中日・与田剛監督インタビュー(後編)

インタビュー前編はこちら>>

 昨年の10月、中日の監督に就任した与田剛氏だが、最初の大きな仕事はドラフトだった。そこで中日を含む4球団から1位指名を受けた大阪桐蔭の根尾昂の交渉権を見事引き当てた。自身と同じ中日の”ドラ1”として、根尾をどのように育成していくのか。また、与田監督が描く理想の監督像とは?


自身も89年のドラフトで中日から1位指名を受けて入団した与田監督

── 監督に就任された時、選手に「オレを使え、というくらいの勢いで向かってきてほしい」とおっしゃっていましたが、そのメッセージに応えているな、と感じる選手はいますか。

与田 徐々に出てきましたね。対外試合が増えてきたり、本格的に開幕が近くなってくるともっと変化が出てくると思うので、それを見ていきたいと思います。たとえば佐藤優は、この間の新聞に『ドラの守護神譲らん』という見出しの記事が載っていたので、「新聞、読んだぞ」って声をかけたら、すかさず「ハイ、僕、やりたいんです」と前のめりできてくれました。いいですよね、ああいうふうに気持ちを出してくるというのは……。

── もうひとつ、ドラゴンズはドラフト1位の選手が思うように伸びてこない現状があるように感じます。監督もドラフト1位でのドラゴンズ入りでしたが、岡田俊哉、大野雄大、福谷浩司、鈴木翔太、小笠原慎之介、柳裕也、鈴木博志といったドラ1のピッチャーに、とくに期待しているところはあったりしますか。

与田 ドラゴンズの監督になってから、このチームの歴史を紐解いて、この数年、なぜこういう状況になっているのかをいろんな人に聞いて回りました。その中で、ドラフト1位の選手が思うように活躍できていない、その原因はどういうところにあるのかについてもいろんな理由を聞きました。そうしたことを踏まえて、去年のドラフト会議の前の編成会議で、最大限の時間を使って議論を交わしたんです。指名した6人の選手については、現場もスカウトも編成も、なぜこの選手を獲ったのか、この選手はこういうふうに育てていくんだ、という認識をみんなで共有していくことが大事だと思っています。

── 今年はプロ8年目のドラ1、高橋周平選手をキャプテンに指名しました。

与田 そうですね。彼も今年、25歳になったばかりなんですよ。そういう若い彼がキャプテンになることで、チームの雰囲気が変わっていくことを期待しているんです。

── 去年のドラフト1位、根尾昂選手については、どういう方向へ育てていきたいとお考えでしょう。

与田 根尾はドラフト会議のだいぶ前からドラゴンズとして1位で指名すると決めていた選手なので、彼については、迷いはありません。とにかく15年、20年、スターとしてプロ野球の世界でプレーしてもらわなくちゃいけない。ずっとドラゴンズのユニフォームを着てもらってもいいし、メジャーでも構わない。他球団から「ウチに欲しい」と言ってもらえる選手に育てていかなきゃいけないという責任をすごく感じています。

── そのために、根尾選手の二刀流への可能性を、監督は持ち続けているのでしょうか。

与田 二刀流については、よく大谷翔平選手と比較されていますが、僕は大谷のことは根尾とは比べていないんです。私がいつの日か、根尾が二刀流をすることによって15年、20年、スターでいられるという判断をすれば、推薦するかもしれません。つまり、選択肢としてゼロではない。ただ、今、その発想は私の中にはありません。15年、20年、プロ野球界のスターとして輝いてもらうために、1年目から二刀流をやったほうがいいとは思っていないということです。

── 監督は現役時代、抑えとしてドラゴンズファンにインパクトを与えた半面、ケガに苦しみ、トレードや戦力外通告でテストを受けるなどして、いくつもの球団を渡り歩きました。そういう光と影の経験から、今の選手たちを見ていて、こういうことに気づかなきゃいけない、これをやらなきゃいけないということがあるとしたら、それはどんなことでしょう。

与田 自分を素直に見て、今の自分に必要なことの優先順位をちゃんと考える、ということですね。優先順位を考えて準備する、ということに尽きるんじゃないでしょうか。

── 優先順位、という言葉が出てきた監督の心はどこにあるんですか。

与田 私自身、そこまで真剣に考えない時期があったんです。何とかなるんじゃないかという傲(おご)り、甘えもありましたし、真剣味が足りなかったとも思います。ただ、現役のときにこういうことを言われて、そうだよな、と思って実行できる選手は誰もいないはずなんです。だからこその現役なんですよね。辞めてからじゃないとわからないことがちゃんとわからないからこそ(笑)、現役としてプレーできるということもあるんです。

 自分を素直に見て、と言いましたけど、全部を素直に見られるようじゃ、たぶんこの世界でやっていけないんですよ。「うるせえ」「冗談じゃねえよ」「オレはこれで大丈夫だ」という気持ちがあるから、現役として戦っていけるんだろうし、優先順位なんか考えられるはずがないよな、という気持ちもあります。それでも、選手たちには頭の片隅にでも「優先順位を考えて準備してほしい」という思いがあります。

── 監督は現役時代、何人の監督の下でプレーしたか、数えたことはありますか。

与田 ありますよ。6人かな。星野仙一さん、高木守道さん、江尻亮さん、近藤昭仁さん、上田利治さん、野村克也さんの6人です。

── その6人の監督から学んだことで、監督として持っていなくちゃならないものは何だと思っていますか。

与田 それは、チームスタッフが宝だという考えです。もちろん選手も含めて、スタッフがいるからこそ、監督でいられるということを考えておかなければいけない。私は選手として3回、クビになりました。3回もクビになった監督なんて、過去にも未来にもいないんじゃないですか(笑)。星野監督がよく「野球界にとって子どもは宝なんだ」とおっしゃっていましたが、今、こうして監督としてユニフォームを着てみると、選手、スタッフが宝だ、ということを実感するんです。

 監督業は人の運命を大きく変えてしまうという話をしましたが、私がドラゴンズの選手、スタッフの人生を背負って、守らなければいけない。その人たちの人生を変えてしまいますからね。去年の11月1日に監督として、選手、スタッフと初めて対面したとき、ひとりひとりの顔を見ていたら、ああ、優勝すればみんなの大喜びする顔が見られるんだろうな、という思いが沸き上がってきました。監督は、それを叶えるためにいるんですよね。

── 監督は大学1年の時、お父さん(健児さん)を亡くされました。そのお父さんが「太く、短く」という言葉を監督に託したというお話を以前にうかがいました。1年目、新人王に輝いたシーズン中にお母さんの敦子さんが「無理しなさんな」と声を掛けた時には「いや、無理するんだよ、無理しないとやっていけない世界なんだ」と答えたお話も敦子さんから聞かせていただきました。選手として無理をしてきた与田監督は、今の選手に「無理しなさんな」と声を掛けたい気持ちはありますか。

与田 そうですね……確かに、一か八か、体を壊すかどうかというところで勝負しなければ生きていけない、トップになれない世界だと思っています。ただ、無理をすることによって自分が味わった悔しさも苦しさもよくわかるんです。選手たちにああいう思いをさせたいのかと聞かれたら、もちろんそんなことはないし、できればさせたくないと答えます。だけど私の中にそれが今、本当に苦しみとして残っているのかと言われたら、そうじゃないんですよね。手術もして、ケガもたくさんして、実力が落ちていくのが自分でわかってしまうという苦しい過去を今、振り返ると、絶対に思い出したくない過去じゃないんです。どこかで心地いいんですよ。今も曲がらないヒジ、痺れる右腕を眺めながら、感じるのは苦痛じゃなくて、「よくやったじゃん」という心地いい思いなんです。

 誰に何を言われようが、自分が望んで野球をして、どんな結果が残ろうとも、いいじゃないか。決して満足はしていませんが、野球をやり切ったことが心地いい。だから、今、ウチにいる子たちには、ユニフォームを脱いだとき、「しんどかったけど、心地いいな」と感じてもらいたい。全員が活躍して、全員がタイトルホルダーにはなれませんけど、全員にそういう気持ちを持ってもらうことはできるかもしれない。それが、私が目指す監督としての仕事なんです。勝ちたいし、優勝したいんですけど、そういう気持ちにさせられる監督でありたいという気持ちは強いですね。

── 今でも手のひらには(血行障害の手術をした)T字型の傷跡は残っているんですか。

与田 もちろん残っていますよ。これは一生、完治しませんし、神経障害もあります。動きが悪かったり、ものがうまくつかめなかったりしますし、将来、動かなくなるんじゃないかという不安もあって、嫌で嫌でしょうがない。でも「これも野球をやったおかげなんだな」って思いたいんです。野球をやったせい、ではなくて、野球をやったおかげなんだと思った方が、遥かに心地いいですからね。