築150年の古民家を改装した旅館「里山十帖」(記者撮影)

「今年は暖冬だから、雪はあんまり多くないね」

道路の両側にそびえる背丈ほどの雪の壁を前にしても、タクシー運転手からはこんな言葉が出てくるほどの豪雪地帯、新潟県南魚沼市。曲がりくねった雪道を進んでいくと、雪山の陰から一軒の旅館が顔を出す。玄関先には大きなキャリーバッグを転がす訪日外国人の姿。平日とはいえ、館内はほぼ満室だ。

この旅館の名前は「里山十帖」。部屋タイプにもよるが、価格は1泊3万円前後と高い。それでも1年を通した稼働率は8〜9割と旅館にしては異例の高水準を誇り、宿泊客の7割はリピーターや人からの紹介だという。

周辺の宿泊施設ではスキーウェア姿の観光客も多い中、里山十帖は、泊まることそのものが目的の客も多いという。見た目は何の変哲もない旅館の、何が人を惹きつけるのか。

オーナー3人が経営を断念した旅館

2月18日発売の『週刊東洋経済』は、「地方反撃」を特集。地域活性化には何が必要なのか。成功している「稼ぐ街」に足を運び、その実態を探っている。

里山十帖を経営するのは、雑誌「自遊人」の発行元でもある株式会社自遊人だ。もともと東京・日本橋に本社を構えていたが、出版事業と並行して展開していた食品販売事業において、「生産現場を直接見て学びたい」という思いから、2004年に本社を南魚沼市に移転した。


旅館を始めたきっかけは2012年春、近所の農家から「廃業する旅館があるが、興味はないか」と打診されたことだった。築約150年の総欅(けやき)、総漆塗りの建物に、自遊人の岩佐十良代表はほれ込んだ。

だが、旅館の経営は火の車だった。客単価の落ち込みに加え、冬場の暖房費がかさみ、すでに2人のオーナーが経営を断念。3人目のオーナーも苦境を打開できず、廃業を模索していた。築古の建物は設備も含めて抜本的な改修が必要な状態だったが、「南魚沼の人々に助けてもらった。その御恩返しだ」(岩佐氏)という気持ちで、旅館の買収を快諾した。

買収が完了してフタを開けてみると、想像以上に手を加える必要があることがわかった。配管の破れや水漏れ、すき間だらけの建物への断熱、上下階の振動や防音を抑える工事など、買収費用やリノベーションにかかる予算は当初1億円。それが工事を進める中で、みるみるうちに3億円超まで膨れ上がった。

計画外の出費に、一時は融資を引き受けていた銀行も「どう考えても事業は失敗する。融資をすべて引き揚げたい」というハプニングまであった。県内の旅館の客単価や稼働率のデータから、事業性を疑問視したのだ。

それでも、地域の魅力を体感できる施設に仕立て上げれば、絶対にいけるという確固たる自信があった。「食べ物はおいしいし、古民家もあるし、露天風呂からの景色もすばらしい。ここで旅館を開けば、絶対に軌道に乗るはずだと思った」(岩佐氏)。

ライフスタイルを提案する

頭に描いていたのは、泊まるだけの旅館というよりも、里山のライフスタイルを提案するショールームだった。重厚な扉を抜けてロビーに足を踏み入れたときから、一挙手一投足で「こういう暮らしもいいものだ」と感じられる雰囲気づくりを徹底した。

古民家の建て直しではなく手間のかかるリノベーションを選んだのも、築古の古民家が持つ雰囲気を大事にしたからだ。薪ストーブのそばに腰かけてコーヒーをすすったり、テラスで星空を眺めたりと、里山ならではのゆったりとしたライフスタイルのすばらしさを提示する施設を目指した。食器やいす、寝具に至るまでデザイン性にこだわり、気に入れば購入することも可能だ。

とりわけ、ほかの旅館と一線を画するのが食事だ。訪れた日の夜はコース料理の1品目が「根菜を煮ただし汁」。味付けはいっさいなし、根菜からにじみ出た甘みだけの直球勝負だ。次に運ばれてきたのは干し柿。和菓子と錯覚するほどの甘さだが、むろん甘味料は不使用。柿の甘さだけでここまで表現できる、と言わんばかりの一品だ。


週刊誌で日本一とも評された露天風呂も人気だ(写真提供:自遊人)

その後は山で採れたキノコや塩蔵・天日干しした山菜、そして目の前の土鍋で炊く魚沼産コシヒカリなどが運ばれてくる。机の上に調味料はいっさいなく、そのままの味を楽しんでもらうスタイルだ。コースのほとんどは野菜料理なのが奏功し、海外で増える厳格な菜食主義者「ヴィーガン」にも好まれるなど、意外なニーズも捉えている。

出版社である自遊人にとって、里山十帖は雑誌と同じ「メディア」だという。文字や写真ではなく、実際に触れたり、食べたり、雰囲気を感じたりすることで里山を疑似体験させる点では、よりリアルなメディアだと位置づける。ホテルの口コミサイトには「何もしないことのぜいたく」を堪能したという声が並ぶ。

2014年5月にグランドオープンした里山十帖だが、強烈なコンセプトが話題を呼び、開業からわずか3カ月で稼働率9割超を達成した。その後も客足は衰えていない。周辺のスキーリゾートが閑散とする夏場でも予約でいっぱいだ。「体感するメディア」というコンセプトは、2014年度に宿泊施設として初めてグッドデザイン賞ベスト100にも選出された。

1泊あたり3万円前後という値付けも、「まっとうな値段。むしろ、これまで旅館は価格競争に陥るあまり、安すぎていた」(岩佐氏)。宿のコンセプトに共感できる宿泊客のみに訴求できればいい、と広告宣伝はなし。価格比較サイトにもほとんど掲載していないが、9割は里山十帖のホームページから直接申し込みがきている。

腰を据えて地元を観察する

岩佐氏を含め、自遊人は南魚沼市の人々から見れば「よそ者」だ。時に閉鎖的とも言われる地方だが、事業を実現させるには腰を据えて地元と向かい合う姿勢が欠かせない。むろん里山十帖の隆盛を支えるのは、独自の発想力だけではない。

自遊人が旅館の買収を打診されたのは、自遊人が南魚沼市に本社移転してから9年目のことだった。「旅館を譲ってもいいということは、地元から信頼されている証拠。だからその期待に応えたかった」(岩佐氏)。それでも、買収当初は「変な人のたまり場にならないか」と不安の声が上がったほどだという。


山菜の盛り合わせ。春夏秋冬それぞれの時期に採った山菜が並ぶ(記者撮影)

岩佐氏は地元に溶け込み、信頼を得ていくことの重要性を指摘する。「いきなり地方に乗り込んでは、『地元のコンセンサスが取れず事業が進まない』と嘆く人がいるが、それは当たり前。少なくとも最初の3年間はじっと息を潜めて、地元を観察することが大事」。

里山十帖へは地域外からの観光客だけでなく、地元住民も訪れる。取材当日の昼、里山十帖では地元の農家に料理を振る舞っていた。農家からは「自分が作った野菜がこんな形で出てくるとは」と驚きの感想が上がっていたという。栽培者としての矜持をくすぐるだけでなく、地元との交流拠点にもなっている。

地域活性化は一朝一夕にはできない。厳しい環境下でも事業を生み出す発想力と根気強さが必要だ。

『週刊東洋経済』2月23日号(2月18日発売)の特集は「地方反撃」です。