すぐ怒る、怒鳴る上司は厄介に思いがちですが、部下に対しあえて怒っているのだとしたら?(写真:tkc-taka/PIXTA)

あなたの周りに「よく怒鳴る上司」はいませんか? すべての人がそうとは言えませんが、中には「合理的な判断」から怒鳴る人もいます。仕事のために、あえて「怒鳴る」上司の意図を、作家・元外務省主任分析官の佐藤優さんが解説します。

怒りの感情は人間誰しもが持っています。相手の心ない言動に一気に高まる怒り、社会の不正や不条理にふつふつと湧いて出てくる怒り。怒りの対象も、怒り方も、状況によって千差万別です。

ただし、昔から短気は損気といわれるように、直情的な怒りや衝動的な行動は、結局自分にとっても周囲にとってもマイナスになることが多い。怒りをどう抑えるかは、社会生活を営む人間にとって大きなテーマの1つです。

逆に怒るべきときもあります。例えば自分が親で子どもが悪さをしたとか、相手の行為があまりにも理不尽な場合とか、社会的な要請に従って現状を正したり、変えなければならないのであえて怒りの感情を表す場合などです。

いずれにしても怒りの感情をどうコントロールするかが、よりよい人生を送るうえでの重要なポイント。そのためには怒りとは何か、なぜ怒りの感情が湧いてくるのか、怒りそのものについて考えてみることが大切になります。

「怒り」が仕事に役立つ場合もある

例えばあなたの周りにも、突然キレたように怒りだす人がいるかもしれません。上司でも同僚でも、友人でも……。感情的になってキレてしまうというのは、感情の抑制が利かない情緒不安定というカテゴリーに入ります。つまりは病気ですから、まずは議論の外でメンタルヘルスの話になります。

シュライエルマッハーという有名なドイツのプロテスタント神学者がいるのですが、宗教とは絶対的依存の感情だと言っています。感情でわっと何かが湧き出しているのは、その向こうに神様がいるからだというのです。だからカーッとなって怒っている人がいたら、神がかりだから注意せよということになります。

特に温厚に見えた人が、突然人が変わったように怒り出したら、それは何かが降りてきたと考える。その瞬間は何かに憑依されたような状況になっているから、理屈で説明しようとしても無駄。雷と一緒でとにかくその場から逃げる、避難するのが正しい対処法です。

神がかり的な怒りは特別なものとして、それ以外の怒りというのは、実は仕事をするうえで重要な道具でもある。私は動物が好きで動物行動学の本なども読みますが、人間や人間社会にも動物の生態や行動原理は当てはまります。

例えば、猫は普段あれだけ敏捷に動き回りますが、突然大きな音がするとびっくりしてフリーズしてしまう。あと、道路を横断している最中に車が迫ってきたときなども、そのまま動かなくなってひかれてしまう。

猫だけじゃなくほかの動物でも、危機的な状況になると仮死状態になるものもいます。ウサギなんか思い切りつかんだり、脅したりしたら死んでしまう。なぜかというと、肉食獣に捕まったらウサギは絶対に助からない。そこで、捕まった時点で苦痛を感じないために自ら心臓を止めてしまうといいます。

人間も動物ですから、大きな声で怒鳴られると身の危険を感じてフリーズする。ギュッと身を縮めて自分を守ろうとするのです。

昔の職場では、1人や2人必ず大きな声で怒鳴る上司がいました。怒鳴られるとその瞬間は凍るのですが、そうやってフリーズさせることが必要な場面がある。例えば工事現場などで明らかに誤った操作をしていて危険なときには、怒鳴ってフリーズさせてその操作を止めさせる。そして体で覚えさせなければいけない。

極端な状況ですが、戦場などの生死を分ける場面では、間違った行動や危険な対応をする兵士に理路整然と説明している暇はありません。自衛隊の訓練などでも一歩間違えたら命に関わりますからね。部下がおかしなことをやっていたら怒鳴ってフリーズさせるわけです。

よく怒鳴る上司の本当の狙い

それ以外にも、上司が部下を戦略的に怒ったり怒鳴ったりするケースがあります。例えば部下が取引先とのやりとりでミスをしてしまった。何とか取引先に謝り穏便に済ませたいときにどうするか。

こういうときに直属の上司が出てきて、取引先に謝りながら、彼らの前で部下を怒鳴りつける。「なんてことをしでかしたんだ!」などと言ってボロクソに怒鳴る。すると取引先の人は「まぁまぁ、部長さん、そんなに怒らないでください」と、「悪気があったわけじゃないんだし」と何とか収めてくれる。

それを狙っての一種の芝居なのですが、怒鳴ることでその場が収まる場合もあるわけです。上司は一見部下を怒鳴って攻撃しているようですが、実は結果的に部下を守っている。こういうことって、よくあるのではないでしょうか。

ですから上司が怒っている場合、どの怒りなのかをまず冷静に判断しなければなりません。神がかり的な怒りなのか、あるいはフリーズさせるための怒りなのか、はたまた戦略的でお芝居的な怒りなのか。

その分析もしないで、ただ怒っている上司は面倒だとか、嫌だとかと決めつけるのはあまりにも短絡的で幼い。まず怒っている相手をよく見て、どの種類の怒りなのかを判断することが肝要です。

実は私が外務省にいた頃の首席事務官(外務省独自の役職でほかの中央省庁では筆頭課長補佐にあたる)に、まさに瞬間湯沸かし器のような人がいました。とにかくよく怒鳴る。外務省に研修生として働きだしたばかりの頃ですから怖かった。研修生だけじゃなく、部下のほとんどが彼のことを蛇蝎のごとく嫌っていたのです。

ところがあるとき気がついたんです。その上司の怒りにはある一定の法則がある。首席事務官が鬼のように怒鳴るときは、たいていその上の課長が課員に対して何か不満を持っているときなのです。あるいは課員がミスをしたとき。課長が怒る前にその首席事務官が怒鳴る。その勢いが激しいものだから、課長は「まぁまぁ」となる。

結局、蛇蝎のごとく嫌われていたその首席事務官のおかげで、課員は課長から直接怒られたりとがめられたりすることはほとんどなかったし、課長のほうも課員にきつく当たる必要がなかった。自ら悪役になって、課の防波堤になっていたわけです。

「上司のホンネ」が垣間見えたとき

そのカラクリ、戦略が見えてきてからは、その首席事務官が瞬間湯沸かし器的に怒鳴ろうが私は少しも怖くなかった。むしろ親近感を覚えました。

研修生だったある朝、睡眠時間3時間とか徹夜とかが続いていたときですが、その首席事務官が来て「佐藤、飯を食いに行こう」というのです。

当時外務省の8階にはグリーンハウスという喫茶店があって、そこでサンドイッチを食べコーヒーを飲みながら、その首席事務官が「どうだ、つらいか?」と聞くのです。

「大学院で研究をしていた学生が急にこんなガサツでバタバタしたところに来て、外務省がこんなとこだと思わなかったろ」と。「でも絶対にいま辞めるなよ。いまはこき使われてるけど、研修が終わればまた違ってくる。短気を起こして辞めるんじゃないぞ」というのです。

それまでは怒鳴り声ばかりのイメージでしたから、突然のしんみりした言葉にびっくりしつつ、「いえ、私はこの仕事は面白いと思っています」と答えると、「そうか、本当に一生懸命やってくれてありがとう。今日はもう帰って寝ろ、疲れてるだろう」。それでその上司は残ってまた仕事を続ける。

私はやっぱりこの人は、冷静に状況や人を見て行動している人だと思いました。周りはいまだに厄介な人物だと思っているかもしれませんが、おそらく彼からしたら、私が何となくわかっていそうだと察して、本当の自分を種明かししてくれたのかもしれません。

実は後日談があって、その後何年もたって私が鈴木宗男事件で騒がれているとき、外務省の廊下でその元上司とすれ違ったのです。

彼は某大国の大使に出世して日本に帰ってきていましたが、そのとき、すれ違い際にポンと肩を叩いて、「おう佐藤、ちょっとやりすぎたな。しばらくおとなしくしとけ。君がちゃんと仕事をしているのは俺がいちばんよく知っているから」と言ってくれたのです。

当時は内外からのバッシングを受けていたときだけに、その言葉にはとても助けられました。ちゃんと見ていてくれる人がいる。それは本当にありがたく貴重でした。

すぐに怒る、怒鳴るからといって、厄介な人だとかおかしな人だとか決めつけないほうがいい。本当にすばらしい上司というのは、意外にそういう人の中にいたりするものです。

立場が弱い人間を怒ってはいけない

最後に。中間管理職になって人を教える立場に立ったら、時には戦略的に怒ることも必要です。ですが、まだ人を教えたり育てたりする責任を負わされていない若い人は、基本的に怒らないこと。これを心に留めておいてください。

若いうちは怒り方よりもむしろ怒られ方を学ぶべきです。それが後々、自分が下の人間を叱ったり、怒ったりするときに役に立つはずです。


そもそも若いうちからいろんなことで怒ったり大声をあげていると、情緒不安定者と見られます。いま会社の中でいちばんきついレッテルが「あいつは情緒不安定だから」というもの。そうなると仕事の能力以前に、人格的に問題があると見なされる。当然主要な部署からは外されていくでしょう。

ケースバイケースとはいえ、怒って大きな声をあげるのは1年に1回あるかないか、くらいがちょうどいいでしょう。最も避けるべきは、自分の立場を盾にして自分より弱い立場の人間に怒りをぶつけること。例えば出入りの業者であるとか、派遣できている人とか、そういう立場の弱い人に自分の立場の強さを背景に怒るのは絶対に避けるべきです。

どんなに理屈が通っていて自分が正しくても、完全に自分のほうが立場が上だとしたら、いじめているように受けとられかねません。いわゆるパワハラ的なことに対する意識が最近は高いですから、気をつけたほうがいいでしょう。