子役時代を経て、葛藤や歯がゆさと戦いながら――須賀健太が踏み出す「第2章」

最初は、「仕事」なんて感覚はほとんどなかった。

ヒーローごっこが好きだった子ども時代。同世代の子が特撮ヒーローものに出ているのを見て、自分もやってみたいとテレビの世界へ。

須賀健太のテレビ初出演は、NHK連続テレビ小説『すずらん』(1999年)。出演シーンはわずか4秒ほどだったが、周りが大騒ぎしてくれることがうれしかった。

そして、7歳で出演したドラマ『人にやさしく』(2002年)。高視聴率を連発する“月9”、それも物語の核を担う大役に抜擢され、一躍人気者に。11歳で出演した映画『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005年)は第3弾まで作られる人気シリーズとなり、“天才子役”の地位を確立した。

そんな彼も芸能生活20周年。国民の息子のような存在だった須賀は24歳となった。 “天才子役”の肩書きに悩んだ時期を乗り越え、今、俳優人生の第2章へ踏み出そうとしている。

撮影/アライテツヤ 取材・文/横川良明
スタイリング/立山 功 ヘアメイク/狩野典子
衣装協力/チェックガウン、チェックパンツ/以上全て CHORD NUMBER EIGHT(GARDEN TOKYO & THE OPEN ATELIER:tel.03-3405-5075)、Tシャツ/meagratia(meagratia:tel. 03-4283-2754)、その他スタイリスト私物

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最初は、「2.5次元舞台なんか出るんだ」って言う人もいた

2018年12月、ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」"最強の場所"をもって、須賀は約3年にわたって演じ続けた日向翔陽役を“卒業”した。インタビューを行ったのは、涙と笑顔の大千秋楽から1ヶ月半ほど経った、冬のある日のこと。「まだ全然卒業したって実感がないんですけど」と笑いながら、演劇「ハイキュー!!」と過ごした日々を振り返ってくれた。
演劇「ハイキュー!!」は、高校バレーボール漫画を舞台化した、いわゆる“2.5次元”と呼ばれるジャンル。須賀さんが2.5次元に出るというのは、少し意外でした。
僕個人はあんまり2.5次元というジャンルとして見てなくて。そもそも僕はお話をいただいたら、できる限り何でもやりたいタイプ。ミュージカル『テニスの王子様』もよく観ていて、カッコいいなと思ってました。

何より『ハイキュー!!』に関しては、僕自身、(原作者の)先生にお手紙を出そうと思ったこともあるぐらいの大ファン。だから楽しみな気持ちのほうが強くて、これまでと違うジャンルのお仕事という意識はなかったんですよ。
周りがざわついているだけで、須賀さん自身はあくまでフラットで。
だから不思議でした。2.5次元に出ることが、そんなに引っ掛かるんだって。それこそ「2.5次元なんかやるんだ」って言う人もいましたし。
そういう言われ方をされることも?
ありましたね。どうしても正統な演劇として見られていないというか、安く見られているようなところがあって。2.5次元に出ることに対して、否定的な見方をする人も中にはいました。
そういう偏見に対して、須賀さん自身はどうしたいという気持ちがありましたか?
作品に対する熱量とか、スタッフさんの想いとか、2.5次元とそうじゃない作品で何が違うかと言ったら、何も変わらない。大切にされている作品は大切にされているし、そこに熱量をかけている人たちがいる。だから、あまり「ジャンル」としてとらえたくないなっていう思いはずっとありました。

あとは、2.5次元ってダンスがカッコいいとか、アクロバットがスゴいとか言われることが多いんですけど、パフォーマンスだけって思われるのも嫌で。お芝居として面白くあるべきとは思っていました。そういう作品のほうが、2.5次元を好きな方も、そうじゃない方を誘いやすいじゃないですか。

演劇「ハイキュー!!」に関してもその気持ちはずっと持ってたし、自分が関わる以上、絶対に面白くしたいと思いながらやっていました。
同世代であったり、子役時代のことをほとんど知らない年下世代にとっては、新たに須賀健太に興味を持つキッカケになったのではないかな、と思います。
それはありましたね。演劇「ハイキュー!!」は、自分の俳優人生の第1章の終わり、そして、これから始まる第2章とのあいだにある作品なのかなって思っています。
それはどういう意味でしょう?
僕はそれまでドラマや映画のお仕事が多くて、これだけ舞台をやるようになったのは、この4〜5年ぐらい。そこで、周りから“舞台もできる人”と認知してもらえたのは、演劇「ハイキュー!!」があったから。

自分の中では、区切りの作品だと思っています。演劇「ハイキュー!!」をやり終えたことで、またここから次の一歩を進むんだと晴れやかな気持ちになれた。

芸能生活20周年ということもありますし、すごくいろんなことが重なって、忘れられない大切な作品になりました。

「子役らしさ」より「子どもらしさ」を大切にしてくれた

改めて子役時代のことを少し聞かせてください。
普通の子どもでした。というより、クソガキでした(笑)。
親から厳しく言われたのは、とにかくちゃんと周りに挨拶しなさい、ということだけ。あとは現場でもいつも走り回ってたし、出番がないときはそこらじゅうで遊んでて。

一度、連ドラにレギュラーで出ている最中に、顔にアザを作って帰ってきたことがありました(笑)。今考えればまったく子役らしくないというか、親からしたら気が気じゃなかったと思います。
以前、子役を経験していた人からお話を聞いたときに、「いい子でいなければいけない」というプレッシャーが大きかった、とおっしゃっていました。
そこで言うと、僕の場合は人に恵まれたのかもしれません。周りのスタッフさんも「子役らしさ」より「子どもらしさ」を大切にしてくれた。
子役をしているとどうしても遅刻とか早退が多くなるんですけど、うちの親はとにかく1時間でもいいから、ちゃんと学校に行きなさいというタイプ。「普通であること」を大切にしてくれていたんだと思います。だから大人っぽく振る舞わなきゃとか、あんまりそういうことを考えた記憶はないですね。
よく子役でお金が入ると、金銭感覚が狂うなんて話も聞きます(笑)。
いやあ、ないですないです(笑)。もともとうちは別に裕福な家庭とかじゃなかったし。全然変わらずでした。
周りの子よりちょっと早めに働いているだけ、という感覚?
働いている、という感覚もなくて。習いごとと同じ感覚でした。
たしか仕事としての意識が芽生えたのは、12歳のとき、主演映画『花田少年史 幽霊と秘密のトンネル』で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞したときなんですよね。
そうですね。もちろん賞をもらうためにやっているわけじゃないんですけど、やっぱり評価してもらえたということが大きくて。

『花田少年史』は監督の水田(伸生)さんが、「あした撮るシーン、健太ならどうやるか考えてきてね」って毎日宿題を出してくれる方で。言われたことをやるんじゃなくて、自分で考えるのがすごく新鮮だったんですよ。自分で考えてやったお芝居を、人から評価してもらえたことに、今までとは違う新しい面白さを感じましたね。

今を見てもらえていない――代表作に歯がゆさを感じるときも

この頃の須賀さんを語るうえで必ず出てきたのが、“天才子役”という肩書きです。その状況に対して、いやらしい話ですが、天狗になるようなところはなかったですか?
今思えば、そういうところも人並みにはあったのかもしれないです。めちゃくちゃ態度が悪くなるとかはなかったですけど、チヤホヤされている感覚はありましたし、そうやってフィーチャーされることに、得意になっていた面は少なからずあったかもしれないです。
ただその一方で、年齢を重ねてもなお、“天才子役”という肩書きがついてまわりました。
“天才子役”って呼ばれ続けるのは、正直に言って嫌でした。
とくにいちばん辛かったのは、高校時代。同世代の役者がどんどん出てきて、自分がやりたいと思った役を別の人がやったり。小さい頃、もしかしたら他の人が自分に対して思っていたようなことを、今度は自分が他の人に感じるようになった。あの頃が一番葛藤していましたね。
高校時代は仕事が減った、という話もされていますよね。
バラエティに出させていただいても「“元・天才子役”の須賀健太」っていう扱いで。いまだに代表作を挙げていただくときも、子役だった頃の作品だと、正直悔しい気持ちはあります。

もちろん自分にとっては大切な作品だし、たくさんの人に知ってもらった作品であることは大前提なんですけど、“今”を見てもらえていないんだなって。須賀健太で話題になるのは、そこなんだなっていう歯がゆさはありました。
キャスティングする側もちょっと難しいんでしょうね。同い年の俳優と並べたときに、同世代のはずなのにどうしてもどこか浮いてしまう。
たぶん子役出身の人たちは、多かれ少なかれみんなそうで。そこで改めてこれまでの自分を振り返ったうえで、辞めていく子は辞めていくし、残る子は残るっていう。
須賀さんは、残ることを選んだ。
やっぱり、お芝居がしたかったから。周りを見たら、同世代の子たちがドラマや映画で普通に芝居をしている。それを見て改めて、自分は芝居がしたいんだ、ということに気づかされました。

悩んだ末に生まれた、「舞台をやりたい」という想い

同じ子役出身の安達祐実さんは年齢を重ねてお仕事が途絶えたとき、スタッフを集めて、なぜ仕事が来ないのか正直に話してもらったうえで、これからについて話し合ったそうです。須賀さんも、周りとそういう話はしますか?
それは常にするようにしています。こういう役がやりたいとか、自分から言うようにしています。
具体的にどんなビジョンを?
息の長い俳優になりたいっていうのが一番ですね。僕の理想としては、40ぐらいで渋くなってからも俳優をやっていたいなと。
渋い須賀健太は見たいですね。
舞台をやろうと思ったのも、そういうところがあって。高校時代に仕事がなくなって、同世代で上手い役者さんがどんどん出てきて。その中で自分はどうしたらいいのか考えたとき、舞台をやりたいって思ったんです。

やっぱり舞台出身の役者さんって素敵な方が多いし。好きな役者さんも舞台畑の方が多いので、だったら舞台に出ることで自分も得られるものがあるんじゃないかな、と。
具体的にどなたに憧れていたんですか?
生瀬勝久さんとか、阿部サダヲさんとか。小劇場でお芝居をされてたり、劇団に入っていたり、あれだけスゴいお芝居ができるのも、そういうルーツがあるからなのかなと思って。高校時代に事務所を移籍したのも、舞台をやりたい気持ちが大きかったからです。
事務所を移ったのは、須賀さんのキャリアの中でも転機だった気がします。
自主製作の舞台を上演していたり、舞台に強い事務所というのがあって移籍を決めたんですけど。振り返ってみても、いい決断をしたなと思います。
“天才子役”と呼ばれても、その演技が大人になってからも通用するわけではない。だからこそストイックに力を磨いていこうと。
高校を卒業するぐらいの頃からかな。ストイックにならざるを得なくなったというか。

仕事がないぶん、いざ求められたときに、ちゃんと期待されている役回りや表現ができなきゃいけない。そのためには、まずは芝居力をちゃんと鍛えることが必要だと思って。もっと役者としてたくさん経験を積もうと、真剣に考えるようになりました。

「お前の芝居は2点だから」思いがけない“洗礼”

2013年に高校を卒業した須賀は、「今までのイメージを壊したい」と精力的に役柄の幅を広げていく。その中のひとつが、2014年に公開された主演映画『スイートプールサイド』。毛がまったく生えていないことに悩む少年を演じた。メガホンをとったのは、昨今、『バイプレイヤーズ』など話題作を多く手がける松居大悟。だが、そこで須賀は思いがけない“洗礼”を喰らった。
松居さんの現場はかなり厳しかったと、よくおっしゃっていますよね。
そうです。完全にトラウマを植え付けられました(笑)。
トラウマ(笑)。どんな感じだったんですか?
たとえば撮影に入る前、他の共演者のみんなには「ここはこうして」って細かい指示を出すんですけど、僕にだけは、最後にやってきて耳元で「お前の芝居は2点だから」って、それだけ言って帰っていく(笑)。
めっちゃ怖い(笑)。
技術的なことは何も言われないんです。こうしてくださいああしてくださいっていうのも一切なし。何が足りないのかも正直わからないし、あのときは相当追いつめられました。

でも、それが松居さんの狙いだったんだと思いますよ。キャラクター的にも追いつめられている役だったし、そこに何とか近づかせたかったんじゃないかなって。今でこそ笑い話にできますが、強烈な体験ではありました。
でもその経験が糧になるところはありますよね。
やって良かったとすごく思います。あそこでちょっと変われたんですよ。
と言うのは?
ずっと“天才子役”と呼ばれてきたのもあって、「良かった」って言ってもらうことに、気づかないうちにどこかで慣れちゃっていたんです。でもあそこで思いっきり叩きのめされたおかげで、自分はまだまだ全然できてないと気づけた。甘えていた自分を断ち切れた作品でした。

長くやっているからこそ、「技術」で勝負できる役者でありたい

逆に、子役出身で良かったって思うことはありますか?
たとえば撮影中、カメラを見れば今自分がどれぐらいのサイズで撮られているのか、すぐわかる。それによって、表情はもっとこうしようとか、これぐらい動いたほうがいいなと見当がつくし。

そういうバランス感覚は、けっこう染みついているかもしれません。
それって、要は求められていることがわかるってことですもんね。
「そんなことを考えずに、もっと無心で芝居をやれ」っていう意見もあるとは思うんですけど、どう撮られているのか、その中で何ができるのか見極めるのも大切だし、ひとつの武器になる。

今、役者のお芝居って「感情論」がすごく大事にされているような気がしていて。僕はあまりそれが好きじゃないんですね。もちろん、「こんな役作りをしました」というのも大切だとは思うけど、どうやって伝えたいことを画に乗せるか、「技術論」の部分も、もっと重視されるべきなんじゃないかなって。
須賀健太という役者は、「技術」のある役者でありたい。お芝居って、ある種、ちょっと打算的なところもないといけないと思うんですよ。それこそ、どういう位置で撮られているかをわかったうえで演じたほうが、感情が伝わることもあるだろうし。

『人にやさしく』から17年。またあの3人とお芝居がしたい

冬の陽射しを浴びた須賀健太は、すっきりとした表情をしていた。春を待ちきれずに、ちょっと早めに土から顔を出した新芽のような、無垢な顔だ。きっとそれはハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」を終え、「代表作」を更新できた実感が、須賀健太の中に確かに息づいているからではないか。

だからこそ、長く自分の名刺代わりとなってくれた作品のことを、最後に少し聞いてみた。

2002年の大ヒットドラマ『人にやさしく』。香取慎吾、松岡 充、加藤浩次演じる3人の男たちが、ある日突然、須賀演じる見ず知らずの小学1年生の男の子・五十嵐 明を預かることになってしまったことから始まる子育て青春グラフィティだ。
©フジテレビ
放送から17年経ちました。やっぱり、あの3人は今でもどこかお兄ちゃんのような感覚ですか?
今でも大切に見守ってくださって。(加藤さんがMCを務める)『スッキリ』さんは、僕が出る作品があったら特集を組んだり、(VTRゲストがスタジオの出演者に向けて出題する)クイズを撮りに来てくださったりするので。

そういうのは本当ありがたいです。今でも僕のことを見てくださっているんだなって、すごく感じます。
松岡さんからは、収録で会った際につけていた指輪を、誕生日プレゼントにいただいたんですよね。香取さんからプレゼントされた楽屋暖簾は今も使われていますか?
僕の宝物です。ただ、じつは宝物すぎて、なかなか使えなくて……。
え、そうなんですか。
とくに演劇「ハイキュー!!」の現場は、僕の楽屋にいろんな人が出入りするから(笑)、もし汚れたらと思って、あんまり使えていません。なので、もうちょっと静かな現場で使わせていただこうと思います(笑)。
いつかまた、あの3人と一緒にお芝居したいという気持ちはありますか?
思いますね。このあいだ、(香取さんが出演した)舞台『日本の歴史』を観に行って。もうすっごく良かったんです。出演者が少人数ということもあって、がっつり会話で勝負するお芝居で。
『人にやさしく』の頃は芝居をしている感覚はなかったから、今一緒にやったら全然違うと思います。いつかまたお芝居でご一緒させていただくのが、僕の夢のひとつです。

この世界で大事なのは、“ちゃんと”後悔できるかどうか

そんなふうに先輩からは可愛がられ、後輩からは尊敬され、24歳にして芸能界最強のポテンシャルをもつ須賀さんですが。
いやいや、そんなことないです。誰が考えたんですか、そのくだりは(笑)。
(笑)。ぜひ、そんな須賀さんの弱点を聞きたいのです。
弱点だらけですよ。僕、別にメンタル強くないですから。

Twitterとかもすごく見るし、エゴサもいっぱいしてるんで。この時代、いろいろな意見が入ってくるじゃないですか。それ見て、ちゃんと傷つくし。

撮影でも、いまだに「本番!」って言われたら緊張します。それで変な力が入っちゃって、監督のOKは出たけど、自分では「テストのほうが良かったな……」って落ち込むときもある。

自分より全然カッコいいと思える役者さんもいっぱいいるし、芝居が上手いと思う役者さんもたくさんいる。自分もそうなれるのかなと思うと怖いし、全然、弱点だらけですよ。
じゃあ、そんな自分が40歳で“渋い須賀健太”になるためには、何が必要でしょうか?
やっぱり現場ごとに必要とされているものは全然違う。それをいかにちゃんと見極めるか、だと思うんですね。

このあいだ、映画『マスカレード・ホテル』を観に行って。生瀬さんが出てらっしゃったんですけど、やっぱりこの人はスゴいなって改めて思ったんです。
それはどんなところが?
映像でも舞台でもご一緒させていただきましたし、ひとりの観客としてもいろんな生瀬さんを観てきましたけど、『マスカレード・ホテル』の中には『マスカレード・ホテル』でしか見られない生瀬さんがいて。

どうやったら、こんなにも作品ごとにそれぞれ違って、それでもちゃんと自分の色を出せる芝居ができるんだろう…って圧倒されました。

たぶん、それは引き出しの多さだと思うんですよね。その引き出しをいかに増やせるかが僕の課題。

常々思うのは、 “練習がない”んですよ、この仕事って。たとえ自分が失敗しても、それが作品として世に出てしまう。それって、ものすごいことだし、難しいこと。だからこそ、いかに失敗せずに、でも“ちゃんと”後悔できるかを大事にしていけたらなと。
“ちゃんと”後悔、ですか?
どれだけ周りから評価されたとしても、自分の中で「ここはもっとこうすれば良かった」って思えるかどうかで、その後の成長が決まる。大事なことだと思うんです。

“ちゃんと”後悔することを重ねながら、ひとつずつ年をとって、20年後ぐらいには、渋い須賀健太になっていたいです。
須賀健太(すが・けんた)
1994年10月19日生まれ。東京都出身。A型。1999年に子役デビュー。ドラマ『人にやさしく』(フジテレビ系)、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』、映画『花田少年史 幽霊と秘密のトンネル』など数々の作品に出演。近年の主な出演作に、ドラマ『学校のカイダン』(日本テレビ系)、ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」、ドラマ『江戸前の旬』(BSテレビ東京)など。映画『凜-りん-』が2月22日から上映中。4月27日放送のドラマ『恋と就活のダンパ』(NHK BSプレミアム)へも出演。

「須賀健太×加藤 諒 対談」特集一覧

出演作品

舞台「奇跡の人」
【東京公演】
2019年4月13日(土)〜29日(月・祝)@東京芸術劇場プレイハウス
【富山公演】
2019年5月4日(土)〜5日(日)@富山県民会館ホール
【鳥栖公演】
2019年5月11日(土)〜12日(日)@鳥栖市民文化会館大ホール
【大阪公演】
2019年5月17日(金)〜19日(日)@梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ
【浜松公演】
2019年5月25日(土)〜26日(日)@浜松市浜北文化センター
http://hpot.jp/stage/mw2019
劇団☆新感線39興行・夏秋公演いのうえ歌舞伎<亞>alternative『けむりの軍団』
【東京公演】
2019年7月15日(月・祝)〜8月24日(土)@TBS赤坂ACTシアター
【福岡公演】
2019年9月6日(金)〜23日(月・祝)@博多座
【大阪公演】
2019年10月8日(火)〜21日(月)@フェスティバルホール
http://www.vi-shinkansen.co.jp/kemurinogundan/

サイン入りポラプレゼント

今回インタビューをさせていただいた、須賀健太さんのサイン入りポラを抽選で1名様にプレゼント。ご希望の方は、下記の項目をご確認いただいたうえ、奮ってご応募ください。

応募方法
ライブドアニュースのTwitterアカウント(@livedoornews)をフォロー&以下のツイートをRT
受付期間
2019年3月12日(火)18:00〜3月18日(月)18:00
当選者確定フロー
  • 当選者発表日/3月19日(火)
  • 当選者発表方法/応募受付終了後、厳正なる抽選を行い、個人情報の安全な受け渡しのため、運営スタッフから個別にご連絡をさせていただく形で発表とさせていただきます。
  • 当選者発表後の流れ/当選者様にはライブドアニュース運営スタッフから3月19日(火)中に、ダイレクトメッセージでご連絡させていただき3月22日(金)までに当選者様からのお返事が確認できない場合は、当選の権利を無効とさせていただきます。
キャンペーン規約
  • 複数回応募されても当選確率は上がりません。
  • 賞品発送先は日本国内のみです。
  • 応募にかかる通信料・通話料などはお客様のご負担となります。
  • 応募内容、方法に虚偽の記載がある場合や、当方が不正と判断した場合、応募資格を取り消します。
  • 当選結果に関してのお問い合わせにはお答えすることができません。
  • 賞品の指定はできません。
  • 賞品の不具合・破損に関する責任は一切負いかねます。
  • 本キャンペーン当選賞品を、インターネットオークションなどで第三者に転売・譲渡することは禁止しております。
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