不思議なのは森保監督への言及が少ないことだ。アジアカップ準優勝は成績的には及第点ながら、スタメンとサブとの間に明確な境界線を引いたり、選手交代のタイミングが極端に遅かったり、首を傾げたくなる采配が目立った。

 日本の目標は、もはやアジア予選突破ではない。次回W杯から本大会出場国枠も、現行の32から48に肥大化することが濃厚になっている。本大会でどこまで勝ち上がれるか。本大会で日本代表監督は、どれほどの采配を振れそうか。これこそがチェックすべき一番の点だ。

 アジアカップはW杯と大会の形式がよく似た短期集中大会である。そこで代表監督が振った采配について、なぜ議論しようとしないのか。不思議というより謎。世界的に見てとても奇妙な話だ。

 西野朗監督に次ぐ日本人監督。しかしながら森保監督は、ロシアW杯限定の暫定監督的な色合いが濃かった西野さんとは違い、長期の就任を前提に招聘された本格的な監督だ。98年フランスW杯、2010年南アW杯に臨んだ岡田武史監督も前任監督の退任を受けたリリーフだった。

 日本人監督がW杯後に、次回W杯を目指して代表監督に就任するのは、日本がその本大会に続けて出場するようになってから初めてのケースである。

 はたして森保監督に2022年W杯まで代表監督に任せて大丈夫なのか。この疑問はあと3年8ヶ月、抱き続けていかなければいけない、サッカーファンに課せられた宿命でもある。自由闊達、フランクに語られるべきテーマだが、議論は全く盛り上がっていない。この日本の現状。森保監督の采配より問題視したくなる。

 突っ込むことを控えたくなる監督の地味キャラに対し、気がつけば優しい眼差しを向けているというより、監督采配に意見する文化が十分浸透していないことの証と考えるべきだろう。

 サッカーほど監督が批判の対象になるスポーツはない。実際に他の競技よりサッカーは監督交代が頻繁に起きる。たとえば、プロ野球の監督と比較すれば一目瞭然だ。

 代表監督をW杯という本番の開幕を2ヶ月後に控えた段階で更迭する競技は、サッカー以外にあるだろうか。しかもそれは波風が立つことをあまり好まない日本で起きた話だ。この時もメディアが「交代すべきだ」と騒いだわけではない。手前味噌で恐縮だが、僕以外でそれを原稿化した人はほとんどいなかったはずだ。ところが、それでもサッカー協会は監督交代を決断した。ハリルホジッチから西野さんへ劇的な交代劇を行った。

 サッカー監督とはそういうものだ。突っ込むべき一番の対象は監督。代表監督に限った話ではない。取材に携わるものは、取材対象のサッカー監督すべてに目を凝らす必要がある。

 2月22日にスタートするJリーグ。プロ野球より一足早くシーズン開幕を告げるというのにその報道の量は少ない。スポーツニュースのキャンプ情報といえばプロ野球。Jリーグの話題を聞くことは滅多にない。

 サッカー報道の中心は日本代表。Jリーグではない。そして日本代表選手の大半が海外組だ。スポーツニュース等で取り上げるに値する知名度の高い選手はプロ野球ほど存在しない。話題が枯渇する理由だろうが、サッカーには選手以外にも監督という主役がいる。試合に及ぼす影響はプロ野球の監督より圧倒的に大きい。その解任の頻度がプロ野球より高いことがそのなによりの証拠だ。

 欧州ならば、間違いなく選手より監督だ。選手のスター性を越えるカリスマ性を備えたスター監督は数多く存在する。なぜ監督にカリスマ性は宿るのか。世の中から注目を集めるのか。逆になぜ日本のサッカー監督は、世の中から注目を浴びないのか。カリスマ性に富む監督がいないのか。