ボンカレー」、国産スナック菓子の「カール」が登場して、「サッポロ一番みそラーメン」もこの頃から。にんべんから「削り節」も登場しました。

生きるためにつべこべ言わず食べる時代から、楽しさ、おいしさを求めて、食と向き合う時代へ変わりつつある1969年だったと言えそうです。

「家族団らん」という言葉も、各世帯にテレビや冷蔵庫が定着しはじめた、この頃に生まれました。

この時代の波平たちは、ビールと熱燗で晩酌しまくっている

それでは本題にはいりましょう。初回の今回は1969年の磯野家の「晩酌文化」をウォッチしたいと思います。

波平はとってもお酒が大好きなタイプ。

磯野波平はもともと博多出身。九州男子ならば酒豪でもおかしくありませんが、深く酩酊するシーンもよく描かれていて、お酒で失敗することも多々あります。

エピソード22「台所波平記」では、波平が珍しく台所にたって夕食を作ろうとするものの、料理の途中で調理酒を発見。つい飲み始めてしまって酩酊してしまう……というお話です。

エピソード22「台所波平記」より

そのぐらいお酒が好きな波平ですが、彼が愛飲しているのは、ビールと熱燗です。

サッポロ派?アサヒ派? 磯野家の好きなビール銘柄を探る

「まずは一杯」と言って揚々とビールを注ぎ合う波平たち。

その姿は現代のおじさんたちともあまり変わりはありません。満員電車で出勤して定時になったら帰宅する波平たちの最高の瞬間は、やはりこの晩酌の時間なのでしょう。

ここで気になるのは、波平がキリン派なのか、サントリー派なのか、はたまたアサヒ派なのかということ。そのあたりを探ってみました。

今から50年前のビール市場は、当然ながら現在とは全く状況が異なります。

1953年(昭和28年)頃は、原料配給制の関係で、朝日麦酒(現在のアサヒ麦酒)と日本麦酒(現在のサッポロ)と麒麟麦酒の3社のシェアは同率だったものの、それ以降は麒麟が独走体制で1976年にはシェアが63.8%だったそうです。

アニメが放送された1969年も、それなりに麒麟のシェアが優位だったという売上実績と、波平が持っているビール瓶ラベルが比較的麒麟の赤いラベルと似ている?ことから、磯野家はキリン派だったのではないかなと考えることができそうです。

しかし、波平は不動のキリンファンというわけでもないようで、シーズン1終盤の1970年の放送回ではラベルは緑色にチェンジされています。

ラベルの色を見るに、サントリービールのようにも見えます。ここは現代と同じで熾烈なビール戦争によって、庶民のお気に入りビールの銘柄もコロコロ切り替わっていたのかもしれません。

つまみは質素に漬物単品

晩酌で気になるのは「おつまみ」。

今なら、枝豆やキムチ、よだれ鶏とかウインナーの炒めものとかを想像してしまいますが、当時はいたって質素です。

普段の晩酌シーンで、フネに熱燗をついでもらっているシーンの食卓には「漬物」と認識できる小皿のみ。

もちろんアニメ制作の視点で、料理の描写を少なくするためにメニュー数を減らしたのかもしれませんが、この時代からすると、食事前の晩酌のアテは漬物程度だったことも十分考えられます。

ちなみに、頻繁に使われている「辛党」という言葉。

1920年代に浸透したとされているこの言葉の本来の意味合いは、唐辛子などの辛味好きではなくて「酒好き」を意味しています。

昔は、塩や味噌を舐めながら酒を飲んでいたこともあって「辛党」、ということになったようです。

なお、晩酌文化が庶民に浸透したのは、冷蔵庫の社会的浸透と比例していきます。冷蔵庫がなければ、冷えたお酒を飲むこともできないし、多彩なおつまみを作ることもできない。

日本の食文化に、調理家電は大きな影響を与えていたことがよくわかります。

来客のときは漬物+お魚二尾!

ただし、来客の場合はわけが違います。

徳利を12本も開けた波平と来客者のちゃぶ台には、比較的大ぶりな焼き魚2尾と、漬物が確認できます。

焼いたさんまのような魚と漬物で、彼らは徳利をこのぐらい空けているのですから、さすが「辛党」な波平です。

年中登場する熱燗。酔うために飲むという意識

磯野家の晩酌シーンで「熱燗」もかなりの頻度で登場します。こちらは、カツオが訳あってマスオさんとおでん屋で会話をしているシーン。

半袖のカツオから察するに、季節は夏。しかし、その横でマスオさんは熱燗を2本あけています。

徳利とお猪口は、イラストとしてもわかりやすいですし、伝えやすかったのかな?と書き手のことを想像しつつ、熱燗がこのぐらい大衆酒であったことも事実です。

当時の日本酒はまだ製造法も優れていなく、あまり美味しくなかったのだとか。よって「冷なんてもってのほかで、熱燗にしないと呑んでいられない」というのが事実としてあったようです。

サザエとフネが家族のために徳利に熱を入れている光景。今ではあまり見ない光景です。

波平の晩酌シーンは、日本が豊かになり始めた証だった

 
1955年から始まる日本の高度経済成長期に、ビールは飲食店だけでなく、家庭でも飲まれるようになりました。

ビールは元来、主にビアホールやカフェーなどの飲食店で飲まれるものでしたが、1960年に大蔵省主税局が実施した世論調査によると、都市世帯ではビールの家庭消費量は全体の47.4%、農村地帯では51.4%に達しています。

このような家庭でのビール消費量の急激な増加に大きく貢献したのは、電気冷蔵庫の普及です。

電気冷蔵庫の普及率は、1963年に40%近くに達し、1971年には90%を突破。冷蔵庫が自宅にあることで、瓶ビールを冷やすことができ、晩酌文化が生活に根ざしてきた背景があります。

波平やマスオさんの晩酌風景は、日本中が豊かさに向かって走り出した光景の原点と言えるのかもしれません。

慎ましくも、好きなお酒を自宅で楽しめる喜び。家族との団らん時間の中で、リラックスできる喜びが、この晩酌シーンには詰まっているように思います。

現代の”いつもの光景”の原点を探る、サザエさんの食卓研究の旅。

ぜひぜひ、お楽しみいただけると嬉しいです。
 

・Amazon Primeの「サザエさん」はこちら

ライター紹介

渥美まいこ
フードプランナー/家庭料理ジャーナリスト。1986年生まれ。食トレンドの謎を解明したり、ミレニアル世代の食の嗜好性について考えています。最近は全食欲をベトナム料理に注いで生きています。 ブログ Twitter