今年、デビュー40周年にあたる村上春樹さん(写真:共同通信社)

日本有数の人気作家、村上春樹。1979年のデビューから数えて今年で40周年を迎える。その間、安定してベストセラーを生み出し続けるなど、つねに第一線で活躍してきた。

2018年8月には、その春樹が初めてラジオ番組のディスクジョッキーを務める『村上RADIO』が、TOKYO FM/JFN38局ネットで放送された。落ち着きのある語り口と、春樹自身のセレクトした音楽の数々。放送後には今後も続けてほしいという声が数多く寄せられたという。好評のうちに回を重ねて、いよいよ第4弾が、本日(2月10日)19時から放送される。

作品はもちろん、それ以外のところで注目を集めるのも人気作家の宿命と言っていいだろう。ラジオの話題もその1つだが、とくに、ここ十数年の一般的な関心といえば、やはり毎年秋に決まるノーベル文学賞の動向に違いない。

村上春樹はなぜ「賞」とは無縁なのか?

ハルキ・ムラカミの名前がノーベル文学賞の有力な候補者として挙がっているらしい。そんな非公式な噂をもとに日本のマスコミが盛り上がりはじめたのは、春樹がフランツ・カフカ賞を受賞した2006年ごろからだった。以来、秋になるとビジネス・チャンスを逃すまいと出版界や書店業界などが前のめりになり、そんな興奮をよそに「春樹受賞ならず」というニュースが繰り返し報じられてきた。

昨年は、この文学賞を審議するスウェーデン・アカデミーの関係者にスキャンダルが勃発。その混乱による影響で発表は取りやめとなったが、今年の秋には昨年分も含めて受賞者が発表される予定らしい。いずれ受賞したときの春樹フィーバーがどれほどの賑わいになるのか。想像するだけで恐ろしくなる。

少なくとも春樹の作品が国内だけでなく海外でも熱心な読者を獲得し、また評価も高いことは否定しようがない。というところで、だいたい蒸し返される文学賞についての定番の話題がある。

日本で最も有名な文学賞といえば、芥川賞と直木賞だが、春樹はどちらも受賞したことはなく、今後も受賞することは考えにくい、という一件だ。

はたして、なぜ受賞していないのだろうか。……というのが本稿の中心テーマなのだが、率直に言ってしまうと、そこに奥深い答えなどありはしない。

1979年のデビュー作『風の歌を聴け』、翌年には『1973年のピンボール』と、春樹は芥川賞の候補に2度選ばれた。ついに受賞には至らなかったが、当時の芥川賞選考委員が話し合った結果、「受賞させるほどのものではない」と判断したからだ。答えはそれ以上でもそれ以下でもない。

文芸評論家の市川真人に『芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか』(幻冬舎新書)という、その名もズバリの本がある。そのなかでも、当時の委員が春樹作品をいかに理解できなかったかが細かく分析されている。要するに、選考委員がこの新人作家の将来的な活躍を予見できなかった、と言うしかなく、当の委員の1人大江健三郎が、のちに「私は(中略)表層的なものの奥の村上さんの実力を見ぬく力を持った批評家ではありませんでした」(2007年・新潮社刊『大江健三郎 作家自身を語る』)と語っているとおりだ。

春樹の作品を評価できなかったなんて無能もいいところではないか。確かにそのとおりかもしれない。しかし、総じて直木賞や芥川賞は社会一般から評価されすぎている。期待されすぎている。そのくらいの失敗やとりこぼし、世間の文学観とのズレは、あるほうが自然だろう。

芥川賞についてはもう「アガリ」

そもそも芥川賞は、対象となる作家と作品が限定されているかなり特殊な文学賞だ。新人作家による、文芸誌などに載った250枚程度までの小説しか対象にならない。春樹はデビューしてかなり早い段階で、文芸編集者たちから「新人の域を抜けた」存在と見なされ、そのため3度目以降の候補入りの機会は訪れなかった。

このあたりを春樹自身の回想から引いてみる。

”二度候補になり、二度落選したあとで、まわりの編集者たちから「これでもう村上さんはアガリです。この先、芥川賞の候補にはなることはないでしょう」と言われて、「アガリって、なんだか変なものだな」と思ったのを覚えています。芥川賞というのは基本的に新人に与えられるものなので、ある時期がくると候補リストから外されるようです。(2015年・スイッチ・パブリッシング刊『職業としての小説家』)”

またほかの新人と違って春樹の小説は初期の頃からよく売れた、という記録がある。1983年に刊行された『カンガルー日和』の頃には「村上春樹は完全に10万部作家になりました」とも言われていた(『出版月報』1983年10月号)。

ベストセラーを連発することで芥川賞の資格がなくなるということはないが、この点も、3度、4度と候補歴を重ねた作家たちと春樹との、大きく異なっていたこととして付け加えておきたい。確かに芥川賞では、新人と見なされないと候補にも選ばれなくなるのだが、では直木賞のほうはどうだろうか。

直木賞は大衆文芸の賞であって、純文学を書いていた春樹が候補になるわけがない、と断定したくなるところだ。しかしそこまで直木賞は単純ではない。古今、純文学の書き手と目された中堅クラスの作家が、直木賞の候補に挙げられることは珍しくなく、井伏鱒二や小山いと子、檀一雄、梅崎春生などに受賞させるような直木賞が、村上春樹を候補にしたところで特別不思議ではないのだ。

大きく影響したと思われるのは、中央公論社の主催する谷崎潤一郎賞が、1985年『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に贈られたことだった。

出版社が運営する文学賞のあいだには「この賞よりもあの賞のほうが格上」、ないしは「この賞を受賞していないと次にあの賞の対象にはならない」という緩やかな序列がある。

谷崎賞は純文学向けの賞だが、序列は純文学とエンターテインメント小説の分野でくっきり分かれているわけではなく、谷崎賞の格は、直木賞よりも明らかに上だと見られていた。春樹がまったく文学賞と無縁な活躍を続けていたら、いずれ直木賞が彼の作品を候補に選ぶ余地もあったかもしれない。そうならなかった理由は、ほかの賞が早々と春樹作品を評価したからだ。

チャンス逃した芥川賞、出る幕ない直木賞

つまり、芥川賞は選考委員にその後の文学の動向を見通す力がなかったせいで、賞を贈るチャンスを逃した。一方、ほかの文学賞が春樹作品を黙殺せず、顕彰機関としてきちんと役割を果たしたおかげで、直木賞の出る幕がなくなった、ということになる。

一つの賞が失敗をしでかしたとする。いくつかの賞が補完し合えば、文芸出版全体としての損失は少なくなる。……現在のように複数の賞が並立するときの理想的な形が、村上春樹の作家的な歩みの中で機能したのだ、と言っていいだろう。

一部の作家にのみ、立て続けに賞が集中するよりも、文学賞のあり方としては、よほど健全だ。春樹が芥川賞や直木賞をとらなかったこと。そこだけに注目しても始まらない。これを文学賞全般の一部として捉えれば、さまざまな作家に賞が贈られるように、さまざまな方針で文学賞が運営されることの重要性が、はっきりと見えてくるのだ。