音楽界を代表するビッグスターが集結し、長丁場のレコーディングを敢行。その後3月7日にリリースされることになる、USA for Africaの代表作が完成した。この歴史的記念日を振り返る。「音楽の力が人々をひとつにしした」

これまで、チャリティ・ソングの頂点に立つこの曲の仕掛人はクインシー・ジョーンズだと言われてきたが、実際はハリー・ベラフォンテの発案だった。バンド・エイドの「ドゥー・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」に影響され、エチオピアの飢饉撲滅に向けたアメリカ版オールスターソングを作ろうと考えたベラフォンテは、エンターテインメント関係の経営者で、活動家仲間だったケン・クラーゲンにコンタクトし、彼のクライアントだったライオネル・リッチーやケニー・ロジャース、スティーヴィー・ワンダーに声をかけてもらった。だが、ひとたびクインシー・ジョーンズが分厚い名刺ファイルを携えて仲間に加わると、話は少しずつ大きくなっていった。ジョーンズはマイケル・ジャクソンを呼び寄せ、リッチーやワンダーと共同で作曲にあたらせた。コラボレーションの噂は音楽業界のトップクラスの面々に瞬く間に広まった。ワンダーがスケジュールの都合で抜けざるを得なくなり、残された2人はジャクソン一家が所有するエンシノの邸宅にこもって曲を仕上げた――もっとも、ジョーンズが望んだほど早くはなかったが。「(マイケルと)ライオネルはぶらぶらして、のんびりモータウンや昔の時代の話ばかりしていた」とプロデューサーは自著『The Complete Quincy Jones: My Journey & Passions(原題)』の中でこう振り返っている。「それで私は『なあお二人さん、3週間後には46人のスターが集まるんだ、早いとこ曲を仕上げないと!』と言った。2人は最初のレコーディングが始まる前の晩になってもまだ、のちに『ウィー・アー・ザ・ワールド』となる曲の歌詞を書いている途中だった」

1985年1月28日、音楽界のビッグスターがハリウッドのA&Mスタジオに続々と入っていった。同じ日の夜、街の反対側で行われていたアメリカン・ミュージック・アウォードから直行した者も多かった。タキシード姿でのチャリティ・ソング収録は誤った印象を与えかねない、と考えたジョーンズは服を着替えさせ、関係者全員に、かの有名な友好的なおふれを出した。「エゴは入口に置いていってくれ」。午後9時ごろ、まずジャクソンが自分のパートを収録。10時30分には全員そろってレコーディングが行われていた。リッチー、ワンダー、ロジャース、ジャクソン以外にソロパートを務めたのは、ポール・サイモン、ジェームス・イングラム、ティナ・ターナー、ビリー・ジョエル、ダイアナ・ロス、ディオンヌ・ワーウィック、ウィリー・ネルソン、アル・ジャロウ、ブルース・スプリングスティーン、ケニー・ロギンス、スティーヴ・ペリー、ダリル・ホール、ヒューイ・ルイス、シンディ・ローパー、キム・カーンズ、ボブ・ディラン、レイ・チャールズ。20名の精鋭によるバックコーラスには、ベット・ミドラー、スモーキー・ロビンソン、ポインター・シスターズ、ラトーヤ・ジャクソン、ウェイロン・ジェニングス、そしてバンド・エイドの発起人ボブ・ゲルドフの姿があった。

これだけのセレブが集まってはみたものの、スタジオ内には曲に対する反対意見もあった。曲が少々わざとらしいと感じる者もいた。「あの場にいたほとんどの人間が、あの曲をあまり気に入っていなかったが、誰も口に出さなかった」2005年、ビリー・ジョエルはローリングストーン誌のインタビューで答えた。「シンディ・ローパーが近寄って、こう耳打ちした。『なんかペプシのコマーシャルソングみたいね』僕も反対はしなかったよ」プリンスはあえてプロジェクトへの参加を断った。その理由については諸説あるが、彼は最終的に、この曲と合わせてリリースされたフルアルバムに1曲提供し、代わりにヒューイ・ルイスがソロパートを担当した。

レコーディングは12時間弱にわたり、翌朝8時まで続いた。最後までスタジオに残っていたのはジョーンズとリッチーだけだった。その時彼らの手に託されたものが、やがて大記録を打ち立てる。1985年3月7日にリリースされるや、アメリカのポップソングとしては前代未聞のスピードセールスで、3日間で80万枚を出荷。最終的に全世界で2000万枚以上のセールスを記録し、80年代最大のベストセラーとなった。すでにご承知のとおり、アフリカおよびアメリカの人道支援に6300万ドル以上もの募金を集めた。ジョーンズにとっては今でも、これが輝かしいキャリアの中での最高の瞬間だという。「はるか遠くで過酷な状況に苦しむ人々を救うために、世界中から46人のビッグスターがひとつの部屋に集まった」2015年、USA Today紙とのインタビューで彼は当時をこう振り返った。「あの夜、あの経験を、そっくりそのまま再現することはできないだろう。私は音楽の力を理解しているし、音楽の力が人々をひとつにし、人類をより良い方向へ導いてくれると信じている。『ウィー・アー・ザ・ワールド』という作品ほど、このことを最も表しているものは他にないだろうね」