飯田淳平レフェリー(撮影:森雅史/日本蹴球合同会社)

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レフェリー飯田淳平は、今も「吹けなかった笛」を悔やんでいた。

2018年4月21日、G大阪はC大阪をホームに迎えダービーを戦っていた。16分、C大阪GKキム・ジンヒョンのキックが伸びてG大阪のペナルティエリアの前に落下する。そのボールに反応していたのは三浦弦太とGK東口順昭。2人はお互いを認識しておらず、三浦の頭と東口の顔がぶつかる。飯田はすかさず笛を口にくわえた。だが――。

ボールはC大阪の選手の前に落ち、飯田はそこで笛をためらった。C大阪の選手がドリブルを続けると東口は立ち上がりゴールに戻る。その後、東口は決定的なシュートはじき出したところで倒れ込んだ。急いでドクターが入り東口のプレー続行不可を表す。東口は右の頬骨と眼窩底を骨折していた。

「あの場面は後悔……それから反省しかありません」

飯田は苦悩の色を浮かべながら振り返る。

「衝突の瞬間もわかっていた」と言う。だが「止められるかと考えたんですが、相手の選手がワントラップしてボールを持ちだしたところで待ってしまった、見てしまった」「それが私の弱いところで止められなかった。止めるに止められなくなってしまった」と正直に語った。

このジャッジの後、飯田は動揺していたそうだ。

「あとでバックスタンドのスーパースローが出て、東口選手の歯が折れて飛んでいく場面が映されたんです。それだけのことが起きたのに、自分が止めなければいけないのにできなかった」

「止めればよかったと話すのは簡単なのですが……辛いというか、辛いのはケガをしたお2人なので」。東口は驚異の回復力を見せて20日後にはリーグ戦に復帰した。そのとき、飯田は「後遺症が出なくてよかった……」としみじみ思ったそうだ。

こんな場面を二度とくり返してはいけない。そうならないために飯田は、ずっと責められ続けられている自分のミスを隠さず、率直に語って原因を明らかにしている。

今年も日本サッカー協会審判委員会はJリーグ開幕前に各Jクラブを回り、レフェリーの判断基準と実際の例を説明している。その中にはこの場面も含まれているそうだ。そしてすべてのクラブが、たとえ自分たちのチームが攻めていても、この場面ではすぐに試合を止めてほしいという意見だったという。

【文:森雅史/日本蹴球合同会社】