吉住氏(右)は子供の指導について悪い意味で日本の方が楽と語る【写真:編集部】

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【スペイン人×日本人サッカー指導者対談|第2回】スペインで指導者が信頼を得るには「サッカーを知っているかがすべて」

 スペインの育成事情と日本の部活を比較すると、最も異なるのが指導者と選手の関係である。スペインではプロの指導者が教えるが、日本は学校の先生が対峙するので対等ではない。

 リノ・ロベルトと吉住貴士。両国の育成指導の現場を知る2人の対談2回目は、このテーマを入り口にスタートした。

 ◇ ◇ ◇

リノ「スペインで指導者が信頼を得るには、サッカーを知っていて、しっかりと教えられるかどうかがすべてです。根幹がしっかりしていれば、指導者は肩を叩き、声をかけるなど距離を縮め、子供たちは尊敬の念を抱くようになる。私が指導した日本のクラブでも、いきなり外国からコーチが来て最初の1〜2か月間は神経質になっていたようですが、今ではみんなとLINEも交換し、意見を交換する関係ができています。外から見れば、友だちのように見えるかもしれません」

吉住「率直にスペイン語のほうが指導をしやすいと思います。日本とは言語文化が異なり、敬語がなく命令形のニュアンスが弱まる。スペインではレフェリーにはよく文句を言うんですが、日本語で『見ろよ』ではきつくなるけど『見てくださいよ』とも言わない。12歳の子が監督に『ボール取ってよ』なら普通に言うし、お互いなんとも思わないですからね」

リノ「スペインの指導者は、レフェリーにはメチャクチャ言うけど、選手のことはすごく誉めます。子供たちにとっては、“誉められた=できた”という実感が大切なんです」

吉住「子供の指導については、悪い意味で日本のほうが楽です。トレーニングの質が高まらなくても、『聞け』と言えば聞きますから。でもスペインでは、サッカーをきちんと学ばせて信頼されないと、誰も耳を傾けてくれない。トレーニングの質が低いと思えば、子供が帰っちゃいますからね。保護者もそうです。自分の子供が試合に出ていないせいもあるでしょうが、『そんなシステムでやっているからダメなんだ』と平気で批判してくる。逆に良いトレーニングをしたら、すごく誉めてくれますけど」

ボールを大事にするバルサも「自由ではなく、約束事がたくさんある」

――そもそも吉住さんは、なぜスペインへ行ったんですか?

吉住「グアルディオラ監督が指揮するバルセロナのサッカーがすごくて、どんなことをしているんだろうと興味を持ちました。大学を卒業して長崎総合科学大学附属高校で指導をしていたんですが、指導力を高めたいとも考えていました。でも当時はバルセロナ市の選手は、みんなバルサに集まるのだと思っていました。そのくらい何も知らなくて、エスパニョールがあることも……(笑)。しかし自由にやっていると思ったバルサのサッカーには、たくさんの約束事があった。スペインでは俯瞰でサッカーを見ていると、狙いがすごくよく分かるんです。そういう意味では、当時の国見も約束事ばかりで狙いは明確だったので、スペインへ行けば評価されたかもしれません」

リノ「だいたいスペインではボールを大事にしますが、それを一番表現しているのがバルサ。でも自由ではなく、ポジションごとに約束事はたくさんあります。三角形を作るにも、誰がどこにポジションを取るのか、ボランチのポジショニングは? センターバックがボールを持った時に、サイドバックをフリーにするにはどう動くのか。それぞれが細かく要求されます。このベースがあって、レアル・マドリードやアトレチコ・マドリードなど各チームの特徴が少しずつ異なります」

吉住「JFA(日本サッカー協会)は、よくジャパンズ・ウェイなどと言いますが、スペイン連盟で『我々の国のサッカーは』などという言い方は一切ありません。すべては『フットボールとは』という表現が使用され、それがどんなスポーツなのかが記されています。そのうえでプレーモデルを作る時に、地域色が反映される」

リノ「フットボールはフットボール。世界中どこへ行っても一緒。僕もスペインと日本で指導の仕方は同じです」(文中敬称略)

(第3回へ続く)

[指導者プロフィール]

■リノ・ロベルト
UEFA(欧州サッカー連盟)スペイン連盟の指導者資格を持ち、2002年から5年間アトレチコ・マドリードでカンテラの指導に携わり、2017年に来日。埼玉県のジュニアユースチームでU-15監督を務めた。スペイン連盟からは、主に指導者対象の戦略セミナーを任された。

■吉住貴士
国見高校時代に全国制覇し、鹿屋体育大学では主将を務める。大学卒業後は長崎総合科学大学附属高校のコーチを6年間務めたが、その後スペインに渡り現地のチームで4年間指導。現在はRCDエスパニョールジャパンアカデミーの責任者。(加部 究 / Kiwamu Kabe)

加部 究
1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近東京五輪からプラチナ世代まで約半世紀の歴史群像劇49編を収めた『日本サッカー戦記〜青銅の時代から新世紀へ』(カンゼン)を上梓。『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(ともにカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。