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独裁者ゲームで見えたブランドの影響力

「独裁者ゲーム」という有名な課題をご存じでしょうか。これは、利他性の程度を定量的に検討できるということで、心理実験などでよく使われる課題です。

分配者と受領者の二者で行われ、分配者が掛け金の配分率を決定し、受領者はその決定に従って受け取るだけという単純なルールです。

この課題では、受領者は配分率の決定に対して何をすることも言うこともできません。独裁者ゲームでは、分配者は掛け金を独占するのが最も合理的な選択です。ですが、多くの場合、受領者に対して2割以上の配分比を決定することがわかっています。

被験者のブランドへの反応を調べるために、この独裁者ゲームをやってもらいます。

20枚の1ドル紙幣を持たせた被験者が、見知らぬ相手に対していったい何枚渡すのかを観察するのですが、この実験は相手がブランドのロゴなど何もついていないセーターを着ている場合と、ブランドのロゴつきセーターを着ている場合で、渡す枚数がどう変化するのか、ということがポイントです。

さて、ブランドのロゴの有無により、独裁者ゲームの結果はどう変わったのでしょうか。

ロゴありの場合、ロゴなしの場合に比べて、実に25%も多い金額が、相手に与えられたのです。 

街を歩いているとき、にこやかに近づいてきた見知らぬ人から「アンケート調査にご協力をお願いできませんか、粗品を進呈します」などと話しかけられた経験を誰でも一度や二度は持っているのではないかと思います。

こうしたアンケートに応じる人は実際、どのくらいいるのでしょうか。

オランダ、ティルブルグ大学のマイヤーズらの研究によれば、近づいてきた人の服装によって、アンケートに答えてくれる人の割合が変わったといいます。

まったく知られていないブランドのロゴがついたセーターを着ていた場合には、アンケートに答えるのを承諾した人は約14%でした。だいたい7人に1人くらいです。

しかし、ラコステのワニのロゴがはっきりわかるセーターを着ていた場合には、なんとアンケートに答えてくれた人の割合が約52%になったのです。

実に半分以上の人が、調査員が見知ったブランドのセーターを着ていただけで、協力的な態度を取った、ということになります。

寄付金の額についても同じような結果が報告されています。

ここでもなんと、見知ったロゴ入りのセーターを着て依頼した場合には、そうでない場合に比べて、寄付金の額が倍になったのです。

なぜ人はブランド物を欲しがるのか

有名ブランドのロゴ入りセーターを着ている人は、それを買えるだけの経済的余裕のある人なのだろうという推測ができますから、この結果は不思議なことが起きているようにも見えます。

より持たざる相手に何かを与えたいという気持ちが生まれるわけでもなく、より持てる相手に妬みを感じるなどして配分率を下げたりするわけでもなかったのです。

それでは「裕福な相手に、より多くを与える」という一見不合理な選択を私たちがしてしまうのは、いったいなぜなのでしょうか。

従来の、消費についての社会学的な理論ではこれをうまく説明することができませんでした。

たとえば、フランスの社会学者ブルデューは、消費を促進するのはディスタンクシオン(卓越性)への欲求であると分析しています。文化財の消費、またそれらへのアクセス権の独占を目的として行われる経済行動は、卓越化という利益を期待して行われるという考え方です。

また、自己肯定のために人間はブランドを必要とする、という主張や、いつか訪れる死への怖れを超克するために金銭的価値への執着が生まれるとする立場もあります。
これらの理論が展開するような、地位をめぐる競争に勝利し、自分が劣っているという屈辱を晴らすために消費が行われるのだ、という主張について考察を加えてみると、消費は競争を助長し、人間同士の社会的距離を広げる行為である、ということになります。

しかしながら、これまで紹介したいくつかの実験は、ブランド品の消費によってより相手と協調する結果を生むものばかりですから、自分を相手に対してできるだけ優位に持っていこうという動機に着目して強調するこうした理論を適用しようとしても、かなり説明に無理が生じてしまうと言わざるを得ません。

しかしここで「社会的選択」という概念を導入すると、この現象をうまく説明できる可能性があります。社会的選択というのは、競争でなく協調するという戦略をとる場合、協調する相手をどう選ぶのか、その選び方のことです。

「ブランドのロゴを身に着けている」ということは、その人物がすでに一定の社会経済的地位を手に入れているというサインです。つまり脳は、ブランドのロゴという社会経済的地位の高さを示すサインを見て、「互恵関係を築けば利益の増大が見込める」と判断し、その相手を「社会的パートナーとしての価値が高い」と読み替えてより多くの投資をする、と解釈することができます。

ブランドに左右される脳

あとで説明しますが、ブランドは、強い感情と結びついた記憶を呼び起こすことで、その商品やそれにまつわる経験に価値を付与します。

けれども、ブランドは脳ではどのように認知されているのでしょうか。 

ブランドがブランドになるには、何が必要なのでしょうか。

有名な実験に、「ペプシチャレンジ」というブランドが脳に与える影響を調べた研究があります。コカ・コーラとペプシコーラを比較し、ブランドについての知識が味や選好を変容させるということで話題になった、広く知られている古典的な研究です。
これを脳科学的に検証しようという研究がアメリカの脳科学者モンタギューらによって行われています。

実験ではまず、ペプシコーラとコカ・コーラを被験者に飲んでもらい、味の好みとブランドの好みが一致するかどうかを調べました。その結果、自分が好きだと思っているブランドと、ブラインドテストで調べた味の好みはそれほど一致するわけではない、ということがわかりました。

つまり、コカ・コーラ好きだと自認して公言していても、ラベルを見せずに中身だけ飲ませるとペプシコーラを選ぶ、という人がそれなりにいた、ということになります。

次に研究グループは、被験者にコカ・コーラとペプシコーラのそれぞれをブランド名なしで飲んでもらい、その最中の脳の活動をスキャンしました。主観的な快楽を感じるときに活動すると考えられている脳機能領域は腹内側前頭前皮質ですが、この部分の活動は、被験者があらかじめ報告した自分のブランドの好みとはあまり一致しませんでした。ブランドと味を、脳はどうも別々に処理しているようです。

このデータをもう少し掘り下げるために、ブランド名がわかっている状態で被験者にそれぞれを飲んでもらって、そのときの脳をスキャンしました。すると、コカ・コーラを好きだと答えた人がコカ・コーラと知って飲むときには、記憶・情動の回路が活性化していたのです。

一方で、ペプシコーラではこのような反応が見られませんでした。コカ・コーラに特異的に見られたこの反応は、情動に直接訴えかけて判断を変化させるということで、エモーショナル・ブランディングと呼ばれています。

研究グループはさらに、腹内側前頭前皮質を損傷した患者に対して同じ実験をしました。上で説明したとおり、この部分の活動は、主観的な快楽、そして感情的記憶と結びついています。すると、この患者たちは、ブラインドテストでの味の好みと、ブランド名を明かした場合の好みが一致したのです。

ブランドの好みに判断が左右されてしまうのを私たちはあまり良いことのようには思っていませんが、ブランドを好むのも大事な脳の働きのひとつと言える、ということになるでしょうか。

うつろう「美」の基準

しかし、素晴らしいブランドも過剰に身に着けすぎたり、さほどカッコよくない人が好んでいることがわかったりするなど、時と場合によってはダサく感じられることもあります。

また、ブランドイメージを毀損するネガティブなアクションやステートメントが何もなかったとしても、その価値が時間を経て色あせてしまい、相変わらずそうカッコいいわけではなくなってしまうということもあります。

もっと言えば、「美人」の基準も時間軸、空間軸に沿ってかなり大きく変化する価値のひとつです。その変化の激しさは、「おいしさ」などのあまり変わることのない基準とはやや異なるように感じられます。

こうした変化する価値の評価は、脳のどこが行っているのでしょうか。

あまり変わらないおいしいという価値や、時間を経てもさほど変わらない食品などのブランドの価値は、ここまで述べてきたように腹内側前頭前皮質が判断しています。

変わる美の基準をどこが判定しているのかを調べるために、クウォーツとアスプは「カッコいい」という価値に着目し、20代前半の学生を被験者として脳の活動を測定しました。

まず、学生に、香水から家電に至るまでさまざまなジャンルから、カッコいいものとカッコ悪いものを選んで200個以上の画像を作成してもらいました。次に、別の学生たちを被験者として、それらの画像を見ているときの脳の活動をスキャンします。その後、見てもらった画像についてカッコいいからカッコ悪いまで点数をつけてもらいました。

すると、カッコいい、と学生たちが判定した画像について、内側前頭前皮質が活性化していることがわかりました。この部分は、空想、計画、内省的な思考をしているときに活性化する部分であり、「自意識」に深くかかわっていることが知られています。

カッコいいかどうか、という判断と、自意識が関連している、という発見は何を意味するのでしょうか。

内側前頭前皮質が司っていると考えられるのは以下のような機能です。この部分は、自覚していなくても、自分の周囲で起こっていることを常にモニターしており、自分と関係の深いことであればできるだけすばやくこれを検出して反応させようと準備しています。自分との関連がある一定の値を超えると、そこへ自動的に関心が向くようにスタンバイしているというわけです。

自意識過剰は鋭敏な証拠

若い時代に見られがちですが、誰かをからかうのに、関係のありそうなことをわざわざその人の周りで曖昧なかたちで口にし、その人が気にして振り向いたり応答したりするのを「自意識過剰〜」などといって揶揄するいじめのひとつの類型があります。

実際には、これは脳が正常に機能しているだけなので、特に揶揄の対象になるような応答ではありません。しかしながら、そうした正常な応答についても鋭敏にフィードバックが起こり「その場に適切な応答であったかどうか」を脳が判定しようとして、適切でなかったかもしれない、と判断されてしまうと、それが羞恥心というかたちで表出されることがあるのです。

たまたま誰かの悪意によってそういう目に遭ってしまったら、鋭敏な自意識は健康な脳の働きの証拠なのだから特に恥ずかしいことではない、ということを思い出してほしいと思いますし、むしろそうした悪意のほうにこそ、やや残念な脳の特徴である未発達さ(幼稚さ)が見て取れるということも知っておいていただきたいことです。

ともあれ、自意識と「美」の例のように頻繁に変更が加えられる価値基準が関係しているということは大変興味深いデータです。

内側前頭前皮質は、自分の社会的な位置づけを確認するために常に活動している領域なのですが、「カッコいい」の基準を司っているだけではなく、無自覚のうちに私たちの行動を抑制し、行き過ぎた利己的な振る舞いを回避させるという機能を持っています。いわば「良心」の領域であり、その社会における倫理規範と照合して適切な行動を取らせ、反社会的な振る舞いをさせないようにする働きを持っているのです。

日本人の消費サイクルが短いわけ

ただ、中にはこうした規範に対してあまり敏感に応答しないタイプの人がいます。つまり、この内側前頭前皮質の活動が活発でないごくわずかの人たちです。

これらの人たちは、いわゆる「サイコパス」と呼ばれる一群の人々ですが、変わる価値基準に対してそれを意に介さず堂々と振る舞うので、あたかもその人たちが基準であるかのような印象を人々与え、一定数の人から「カッコいい」人物であると支持を得ることがあります。

こうした人物を支持するのは、自意識の領域にネガティブフィードバックのかかりやすい若年層に多く見られます。若いあいだはサイコパシーの高い人間を性的パートナーに好むけれど、年齢を経ると刺激的な相手より信頼のおける相手を選好するようになるという変化が起こるのはこのためだと考えられます。

日本は、サイコパシーの高い人間の割合がどちらかといえば少ない国です。裏を返せば、内側前頭前皮質の機能が高い人がより多く、「カッコいい」や「倫理」の基準の変化する頻度が比較的高い風土であると言えます。

5年前にはさほど問題にならなかったことが、不適切であると過剰に非難を浴びたり、2年前にカッコよかったものがあっという間にダサくなったりしてしまう。こうした消費のサイクルは、内側前頭前皮質と自意識の関係からさらに研究が進んでいくことでしょう。

脳のある部分の機能を計測すれば、その活動の大きさから、欲求の強さと価値の高さを見積もることができる――これが脳科学の一領域である神経経済学の考え方です。脳は、本人が自覚していない場合でも、常にまわりの対象物について価値判断を行っています。そして、無自覚的な行動をひそかに誘導しているのです。

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