江戸の飛脚半端ないって!江戸から京都を3日間で走破した幕府公用の継飛脚とは?

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自転車も車も電車もなく、頼りにできる運送手段は人の脚のみだった江戸時代。そんな時代に己の脚ひとつで日本全国を駆け回り、大切な手紙や荷物を運んだ「飛脚」。今回はそんな彼らの中でも半端ない速さだった「継飛脚」にクローズアップします。

江戸最速の継飛脚

中世の頃から手紙や荷物を運ぶために始まった飛脚という仕事。

江戸時代に入り東海道や中山道などの五街道が整備された事により、そのスピードはさらにアップしました。飛脚にもいくつか種類があり、最速だったのが幕府公用の継飛脚(つぎびきゃく)。彼らは幕府の老中など偉い人のみが使える超重要公文書を運ぶ飛脚でした。

彼らには特権があり、夜間の関所を通過できちゃったり、増水した大井川も特別に渡らせてもらえちゃったり、川留めの解除後に真っ先に渡れちゃったり、大名行列の横切りすら許されちゃったりしていました。その速さは江戸から京都まで500km近くある距離を60〜80時間で走破するほどだったと言います。

各宿場に継飛脚が置かれていて、リレー形式でひたすら走り続けたのです。江戸で出した手紙が人力だけで最短3日で京都に届くって、継飛脚半端ないって!

継飛脚のビジュアルは?

 

継飛脚 出典元・北斎「富岳百景」国立国会図書館蔵

図をみると、2人で走っています。そうです、継飛脚は2人1組。どっちかが足遅いなんてことになると話にならないので、2人も脚には自信のある走りのエキスパートだったのでしょうね。

書状・荷物を入れた「御状箱」を棒の先にくっつけて肩に担ぎ、「御用」と書かれた札を持って走りました。

飛脚の通常スタイルとして、上半身はもろ肌ぬぎで足に脚絆を着用したスタイルや、股引のようなパッチ1枚で上半身は裸スタイル、さらに自慢の入れ墨を見せたい場合は褌一丁がスタンダードだったようですね。

やはり半端ないスピードで長距離を駆け抜けるので、袖のもたつく着物では暑かったのでしょう。また、額には汗止めのハチマキも欠かせなかったようです。足元はワラジ一択。足の皮も分厚かったのだろうと想像されます。

伝説の「飛脚走り」とは?

飛脚走りという走法をご存知でしょうか。別名ナンバ走りとも呼ばれ、右手と右脚、左手と左脚を同時に出す特別な走り方の事です。

画像出典元 DNA 「江戸時代後期の日本にいた全身刺青の飛脚たちのカラー写真いろいろ」

これにより飛脚は1日に何10kmも、場合によって100km以上を走れたとされています。しかし、その走法は現代に伝わっておらず、映像や資料にも残っていないために本当にあったのか証明できない伝説の走法となってしまいました。信じるか信じないかはアナタ次第・・・。