ローリングストーン誌のポップカルチャーのエキスパートであるロブ・シェフィールドが、青春TVドラマのプリンスとなったディラン・マッケイを演じた、今は亡きルーク・ペリーに弔辞を捧げる。初登場のシーンから、ディランの名言、ブレンダとのファースト・キスの撮影秘話まで、彼の存在が『ビバリーヒルズ高校白書』を名作にした数々のエピソードを振り返る。

ルーク・ペリーよ、安らかにーー。

君が道を切り拓いたからこそ、『アンジェラ15歳の日々』のジョーダン・カタラーノも存在し得たのだ。最初に我々が彼を目にしたのは、90年代にヒットしたドラマ『ビバリーヒルズ高校白書』の不良青年ディラン・マッケイ役だった。本作が史上最高の青春TVドラマであるのは間違いない。よそ者で、翳りのあるまなしと、エルビス風のもみあげ。のちに親友となるジェイソン・プリーストリー演じるブランドン・ウォルシュと初めて会ったとき、ディランはオープンカーに乗って彼を迎えに来た。助手席に置かれた本にブランドンの目が留まる――「ほう、読書が趣味なのかい」 だがよく見ると、驚いたことに浪漫主義の詩人バイロン卿の詩集だった。「イカれていて、ワルで、危険な男」とディラン。「それがバイロン。それが俺さ」

今振り返ると、あれが始まりだった。ルーク・ペリーはあの瞬間から、スター街道をひた走ることになったのだ。

ディランが読んでいたのは、バイロンの「マンフレッド」か、はたまたは「異端者」か――だが重要なのは、ルーク・ペリーほどバイロンらしい存在感で、ディランを10代の反逆児の原型として記憶に刻んだ人物はいないということだ。ジェネレーションXのサーファーではみ出し者、詩を愛読し、女を泣かせる色男。これが『ビバヒル』人気の源だ。残念ながら、ルーク・ペリーは脳卒中により52歳でこの世を去った。『リバーデイル』でアーチーの父親役を演じ、久々の大復活劇を見せてくれたというのに。CWテレビジョンネットワークのヒット作の中で、かつて怒りをぶつけていた典型的なTVの父親を演じながらも、ペリーは誰よりもイカれていて、ワルで、危険な男だった。

彼はディランを高校生のヒーローに仕立て、一躍時の人となった。誰にも縛られないアウトロー。留守番電話のメッセージはこうだ。「ヘイ、ディランだ。あとはどうするかわかるだろ」(友人の半数がそうしたように、私もCMの合間に同じメッセージを自分の留守番電話に吹き込んだ)。高校生でなくても、誰もが番組のトリコになった。その主な理由はルーク・ペリー。彼は名言を引用するのが好きだった。「我、橋に火をつけ道を照らしたもう!」 ディランはシャノン・ドハーティー演じるブレンダと付き合うのだが、彼のソウルメイトは実はジェニー・ガース演じるケリーだった――ソフィー・B・ホーキンスの「Dam I Wish I Was Your Lover」をバックに熱い視線をかわした1992年の夏の後、2人はようやく結ばれた。2人は毎朝、朝食にいちごを食べ、ダイナソーJr.の最新アルバムを聞くのが好きだった(最高傑作『ホエア・ユー・ビーン』だった)。「ねえ、今日は学校なんかサボって、1日中ベッドで過ごさない?」とケリーがおねだりすると、彼はピシャリと「だめだよ。上級英語の授業があるんだ」 こんな場面をもっともらしく見せられるのは、おそらくルークだけだろう。

いかにも90年代らしく、ディランはフェミニズムの精神を固く信じ、弱いものいじめを何より嫌っていた。ウェストビバリーヒルズ高校の不良たちに向かって彼が言ったように、「この国の悲劇は、お前らみたいな負け犬が国を動かしてることだ」 当時、ポップカルチャーの状況は急激に変化を遂げていた――ちょうどニルヴァーナやパール・ジャムが彗星のごとく現れた時期で、ライオットガールという言葉が日常語となり、ディランは新時代の王子様となった。それから、彼とアンドレア・ザッカーマンとの胸を打つ友情。番組の中で彼女の役回りは「秀才」。2人ともそれぞれに疎外感を感じ、互いに相手を深く理解していた。彼が彼女に言う、「自分らしくいられるんだ、何にも縛られずにね。君は俺から何も期待しない。他のみんなとは違う」 私はどうしようもないほどディラン&アンドレア組の崇拝者なのだが、死ぬまでこの道一筋で生きていこうと思う。

『ビバリーヒルズ高校白書』はこれまでの若者向けTVドラマ以上に、摂食障害や性的暴力といった問題と真摯に向き合った。ディランは当時のTVドラマでは極めて珍しい、元麻薬中毒という役柄だった。初めて元中毒患者の集会に参加し、「支援者」までいた。とあるエピソードの中で、彼は再び麻薬に手を染める――詐欺を働いた父親がひょっこり姿を現し、群衆にボコボコに殴られた末、実は父はFBI捜査官だった、というエピソードだ(バカバカしさと騒々しさが同居した、『ビバヒル』らしさの真骨頂)。最後に、青年は自分のインナーチャイルド(胸の奥に眠る子どもの自分)と出会う――この少年は、エンディングでも「ディランのインナーチャイルド」としてクレジットされている――そして最後は少年の肩に手を回し、やさしく抱きしめる。バックに流れるのは、ウィリアムズ・ブラザーズの「Cant Cry Hard Enough」。いかにもメロドラマちっくだが、感動的な場面でもある。ルーク・ペリーの真正直な一面のおかげだ。

番組がヒットした時、彼は年齢を明かさなかった――その手の個人情報を、スターがまんまと隠し通せた最後の時代といえよう(彼は1966年10月生まれ、カート・コバーンよりも数か月先輩)。1993年にローリングストーン誌の表紙を飾った時、彼は自分がオハイオ州の小さな町の出身であること、ドアノブ工場で働いていたことを明かした。「掃除して、でかいガラクタを片付けて、薬品の廃棄物を片付けて…… あれはひどかった」 彼は、当時同じように人気を博したブラッド・ピットの、庶民的な魅力を備えていた。「パイロット版の後、少々危険なにおいのする、ややとがったキャラクターが必要だと感じた。そうして生まれたのがディランという人物だ」と、脚本家のアーロン・スペリングが語った。「ルークがオーディションに現れたとき」と、製作者のダレン・スターも言う。「まるで『ワオ、彼だ』と思った。彼はまさにジェイムズ・ディーンの生まれ変わりのように見えた。でも、意図して真似しているわけじゃない――それが彼の素の姿だったんだ」 事実、彼はジェームズ・ディーンにあまりにもそっくりなので、全編『理由なき反抗』をモチーフにしたエピソードもあったくらいだ。ホットロード達がチキンレースをするシーンも出てくる。(ちなみにこれは傑作エピソードだ。とくにディランが小ばかにしたように「ヘイお前たち、不良少年ごっこをやりたいなら受けて立つぜ」というシーンはたまらない)

彼はシャノン・ドハーティとのファーストキスで、その地位を確固たるものにした。彼女は『ヘザース』や『ハイスクールはダンステリア』で当時すでにスターだった。「めちゃくちゃ大変だった」と、ローリングストーン誌とのインタビューに答えていった。「相当イライラしてた。自分にとっては初めてのドラマ出演だったから、すごく緊張してた。銃でも突き付けられている気分だったよ」 だが、彼はなんとかやり通した。「ロングコートを着てたんだが、心の準備が整うまで、コートを頭からかぶって道端に座り込んでいた。カメラの外では、イカれ野郎みたいにシャノンに向かってわめいていた。そういうふうにして、感情を高めていった。泣き叫んでたよ」 共演者について尋ねられたドハーティはこういった「そうね、ひとつ確実に言えるのは、ルークは豚と寝てるってこと」 彼女が言う豚とは、彼が飼っていたペットの豚ジェリー・リーのこと。ペリーはこの動物に相当入れ込んでいた――本人曰く、「ジェリー・リーは、俺の人生にとってヨーダのような存在なんだ」

携帯電話ひとつでファンが大勢押し寄せることのない時代に、彼はティーンのアイドルになった。ファンはショッピングモールを占拠し、モールは大混乱となった。Foxの重役が言うには、これで番組のヒットを確信したという。「視聴率じゃない。おっかけなんだよ」 ペリーがフロリダのショッピングモールでサイン会を行った際、詰めかけたファンで会場は戦場と化した。緊急医療サービスの隊員はこういう。「この若い青年が何者かは知らなかったけど、挨拶したくなったよ」 これ以上の誉め言葉があるだろうか? 17歳の少女は地元の新聞にこう語っている。「彼はすごく素敵な人。ハンサムなのに、感情を表に出すのを恐れない。世界中の男性が彼みたいだったら、世の中完璧なのにな」

ルークが得意とするのは、女性キャラクターが主役の物語に出てくる男性役。だからこそ、彼はオリジナル版の『バッフィ/ザ・バンパイア・キラー』でも完璧だったのだ(彼はウィッグ姿で、『ビバヒル』当時のおなじみのヘアスタイルで登場。ハリウッド流のジョークだ)。『エイト・セカンズ/伝説の8秒』ではポール・ニューマンのような存在感を放っていた。新生ルーク・ペリーの出演作だったから見に行ったのだが、個人的にはロデオ騎手の映画を見ることはもうないだろう……『John from Cincinnati(原題)』ではサーファーを演じ、『フィフス・エレメント』では学者役。だがディランこそが、生涯を代表する役柄だ。『ビバヒル』の中でディランも言っているように、「ガキ大将が必ず成功できるとは思っていない。もちろん、自分がガキ大将の場合は別だけどね」 イカれてて、ワルで、忘れがたき男だ。