「Suica」や「ICOCA」といった交通系ICカードは、全国相互利用サービスにより、全国各エリアで利用できます。しかし、東京〜沼津間や大垣〜米原間といった「エリアまたぎ」の利用はできません。どのような事情があるのでしょうか。

同じ路線の駅なのにICカードで乗降できない…なぜ?

 最後にきっぷを買ったのはいつのことか覚えていますか。いまや首都圏では「Suica」や「PASMO」など交通系ICカードの利用者が9割以上を占めているそうです。2013(平成25)年には交通系ICカードの「Kitaca」「Suica」「PASMO」「TOICA」「manaca」「ICOCA」「PiTaPa」「SUGOCA」「nimoca」「はやかけん」で「交通系ICカード全国相互利用サービス」がスタートし、国内多くの都市の交通機関を1枚のICカードで利用できるようになりました。


きっぷとICカードに対応した駅の自動改札機(2011年3月、草町義和撮影)。

 ただし「相互利用」といっても制約があり、それぞれのエリアをまたいで利用することはできません。JR東京駅でSuicaを使って入場し、そのままJR大阪駅まで行って出場することができないように、ICカードは各エリア内で完結する利用が前提となっています。

 そんなことは当たり前だと思うかもしれません。しかしこのルールを適用すると、同じ路線の駅なのにICカードで乗降できないケースが発生してしまいます。たとえばJR東京駅の改札にICカードをタッチして入場し、東海道線に乗ってJR沼津駅(静岡県沼津市)で自動改札機にタッチしてもゲートは開きません。東京駅はJR東日本のSuicaエリアですが、沼津駅はJR東海のTOICAエリアだからです。同様にTOICAエリアのJR大垣駅(岐阜県大垣市)で入場し、ICOCAエリアの米原駅(滋賀県米原市)で出場することもできません。

 こうしたICカードの境界駅を越える利用者数は決して多いわけではありませんが、地元自治体や利用者からは、利便性向上のために異なるエリアをまたいで使えるようにしてほしいという声が上がっています。なぜこのような制約を、わざわざ設けているのでしょうか。

エリアが一体化したケースもあるが…

 全国相互利用を行っている10種類の交通系ICカードは、いずれもソニーが開発した「FeliCa(フェリカ)」という技術を採用しています。FeliCaはデータを格納する記憶領域を複数持っており、カード固有IDとカード内に保存されたデータをサーバと通信して処理を行います。

 そのうちカード残額や入場・出場駅など運賃計算に必要な記録の記憶領域とデータの形式は、日本鉄道サイバネティクス協議会が制定した「サイバネコード」によって共通化されているため、ほかのエリアでも利用が可能です。

 しかし鉄道利用に関するすべてのデータが共通化されているわけではなく、たとえばICOCAやmanacaなどでJR東日本の「Suicaグリーン券」を購入できないのは、当該の記憶領域を別の用途で使用しているからと考えられます。

 さて、ここまで「ICカードは異なるエリアをまたいで利用できない」と書いてきましたが、首都圏の人たちが当たり前のように使っている“あのカード”は、異なるエリアをまたいで使えることに気付きます。そう、SuicaとPASMOです。どちらのカードでも、PASMOエリアの地下鉄で入場して、直通先のJRで当たり前のように下車できます(地下鉄とJRが直通運転する福岡のSUGOCAとはやかけんの関係も同様)。

 SuicaとPASMOは特別な関係だからでは、と思うかもしれません。しかし全国10種類の交通系ICカードが、それぞれのシステムを接続して相互利用を実現するための「相互利用センターサーバ」は、実はPASMO導入にあたって設立されたものであり、Suicaにとってシステム上の関係は、PASMOもその他の交通系ICカードも基本的には変わらないのです。つまり、SuicaとPASMOが実現しているように、SuicaとTOICAもエリアまたぎの壁を越えることは、技術的には可能なはずです。

膨大なパターンの検証が壁に

 ではなぜ、実現しないのでしょうか。営業制度上の問題を別にすると、その答えは費用対効果の問題にありそうです。日本民営鉄道協会の会誌『みんてつ』2008年春号によると、PASMOは基本的に4社の路線までの最安ルートを判別して運賃収受ができる仕様とされてり、導入前に約12億3000万パターンの運賃検証試験を実施したといいます。

 さらに、PASMOとSuicaで使用する駅務機器およそ200種類を使用した総合試験は、2005(平成17)年10月から1年4か月をかけて、約40万件に上ったそうです。Suica導入時は合計およそ6万件だったといいますから、ほかの交通系ICカードシステムと一体化するためには、膨大なパターンの検証が必要になることが分かります。

 相互直通運転により、JRと私鉄、地下鉄が一体化した首都圏においては、この問題を解決しない限りICカードを導入する意味がありませんでした。しかし利用パターンや利用者数が限られるエリアまたぎに、そこまでのコストをかけることは、いまの時点では現実的ではないのでしょう。

 しかし、将来的にはどうなるか分かりません。以前、ICOCAは「近畿」「石川」「岡山・広島・山陰・香川」の3地域に分かれており、地域をまたがった利用はできませんでしたが、2018年9月にICOCAのサービス範囲が拡大されてひとつに統合(ただし「ICOCA統合エリア」内でも原則として200kmを超える区間ではICカードを利用できない)されました。こうした事例が、今後は異なるエリア間でも行われる可能性は十分にあると考えられます。

【写真】大量! 沼津駅の「IC不可」案内


Suicaエリアに近いTOICAエリアの沼津駅。柱から床、壁までありとあらゆる場所に、ICカードの「エリアまたぎ利用」ができない旨の案内表示が設置されている(2016年7月、草町義和撮影)。