西沙諸島のディスカバリー礁(華光礁)周辺で操業していたベトナムの漁船が、3月6日、中国船に衝突されて沈没した。ベトナムのメディア(Tuoi Tre)によると、漁船に乗っていた5名は漁船の残骸にしがみつき2時間ほど海面を漂っていたところをベトナム漁船によって救助されたということである。

 中国側メディア(中国共産党新聞網)が伝えた中国外交当局者の発表によると、ベトナム漁船から救難信号を受信した中国公船が直ちに現場海域に急行したところ、ベトナム漁船が沈没しつつあったため、中国の海洋捜索救難センターに通報し、中国救助船が派遣されたということである。

 中国当局は、5名のベトナム漁民は救助されたとしているが、ベトナム漁船と衝突した船についての情報や、ベトナム漁船を救助したのは中国救助船なのかベトナム側の報道のようにベトナム漁船なのか、などの詳細については明言していない。

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多発する衝突“事故”

 西沙諸島海域、そして南沙諸島海域でのこの種の衝突事故による沈没事故は近年増加しているという。ベトナム漁船が中国船に衝突されて沈没した事例はしばしば報道されている。だが、報道されている“事故”は氷山の一角に過ぎない。ベトナムからの留学生(軍事情報研究のために渡米している)が米海軍関係者に語ったところによると、「毎週のように衝突事件が繰り返されていると言っても過言でない状況である」ということだ。

 西沙諸島や南沙諸島での領域紛争で軍事的優勢を掌握しつつある中国当局は、これらの海域で海上民兵が操船する漁船を多数操業させ、ベトナム漁船やフィリピン漁船などに脅威を与えている。

 アメリカ海軍などが“第3の海軍”と呼ぶ海上民兵たちは、南シナ海での中国の主権を守る“任務”に従事することが、自らの漁業権益を確保することに直結するため、積極的に任務を遂行することになるのだ。

 そして海上民兵の漁船群の周辺には、“第2の海軍”である中国海警局の各種巡視船が「安全操業の確保と違法操業の監視」に当たっている。それらの周辺は、“第1の海軍”である中国海軍艦艇が警戒監視に当たっている。

 それだけではない。西沙諸島のウッディー島(永興島)、南沙諸島のファイアリークロス礁(永暑礁)、スービ礁(渚碧礁)、ミスチーフ礁(美済礁)には航空基地が設置されているため、海南島や中国本土から飛来する中国海軍機は心置きなく南シナ海の警戒監視活動を実施できるような状況になっている。

ディスカバリー礁(華光礁)とウッディー島(永興島)の位置


 このように、南シナ海における中国の圧倒的な軍事的優勢がほぼ確立している。そのため、西沙諸島や南沙諸島で“毎週のように繰り返されている”衝突事故は、報道されないどころか報告すらされない状態になりつつあるとのことである。

 なぜならば、ベトナム当局が中国側に強く抗議すると、さらに衝突事故が頻発する結果となってしまうからだ。政府間の対応は八方塞がり状態に陥っているというわけだ。

静観するしかないベトナム当局

 実際にベトナム漁船と衝突事故を起こすのは中国公船ではなく民間の漁船である。その漁船が海上民兵によって操船されていても、偽装漁船でも軍艦でも公船でもなく、あくまでも漁船である。したがって、ベトナム当局が中国側に抗議しても、漁船同士の衝突に関して中国政府には責任はないと言われればそれまでだ。

 おまけに強行に抗議するとさらに衝突事故が起きてしまうため、ベトナム側としては衝突事故を表沙汰にして騒ぎ立てても無意味どころか逆効果である。結果的に静観するしかなくなってしまっているのだ。

 もちろん、ベトナム側が中国の海洋戦力に痛撃を加えられるレベルの海洋戦力を保持していれば、中国側としてもベトナム漁民を圧迫する“作戦”は差し控えざるを得なくなる。

 だが、ベトナムの戦力は地上軍に偏重している。ベトナムは陸続きの中国からの軍事侵攻に備えて比較的強力な地上軍(ベトナム陸軍、国境警備軍)を備えている。中国軍としても、そう簡単にベトナム軍を打ち破ってベトナムに進行できるとは考えていないはずだ。しかしながら、西沙諸島や南沙諸島のように海域で作戦行動を実施する海洋戦力となると、ベトナム側が圧倒的に劣勢であり、手も足も出ないという状態に近いのだ。

島嶼の奪還は至難の技

 1974年に南ベトナム海軍と中国海軍が戦闘を交えて中国側が奪取した西沙諸島は、それ以降、中国による実効支配が続いている。西沙諸島の中心となっているウッディー島(永興島)には軍事拠点だけでなく“中国の領域”である南シナ海の行政を司る政庁まで設置されており、中国の領土としての体裁が完全に整っている。

 このような状況でベトナムが西沙諸島の主権を取り戻すには、再び中国海軍と戦闘を交えて、力づくで奪い返すしか方法はない。しかし、比較することすら無駄なほど海洋戦力に差が生じてしまっている現状では、そのような可能性はゼロに近い。

 西沙諸島での事例は、日本にとって決して対岸の火事ではない。西沙諸島や南沙諸島にしろ尖閣諸島にしても、また中国との間に限らず竹島や千島列島にしても、ひとたび島嶼を完全に占領されてしまうと、それを取り戻すには軍事力を用いて奪還する以外には方法がない。その現実を、中国は南シナ海で、日本をはじめとする国際社会に教示しているのだ。

 そして、島嶼奪還のための戦闘が極めて困難な軍事作戦となるのは必至である。島嶼周辺に限定された局地戦には留まらずに全面戦争に発展しかねないことを覚悟しなければならないのである。

筆者:北村 淳