2019年をもってツアー引退することを宣言したジョージ・クリントン。4月27日に大阪、4月29日〜30日に東京で開催されるビルボードライブ公演は、日本で彼のステージを見るラストチャンスになるかもしれない。数多の伝説を残してきたPファンクの創始者が、最後のツアーと将来の展望、最もワイルドだったコンサートを語る。

「よお、調子はどうだい?」――受話器の向こうからジョージ・クリントンの威勢のいい声が聞こえる。パーラメント/ファンカデリック(通称Pファンク)の首謀者は今年7月に78歳になるが、今でも気持ちは50〜60年代に音楽を始めた頃と変わらないと言う。

このように元気そうなクリントンだが、彼は先ごろ「ワン・ネーション・アンダー・ア・グルーヴ」と銘打った次のツアーが、自身の最後のツアーになるとアナウンスした。これはしばらく前から準備を進めていたことで、2014年に回想録『ファンクはつらいよ ジョージ・クリントン自伝(原題:Brothas Be, Yo Like George, Aint That Funkin Kinda Hard on You?)』を刊行し、ファンカデリックとパーラメントでの新作2枚をリリースしたときから彼自身が計画していたことだ。自分がツアーを引退したあとも、Pファンク・バンドはこれまで通り活動を続け、地球上にファンクを広げてほしいとクリントンは願っている。

「今ではシアターで上演する演劇のような感じさ」と、クリントンはローリングストーン誌に語る。「だから、俺としては演出を手伝えるので嬉しいね。バンドは新たな世代のファンクを人々に知らしめるために活動を続けるんだ」と。

ツアーに先駆け、ファンクの総帥は何十年も牽引してきたファンクに思いを巡らせつつ、多岐にわたる話をしてくれた。

―次のツアーを「ワン・ネーション・アンダー・ア・グルーヴ」と命名しましたが、今、敢えてその名称にした理由は?

このアルバムのマスターを取り戻したんだ。今では俺たちがこのマスターを所有している。そのあと、出版権も取り戻した。だから、今ではこのアルバムは俺が所有している。まだ数種類のブートレッグが出回っているけどね。このアルバムに何曲か加えて再リリースするつもりだよ。俺の倉庫にはたくさんのマテリアルが眠っているからね。

―このアルバムは1978年にファンカデリック名義でリリースされました。あなたがパーラメントで『Motor Booty Affair』をリリースする2ヶ月ほど前のことです。そして、その翌年にもパーラメントとファンカデリックの新作を発表しています。当時はどんな状況だったのですか?

『One Nation〜』を作ったとき、俺たちは「アンチツアー」と名付けたツアーに出たんだた。それまで(パーラメントの)『Mothership Connection』で長期間ツアーを続け、そのあと(『Motor Booty〜』での)「アンダーウォーター・ツアー」なども行っていた。ブライズ・オブ・ファンケンシュタインをお披露目して、彼女たちと一緒にツアーを続けたわけだけど、軍隊の戦闘ズボンみたいに俺たちは疲弊していたよ。リムジンもなく、ローディーもいなかった。だから会場に入ったら、機材全部を自分たちでセットアップするしかなかったんだ。そんなとき、晴天の霹靂のように『One Nation〜』がヒットしたけど、俺たちはその事実を受け入れる準備ができていなかったのさ。それに、このアルバムのリハーサルをする時間もなかったから、「とにかく旗を手に入れて、このまま続けよう」ということなり、まるで軍隊みたいにみんなでツアーに出た。それが「アンチ・ツアー」だ。俺たちはどうしていいやら分からなかったけど、ファンカデリックはいつものようにファンキーだったよ。

で、陸海軍ショップであれこれ買ったんだけど、そのあとからはミリタリー物を普通のデパートでも売るようになり、流行のファッションとなった。おかげでミリタリー物がものすごく値上がりしたのさ。俺たちが買ったときは安かったのにね。

―楽曲「One Nation」を作っていたときの思い出はどんなものですか?

ちょうどヤマハからたくさんの機材を手に入れたばかりだった。メンバー全員、箱を開けて新しい楽器や機材のテストをしていたね。そんなときに最初にできたのがこの曲で、新しい楽器を使ってジャムっている最中に生まれた。ジャムっていたのは、オハイオ・プレイヤーズから鞍替えしたばかりのジュニー・モリソン、バーニー(・ウォーレル/Key)、ダグ・ダフィー(Key)、ゲイリー・シャイダー(Gt)だったよ。とても流れのいい音楽だったから、俺の頭の中でどこかで誰かが言っていた言葉が浮かんだのさ。ワシントンDCの連中が俺たちを「グルーヴの元に集まった一つの国家(One nation under a groove)みたいだ、それが俺の国だ」と言ったことがあった。この次に「Ready or not〜」(歌詞を歌う)ができて、2つとも滑らかに流れるものだから、それから2日くらいで1曲として仕上げた。ミックスはほぼしていない。あらゆるEQや機材を使ってミックスしようと試みたけど、最終的にボードミックスを選んだし、それがラジオから流れてくるこの曲のミックスになったんだ。もう一度ミックスしようと試みたけど、最初のやつほど良いミックスにはならなかったね。

そして、これが俺たちにとってのアンセムになった。俺たちはあらゆる方向からファンクしていた。そんな俺たちがツアーに出るんだから、みんなは心の準備をした方がいいぜ。最高のファンクでみんなを盛り上げるからな。

―この曲は、人々を一つにすることについて歌っていますよね。

昔からそれがテーマだった。モータウンを通過して形成された大家族が68年、69年のロックンロールとヒッピー風のヴァイブを取り入れたんだ。俺にとってそれが一番だったのさ。大きな二組の家族が集う一つの大きなコミュニティ、というのがいつだって俺の夢だった。ウッドストックとファンみたいな感じだね。俺にとってのファンクはすべてを一つにするグルーヴなんだよ。

―今回のツアーはどんなものになりますか?

俺たちの歴史を振り返る必要があるし、新曲も披露しなきゃいけない。だって、俺たちの音楽に夢中なキッズたちは、(レッド・ホット・)チリ・ペッパーズやヒップホップのグループを経由してPファンクの歴史も学んでいるから。彼らは様々なバンドやスタイルを通じて俺たちを知っているわけだし、俺たちも自分たちが歩んできたあらゆる時代(の楽曲)を見せてやらないといけない。俺の場合、いつもステージに立って、観客の様子を見て、演奏する曲をその場で決めている。50年前の曲から現在の曲にひとっ飛びすることも容易いし、観客に馴染みのある曲を披露することにもなるだろうね。それに、俺たちは同じことを絶対に繰り返さないから、毎回新しいセットになるよ。

―そうなると、バンドはツアー前に何百もの楽曲をリハーサルしないといけないのでは?

俺がどの曲を選ぶかは誰にも分からない。観客の様子によっては、みんなでジャムって、その流れで思いついた曲をそのまま演奏するってこともある。でも、それができる会場とできない会場があるんだ。モータウンの曲だけ演奏することだってできるし、「どうしてその曲を演奏するの?」と言う観客は一人もいないはずだ。オレゴンやサンフランシスコでプレイするときは、ストレートなロックンロールのセットにして、「Flash Light」や「We Want the Funk」をロックンロールにアレンジして入れるかもしれない。そうじゃなきゃ、俺たちの楽曲のサンプルが入った曲をプレイするかもしれない。あるいは、(デ・ラ・ソウルの)「Me Myself and I」(※)を彼らの歌詞で歌うとか。彼らのおかげであのフレーズが有名になったからね。

※ファンカデリックの「(Not Just) Knee Deep」をサンプリングしている。

―どのようなステージにするつもりですか? マザーシップを復活させるとか?

マザーシップはもうスミソニアン博物館に展示されているよ。確か、あそこで一番大きい展示らしい。

―では、どんなステージングになりそう?

(パーラメントの2018年のアルバム)『Medicaid Fraud Dogg』がリリースされているから、医者と看護師みたいな感じだね。演劇みたいになる。真新しいステージさ。マザーシップに近いエネルギーが炸裂することになるよ。

―話を伺っていると、今でもパフォーマンスすることをエンジョイしているように思えます。ライブ活動を辞めるのは辛いのでは?

ああ、本当に辛いよ。でも俺にはやらなきゃいけないことがたくさんあるから。

―例えば?

これからも音楽は作り続けるけど、世の中への出し方をこれまでとは変えるだろうね。ソーシャルメディア経由とか、最近の新しいツールを使って発信するつもりだ。ラジオ局から一定の年代に曲を届けても、その曲は「古き良き音楽」になってしまう。新しい音楽をやりたいなら、新しいやり方で人々に届けなきゃいけない。そうじゃなきゃ、誰も音楽なんて聴いてくれないからさ。俺は新しいやり方で聴いてもらうよ。

―つまり、音楽から完全に引退するわけではないということですね?

それはない。俺のような年寄りでもできるイージーなやり方に変えるってだけだ。

―現在、フェアウェル(さよなら)・ツアーを行っているアーティストがたくさんいます。オジー・オズボーン、エルトン・ジョン、キッスなどは2度目のフェアウェル・ツアーをやってますよね。

ああ、俺たちはみんなジジイなんだよ。

―今後もステージに立ってバンドと一緒に演奏する機会はある?

そうだな、バンドはこれからもチェックし続けるよ。もしかしたら、リアリティ番組を企画して、誰が一番リーダーに相応しいか決めるかもしれない(笑)。連中の集中力を維持するのに、これは結構いいアイディアかもしれないな。

―最近はツアー中の健康管理はどうしていますか?

ステージに立つまでバカなことは一切しないようにしている。ステージのためにすべてのエネルギーをセーブして、ステージに立った途端にその日の朝からずっとジャムっていたように見えるくらいのエネルギーを爆発させるのさ。でも、俺はステージを降りたら、孫とひ孫がいる爺さんだ。私生活のあれこれが待っている。それに(バンドメンバーの)多くは孫みたいなもんだ。その点は割り切っているよ。ステージでエネルギーを爆発させると、若い連中を楽しませながら、連中のモチベーションも刺激できる。ステージが終わったら、俺は家に帰るだけさ。

―昔はどんな感じでしたか?

そりゃあ、昔は一晩中パーティーしていたよ。寝るのは朝の7時だったね。それから10時くらいまで寝て、またすぐに活動していた。今では合法薬物すらやっていないけど、あの頃は手に入るものは何でもやってたな。合法でも違法でもね。今、周囲の合法薬物をやっている連中を見ると、ストリートで売っている薬物をやっていた頃の俺と同じに見える。

世の中に目を向けると、最近は薬物と政府の話ばかりだ。自分の保険で、自分の薬だっていうのに。大きな薬物が世界中で流行っていて、現状は鎮痛剤の元に集う一つの国家(one nation under sedation)に見えるよ。

―あなたの生活が一変したのはいつですか?

6〜7年前だね。

―割と最近ですね。

ああ、そんなに前のことじゃないけど、俺自身もいつからかなんてハッキリとは覚えちゃいない。やめようと思ったら、その前だってできなかったわけじゃないけど、俺の場合はそれくらい前にやめたし、それでいいと思うよ。

―これまでのツアーを振り返って、自分史上最もワイルドだったコンサートはどんなものでしたか?

初めてマディソン・スクエア・ガーデンでプレイしたときだな(1975年)。俺たちの宇宙船は地上に着陸はしていたけど、あれだけ大きな会場で、大勢の観客の前で、懐中電灯に照らされて……なんてライブは未経験だった。ほんと、会場全体がホタルみたいにライトアップされていたよ。観客は懐中電灯と『スター・ウォーズ』のライトセーバーみたいなやつを持っていたね。あれが「Flash Light」のコンセプトが生まれた瞬間だよ。自分の声すら聞こえないくらいの歓声だった。ブーツィーが前に出て「ハレルヤ!」って叫んだら、まるで世界の終わりを連れてくるような声に聞こえたよ。

―今回のツアーにブーツィーが参加する予定はありますか?

ああ、あるよ。彼も引退したから、できないって答えもあり得る。でもきっとステージに上がって何かしてくれるよ。ドラムとか何かをプレイするはずさ。この機会を逃すはずは絶対にない。彼もスライもね。彼らは絶対に参加するはずなんだ。何かしてくれるよ。

―観客の懐中電灯以外で、あなたが目撃した観客の一番クレイジーな行動は何ですか?

観客がありとあらゆるブームボックス(ラジカセ)を持参していたことがある。連中は俺かブーツィーみたいなコスチュームを着ていた。それもサイズの大きいやつをね。あと、竹馬に乗っていた連中もいたよ。以前は俺たちの周りを竹馬に乗って進む一群がいたけど、彼らが誰なのかはまったくわからなかった。というのも全員が3.6メートルの巨大な人形のコスチュームを纏っていたから。このグループは一時期、俺たちのあとをついて回っていたよ。

―マザーシップでツアーを行ったとき、費用は自腹を切ったのですか? それともレーベルから支援があったのですか?

俺が自腹を切った。ニール(・ボガート:カサブランカ・レコーズの創業者)に言ったんだよ、俺に金をよこすよりもマザーシップの資金繰りに使う方が簡単だって。金額的には25万ドルくらいだったし、コスチューム代がそれくらいかかったから。あれはラリー・レガスピがブロードウェイの演劇をやっていた頃だ。

―初めてのコンサートは覚えていますか?

最初のコンサートは高校の頃で、ジャージーのYMCAか公園でやったと思う。あと、ブルックリンに行ったり、アポロシアターのアマチュアナイトにも出演したよ。「Testify」が(1967年に)出たとき、125番街でWWRLの(ラジオDJ)フランキー・クロッカーと一緒にブロックパーティーをやったこともあった。当時、WWRLでナンバーワンだった「Testify」と俺たちを紹介してくれたのが彼だ。彼は他の連中と一緒に俺たちをマディソン・スクエア・ガーデンに連れて行ってくれたし、96年にはセントラルパークで俺たちを迎え入れてくれたんだよ。

―最近、自分のアルバムの著作権の返還を求めて戦っているようですが、状況はどんな感じですか?

これは俺の使命だ。『One Nation〜』を取り戻したし、『Knee Deep』も『Hardcore Jollies』も取り戻した。次は『Flash Light』のために戦うよ。自分の作品の著作権のために戦う必要があるんだ。俺にキャリアを推進する力と音楽を作る力を与えてくれたものだから、昔の楽曲に恩義を感じているのさ。連中をギャフンと言わせてやる。今の俺の使命がそれ。あとでドキュメンタリーを作ろうとも思っている。連中が俺たちから盗んだ何百万ドルという金を隠すためにどんなことをしたのか、みんな自分の目を疑うくらいのすごい話だから。本当にとんでもない話なんだ。次のミッションがこのドキュメンタリーを作ることだよ。

でも、昔の音楽を取り戻したから、あの楽曲たちにこれから敬意を払うつもりだ。たくさんの人のキャリアの一部になってきた曲たちだし、それこそ、サンプリングして自分の楽曲に取り入れたアーティストたちも含めた全員の一部なんだよ。だから、そういった楽曲をもっと価値のあるものにしていこうと思う。加えて、新しい曲もできているし、そっちの著作権は俺たちの家族に直接行くようになっている。楽曲によっては問題が起きてしまうこともあるだろうが、そういうことにも対処する準備はできている。

―最後に、アイス・キューブの新曲「That New Funkadelic」はどう思いますか? あなたのサウンドを複製しているようですが。

俺はすごく気に入っているよ。彼がリリースする半年前に(音源を)もらっていたけど、非難する点なんて一つもない。(歌いながら)「アイス・キューブは新しいファンカデリックをやった、新しいファンカデリックを」。実は、もうすぐ俺たちもこの曲をステージでプレイするつもりなんだ。

※関連記事:ジョージ・クリントン「トランプ大統領はファンク要素ゼロ」

ジョージ・クリントン来日公演

〈大阪〉
2019年4月27日(土)ビルボードライブ大阪
詳細:http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=11356&shop=2

〈東京〉
4月29日(月)〜30日(火)ビルボードライブ東京
詳細:http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=11355&shop=1

◼️メンバー
ジョージ・クリントン / George Clinton (Musical Director, Vo)
スティーブ・ボイド / Steve Boyd (Vo)
ゲイリー・"マッドボーン"・クーパー / Gary"Mudbone"Cooper (Vo)
マイケル”クリップ”ペイン / Michael”Clip”Payne (Vo)
ブランディ・スコット / Brandi Scott (Vo)
トニーシャ・ネルソン / Tonysha Nelson (Vo)
パタヴィアン・ルイス / Patavian Lewis (Vo)
テイリ―・パークス / Tairee Parks (Vo)
トレイシー・ルイス・クリントン / Tracey Lewis Clinton (Vo, Rap)
ボウヴィエ・リチャードソン / Bouvier Richardson (Rap)
ルショーン・クリントン ジュニア / LuShawn Clinton Jr. (Rap)
カルロス"サー・ノーズ" マックマレイ / Carlos"Sir Nose"McMurray (Dancer)
ダニエル・ベッドロジアン / Daniel Bedrosian (Key)
トラファエル・ルイス / Trafael Lewis (Gt, Stage Manager)
ドウェイン・"ブラックバード"・マックナイト / Dewayne ”Blackbyrd” Mcknight (Gt)
ギャレット・シャイダー / Garrett Shider (Gt, Vo)
ライジ・カリー / Lige Curry (Ba)
ベニー・コワン / Bennie Cowan (Trumpet)
グレッグ・トーマス / Greg Thomas (Saxophone)
ベンジャミン・"ベンゼル"・コワン / Benjamin"Benzel"Cowan (Dr)