-今すぐ、婚約を破棄しろ。

ある日、柊木美雪(ひいらぎ・みゆき)のSNSに届いた奇妙な一通のメッセージ

恋人の黒川高貴(くろかわ・こうき)からプロポーズをされて幸せの絶頂にいたはずの美雪は、その日を境に、自分を陥れようとする不気味な出来事に次々と遭遇する。

“誰かが、私たちの結婚を邪魔している。でも、一体誰が…?”

美雪を待ち受ける数々の“罠”をくぐり抜け、無事に結婚にたどり着くことが出来るのか-?

美雪がバーで男とキスをしているかのような写真が、高貴のもとに送られてきた。調査を開始し、親友・凛香への疑惑を深めるが、思い違いだったようだ。

さらに会社で居場所をなくした美雪は、高貴から同棲を提案されて退職するが、なんと高貴の浮気疑惑が発覚する。




親友との再会


本当に悲しい時は、涙が出ない。この言葉は、真実だ。

高貴が、藍と浮気しているかもしれない-。そう悟った時、私の頭の中を支配していたのは、悲しみではなく「まさか」という動揺だった。

「そんなはずない。だって高貴はあんなにやさしいし、同棲だって提案してくれたのは彼の方だし…」

高貴が帰ってこない金曜の夜。だれもいないガランとした広いリビングで、浮かんだ疑惑をかき消そうと必死に言葉を並べてみる。でも、否定すればするほど、その疑惑は色濃くなっていく。

-仕事辞めちゃって、高貴まで失ったら、私、完全に一人ぼっちだよ…。

心の中が徐々に、藍への憎しみと怒り、そして高貴に裏切られたという悲しみとやるせなさに変わっていき、ドロドロとしたもので完全に埋め尽くされそうになった時、スマホが鳴った。

親友の凛香からだった。

「もしもしー美雪!元気?」

その明るく伸びやかな声を聞いた瞬間、涙腺が崩壊した。



私の身に何かが起きたことを察した凛香が、『アトリエうかい』の手土産を持って家にやってきたのは、それからわずか1時間後のことだった。凛香に会うのは、婚約祝いをしてもらった時以来だから、実に4か月ぶりだ。

折れそうなほど細長い手足に、卵型の小さな顔。切れ長の目に、すっと通った細くて上品な鼻筋。髪こそバッサリ切ったが、凛とした佇まいと優しい笑顔は、学生時代から寸分たりとも変わっていない。

それに比べて、私はどうだろうか。苦しみを隠すようになんとか笑顔を作ると、凛香はギュッとハグしてきた。

「美雪、無理しないで。美雪はいつも、1人で頑張りすぎるんだから。まずは全部話して、吐き出して?今日は何時まででも、付き合うよ」

ジョーマローンのコロンの香りが、ふわっと私を包み込む。凛香がいつもつけている、官能的でスパイシーなレッドローズだ。

その懐かしい香りを胸に吸い込むと、不思議と心が落ち着いた。

「美雪は1人じゃないよ。いつも助け合ってきたでしょ、私たち」


凛香に相談した美雪は、ある決意をするが…?


裏切られた女の決意


にっこりと笑う凛香を見て、以前、婚約報告したら疎遠になったと思い込んでいた自分を、深く恥じた。

凛香と私は、学生時代からずっと、一番に助け合い、励まし合ってきたのだ。失恋したときも、就職活動で面接に落ちた時も、仕事で失敗した時も。

私は『アトリエうかい』の色鮮やかなクッキーを手に取りながら、一連の事件を凛香に話した。

凛香はあっけにとられたような表情で聞いていたが、彼女のバッグと同じものが写り込んでいた、あのインスタアカウントを見た瞬間、小刻みに震えだした。

「何、このアカウント?私、こんなの知らないよ…その藍って女が、私を犯人に仕立てようとしてやったんじゃないの…やばすぎるよ、その女」

そして、青白い表情のまま続けた。

「だいたい、派遣社員になって美雪の部下になったのも、その子の狙いだったのかも。慕ってるフリして色々探ったり、貶めようとしていたんじゃない?只者じゃないよ、その子」

「うん。でもまだ信じられない気持ちのほうが強いんだよね」

正直な思いを口にすると、凛香はあきれたような顔をした。

「まったく、美雪は昔から人が好すぎるよ。いい?美雪は騙されたんだよ?私なら絶対、その女から慰謝料とる。婚約中なら請求できるから」

慰謝料という言葉を聞いて、高貴の笑顔が頭に浮かぶ。私が欲しいのは、慰謝料なんかじゃない…。

すると凛香がそっと私の肩に手を置いた。




「わかるよ。高貴さんとは、別れたいって思えないんでしょ。美雪は高貴さんのことが大好きだし、高貴さんだって本命は美雪だよ。じゃなかったら、同棲しようなんて言わないもん。藍って女は単なる遊びよ、きっと」

そして、毅然とした表情で続けた。

「だからさ、美雪がすることは2択だよ。藍に詰め寄るか、高貴さんに詰め寄るか。いずれにしろ、動かぬ証拠がいるね」

「そうだよね。でもどうやって集めればいいかな?」

すると凛香は考え込んだ後、顔を上げた。

「とりあえず、その2人が一緒にいたっていうカフェを教えてもらって行ってみたら?また現れるかもしれないでしょ。もしくは、芹澤っていう探偵にお願いするか」

芹澤は有能だから、きっとすぐに尻尾を掴むだろう。でも、そこまでする必要があるだろうか。散々思案した挙句、私は1つの答えを口にした。

「私、カフェに行ってみる。そこで何を見ても逃げないで、証拠を押さえる。私、安易に仕事辞めたこと、本当に後悔してるから。今度こそ、絶対に逃げない」

「そうこなくちゃ。私も一緒に行こうか?」

「凛香、本当にありがとう。でも、ひとりで大丈夫」

翌日の朝、早起きして現場に向かった。

そこは、灰色のビルの狭間にひっそりと佇む、こじんまりとしたカフェだった。


美雪は早速カフェを訪れる。すると、とんでもない事件が…?


目撃


前日にカフェの店名と住所を聞いたときは驚いた。この辺りにはいくつかの病院があるが、高貴が勤務する大学病院も、カフェから決して遠くない場所にあったからだ。

彼への疑惑が、また一段と深まる。やはり藍の逢瀬の相手というのは、高貴なのだろうか。

私は、店内がよく見える窓側の席をみつけてコーヒーを注文すると、周りを見回し、じっくりと観察を始めた。こんな経験は、人生で初めてだ。

一体何時間が経過しただろう。じっと窓の外と入り口を見張り続けるのに疲れて、6杯目のコーヒーを注文して席に戻った、その時。

ガシャン

視界の端にとんでもないものが飛び込んできて、コーヒーをトレイごと床にぶちまけてしまった。スタッフがお手拭きとモップを持って、すぐさま駆けつけてくる。

「お客様、大丈夫ですか?お怪我はないですか?」

ーだいじょうぶ…じゃない…。

なぜなら。

ほんの5秒前、目の前のガラス窓の、わずか数十センチ先を、高貴が…黒川高貴が、紺野藍と連れ立って、歩いていったからだ。




これは果たして、現実なのだろうか。

ー追わなくちゃ。

数秒後。やっと我に返ると、店員に何度も謝りながら落としたカップやトレイを手早く片付ける。床が綺麗になったのを確認し、会計を済ませるなり店を飛び出した。

黒いダウンジャケットを着た高貴と、紺色のコートを着た藍。遥か遠くに小さく見える、黒色と紺色の点を、必死になって追いかける。

だが、2人が角をまがった瞬間、行く手が分からなくなってしまった。

あちこち走り回って探し続けるが、2人の姿はどこにもない。凍てつく向かい風だけが、ビュービューと私の横を通り過ぎていく。

-失敗した。写真、撮れなかった…。

堪えようのない悔しさが、ふつふつと体の中に沸き起こる。

ふと空を見上げると、月が煌々と夜空に浮かんでいることに気が付いた。まるで今の私を象徴しているかのような、孤独な半月だ。

私は拳をギュッと握ると、その月を睨みつけた。

-絶対に、このままじゃ許さないから。必ず証拠をつかんでみせる。

次の日も、スマホを握りしめてカフェで2人が現れるのを待ち続けた。でも、どれだけ待っても2人は現れなかった。

私は意を決すると、スマホの通話ボタンを押した。

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ついに探偵に頼ることを決めた美雪。そこで判明した事実とは…?