全員「鈴木」選抜レースで話題、歴史からたどる“浜松市×鈴木”のルーツ

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「鈴木と鈴木のスタート争いは、外から鈴木、鈴木辰己が先行していきました!」

「鈴木のワンツースリーは決まっている!」

 7日に開催された、「サンケイイスポーツ杯 GI 第60回 スピード王決定戦」の初日最終12レース。選手8人全員が「鈴木」のこのレースは、「優勝の鈴木選手おめでとうございます」「二位と三位の鈴木選手も素晴らしい走り!」「四位から八位の鈴木選手お疲れさまでした!」などと大反響を呼んだ。

 実況泣かせの「鈴木選抜レース」はなぜ開催されたのか。本大会に参加した選手96人のうち10人が鈴木選手で、話題作りのために鈴木選手だけでレースを組んだという。

 同じ苗字企画は鈴木が初めてではない。2009年、福岡・飯塚市営オートレース場では、選手全員が田中の「田中選抜レース」が開催され“最強の田中”が決定した。

 同じ苗字しばりのレースを開催する目的について、JKAオートレース事業部の橋野隆太郎広報部長は「一番はお客様に楽しんでいただこうということと、あと話題づくり。オートレースのファンに盛り上がっていただければいいなと。TwitterとかSNSを積極的に活用している多くの局に取り上げていただけたのではないか」と話す。

 一方、浜松市には鈴木姓が多いというデータもある。日本の鈴木率は全国2位の約1.6%だが、浜松市の鈴木率は全国1位の約7%。徳川家康が29歳から45歳まで浜松城で過ごし、松平(徳川)の家臣となっていた三河地方(愛知県東部)の“鈴木一族”も浜松市に移り住んだことが理由だとの見方がある。

 さらに三河の鈴木のルーツをたどると、平安時代に鈴木姓を名乗っていた紀州(和歌山県)の熊野大社の「御師(神社振興を参拝者に紹介・案内し、宿泊などの世話をするツアーガイドのような人)」が、三河に漂着し住み着いたとされている。

 これらの経緯について、歴史学者で東京大学史料編纂所教授の本郷和人氏は「熊野三山は信仰の対象として有名で、京都から上皇や天皇が“熊野詣”をしていた。そこで、教えを広めていた神官が御師。三河に着いたのは漂着ということだけではなくて、黒潮に乗って三河にとどまらず関東地方、東北地方と船で赴き、教えを広めるということがあったようだ」と説明。

 また、現在も愛媛県には伊予国の豪族だった「越智」姓、沖縄県には「比嘉」姓が多いとし、「珍しい苗字だけれどある地域には多くいる、というのはそうしたことがある」と述べた。

(AbemaTV/『けやきヒルズ』より)

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