『アナと雪の女王』歌詞の「Let It Go……」の意味は「ありのままの」ではない? 主題歌に隠された“エルサがモンスターになっていく過程”

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  毎週日曜日、夜8時から生放送中の『岡田斗司夫ゼミ』。1月27日の放送では、ディズニーアニメ『アナと雪の女王』の特集が行われました。

 この放送の中で、パーソナリティの岡田斗司夫氏は、登場キャラクターの1人であるエルサが雪山で主題歌『Let It Go』を歌い上げるシーンを「歌の見せ方、まとめ方、キャラクターの演技、すべてが良い!」と絶賛。オリジナルの英語版と日本語版の歌詞の差や、原語から読み取れるこのシーンの読み取り方、クライマックスの「少しも寒くないわ」という言葉に隠された意味などを解説しました。

岡田斗司夫氏。

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『アナ雪』の魅力は『Let It Go』にある

岡田:
 僕が『アナ雪』を最初に見たのは、劇場公開の半年以上前、たぶん9ヶ月くらい前だと思うんですけども。映画館で、いきなり「ディズニー最新作!」ということで、4〜5分ある『Let It Go』の歌の部分が、丸々ノーカットで映画館で流れたんですよ。とにかく、いきなり真冬の山の中を、マントを羽織った女の子が歩いていて、歌を歌い始める。それが盛り上がって来たところで氷の城が完成して、「少しも寒くないわ」というところまで、ノーカットで流れたんですよ。この歌と映像のすごさにビックリしたんです。

 実は、この歌の部分だけは現在もYouTubeで公開されていて、日本語版でも英語版でも見ることが出来ます。僕はこの歌のシーンに『アナと雪の女王』の魅力がほとんど全て詰まっていると思うんです。歌の見せ方、まとめ方、キャラクターの演技、すべてが良い。

 この「キャラクターの演技」という見方をしている人はあまりいないんですけど。こういった演技を通じて、作り手達がこの作品を、これまでのディズニー作品では描かなかった領域、ディズニーアニメがこれまで扱ってこなかった表現とか思想にまで、この作品を持って行こうとしているのがわかるんです。なので僕はそのノーカットの予告編を見た時に、背中がゾクゾクしたんです。

 この歌のシーンの全編を通じて行われていることは何かというと、寒さを感じる人間であったエルサが、雪山の中で「少しも寒くないわ」と言う存在になっていく。つまり、エルサがモンスターになっていく過程というのを描いているんですよ。

 でも、普通、人間がモンスターに変わっていく時というのは、黒くするものじゃないですか。ダースベイダーみたいに。ところが、『アナ雪』というのは逆なんですよね。エルサというのを、より美しく、より白い方向へ持って行くから、モンスターになっているというのが、みんなにはわからないんです。そして、そうやってエルサが徐々にモンスターになっていく過程を見せていく時に、否定的な歌ではなく、肯定的に聞こえるような歌を流しているところ。ここも新しいところだと思います。

「Let It Go」は「ありのままに」ではない

 「Let It Go,Let It Go Can’t hold it back anymore」っていう有名なパート。この「Let It Go」というのは「ありのままに」ではないんです。

 じゃあ、どういう時に使うのかというと、例えば彼女にフラれた未練をいつまでも引きずっている友達なんかに言う言葉なんですよ。つまり「もういいじゃない」とか「もう終わったことだろ?」とか「忘れろよ」というニュアンスに近いんですね。友達が会社をクビになって「あの時こうすればよかったのに」と言って落ち込んでたら「Let It Go」と言う。そういうニュアンスだと思ってください。

 だから、エルサが笑いながら「Let It Go,Let It Go」と言っているというのは、実は、かなり反語的なんですよ。かなりネガティブなことを笑いながら言っているということで、本来は、ここら辺からゾクゾクする感じというのが伝わってこなきゃダメなんです。でも、それを「ありのままの姿 見せるのよ」と言っちゃうと、印象としてポジティブになり過ぎるんですよね。この「Let It Go」という、普段は英語としてはわりと否定的な言葉を曲のサビに持ってきたというところが、カッコいいところでもあるんですけどね。

 『アナと雪の女王』では、どんどんモンスターになっていくエルサを、まるで「人間性が解放されている」とか、「自由を得た美しいもの」として表現しちゃってます。だけど、実はここから先のエルサというのは、『バットマン』で言う“ジョーカー”とか“ハーレ・クイン”に近いんですよ。そういう、もともと自制心が強かった人が、狂って行くことで解放されていく、哀しさとか切なさなんですよね。

 しかし、吹き替え版では「ありのままの自分になるの」という歌詞にしてるから、この「狂っていくことで解放されてしまう切なさや哀しさ」というのが伝わらないんです。

スーパーヒーロー映画としての『アナ雪』

 超能力を持つ主人公というのは、その力に苦しむ。その苦しみに負けた者は、“ヴィラン”つまり悪役になるんですね。エルサは自分の氷を操る能力に負けてしまって、結局、このお話の中ではヴィランになってしまっているんです。

 しかし、『バットマン』のハーレイ・クインとかジョーカーと違って、『アナ雪』の表現として先端的なところというのは、「エルサが至った狂気というのを前面に出して、明らかにおかしいものとして表現せずに、まるで人間性の解放のように語ることで二面性を見せている」というところなんですね。

 「真に自由になるためには、反社会的であることを恐れてはいけない。しかし反社会的であれば自由と引き換えに孤独になってしまう」。なんかもう、本当に『バットマン』の世界ですよね。

 『アナと雪の女王』というのは、こういう本音を、子供や普通の観客に気づかずに忍び込ませているんですよ。だから僕は、マーベルヒーローとかヒーローモノが好きな人こそ、『アナと雪の女王』を見て、「ああ、すげえ!」と言うべきだと思うんですよ。

 でも、そういう人達は、まず最初に、このヌルいパッケージと、ヌルい日本語の歌詞に引っ張られて、まさかそんな話だなんてあんまり思っていないみたいなんですよね。これ、本当にすごいことなんですよ。僕らが油断しているうちに、ディズニーアニメというのは、日本の深夜アニメよりも、わりと過激になってしまったということなんですね。

「少しも寒くない」という言葉に隠された意味

 『アナと雪の女王』というのは、実は“ダース・ベイダーの誕生”なんですよ。正義感が強く、人一倍フォースがあって、でも、何もかもに絶望しちゃったアナキン・スカイウォーカーは、ダース・ベイダーになった。それと引き換えに最強のフォース、最強の戦闘力を手に入れた。同じくエルサも、魔法の力がが強くなると同時に、どんどん人間性を失っていく。

 彼女は「もう寒くない」んです。マントを脱いでもなぜか寒くない。この「少しも寒くないわ」というのは、「え? もともと私、寒くなんてなかったんじゃないかな?」っていう意味なんですね。「The cold never bothered me anyway」この「anyway」というのは、この場合、「もともとは」という意味として訳すのが正しいと思うんですけど。エルサは、かつて自分が寒がっていたことを、もう忘れつつあるんです。

 この、「そういえば子供の頃から、私、本当は寒くなかったかもしれない」というのは、エルサはそれまでずっと孤独で寂しかったんですけど、それを「え? 私、ひょっとしたら孤独なんて平気だったのかもしれない」と思い始めていることと掛けているんです。

▼記事化箇所は22分54秒頃〜視聴できます▼

「#266 岡田斗司夫ゼミ『アナと雪の女王』“Let It Go”の
意味から見える ヒットの秘密(4.42)」

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