2018年9月、九州大学の研究室で元院生の46歳男性が放火自殺をした。男性は研究職に就けず、経済的に困窮していたという。国は1990年代から大学院の定員を増やしてきたが、その結果、就職できない「ポスドク」が大量発生した。教育ジャーナリストの木村誠氏は「国にはポスドクの就職難を招いた責任がある」と指摘する――。

※本稿は、木村誠『大学大崩壊 リストラされる国立大、見捨てられる私立大』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/chachamal)

■40歳過ぎ、年収300万の非常勤講師

政治・経済・文化・社会のグローバル化の進展で、中国や韓国、台湾も高学歴社会になり、研究力を伸ばしている。日本も負けじと大学院大学や大学院の重点化を打ち出し、大学院生を大量に生み出した。

しかし、日本は文部行政の不得意分野ともいえる社会での受け皿づくりに失敗。理系はまだしも文系の大学院修了者は就職に大苦戦している。実態としては「失業博士」の救済策になったポスドク(博士研究員)が増え、さらに複数の大学をかけ持ちしても年収300万円程度の40歳過ぎの非常勤講師もいる。

大学は不安定な彼らを人件費の調整弁として、教員不足をやりくりしているのが現状だ。このままでは日本の大学の未来は限りなく暗い。

戦後の大学は学部を土台に研究組織が作られてきた歴史がある。だから大学の先生は学部の教員であり、大学院では兼任教員ということが多かった。

ところがグローバル化が進み、要求される専門知識が高度化し、実社会でのビジネスの相手も博士の外国人がほとんどという業界も出てきた。そのため、1990年代に入ると大学院の重視政策が打ち出された。学部より大学院に重点を置く大学が増加した。

■就職先が増えていないのに定員を増やした

現在、組織的に大学院の重点化が進んだ国立大学は以下の通りだ。

北から南に、北海道大学、東北大学、東京大学、一橋大学、東京工業大学、東京農工大学、東京医科歯科大学、新潟大学、金沢大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、神戸大学、岡山大学、広島大学、九州大学だ。これに筑波大学を加えてもよいだろう。ただ、教育・研究活動を完全に大学院へシフトした大学は少なく、何割かの教員の所属を大学院に変えただけの大学もある。

私大でも、18歳人口の大幅な減少を視野に入れて、大学院にウエイトを置く計画の早稲田大学などが出てきている。現状でも、早稲田大学は学部・大学院とは別に学術院という組織を作り、教員を所属させている。研究所も含めて相互の連携を進めるためである。

この大学院重点化によって、大学は学部の定員を大学院に振り替えて定員を急に増やした。そのため学生の研究者志向も薄く、今まで大学院進学を考えなかったような層が入学した。どこの大学院でも、大学院生の質の低下を招いたと言われる。特に1995年から2009年ごろまでの就職氷河期には、学部卒業時によい就職先を見つけられなかったため緊急避難として大学院に進学する者さえいた。

また、博士に適切な就職先が増えていないのに、博士課程定員を急激に増員したことによって、大学院の博士課程(博士後期課程など)修了者(課程博士)の余剰を招いた。若手研究者に深刻な就職難問題を引き起こしたのである。それが本来はキャリアパス(経験や能力を積む期間)だったポスドク(博士研究員)の受難につながった。

■若手研究者の可能性をつぶす政策

文部科学省は前述のように、2016年度から全国の国立大学を「世界最高水準の教育研究」「特色分野の教育研究」「地域活性化の中核」を目指す3つに分類したが、この分類は地方国立大学の若手研究者の可能性を押しつぶしかねないという声がある。

これもすでに述べたが、2013〜15年の3年間に日本が出した論文数は、10年前のアメリカに次ぐ世界2位から5位に下がった。その主要な原因を探ると、文部科学省の科学技術・学術政策研究所の調査によれば、2013年の勤務時間に占める研究活動の割合は35.0%で、2008年の前回調査から1.5ポイント低下したことにある。2002年の初回調査に比べると、10年あまりで10ポイント以上減っているのだ。その間の2004年に国立大学法人化が始まった。

■疲弊する現場の大学教員たち

この研究活動の減少の背景には、何があるのか? 同研究所の「科学技術の状況に係る総合的意識調査」から「若手研究者が独立した研究の障害となる要因」をみると、

(1)短期間で成果を求められ、主体的な研究活動ができない
(2)研究資金の不足
(3)必要とする事務支援や技術支援が得られない

という理由が挙がっている。これらは大学教員の各世代でほぼ共通しているが、特にこの悩みは、30代以下の若手研究者に多い。

若手の大学教員に聞くと、アクティブ・ラーニング、初年次教育、留学生への対応など、学生の教育に充てる時間の増大を指摘する声が目立つ。そのような声は教育の多様な展開に積極的に取り組んでいる国立大学や私立大学に比較的多い。研究か教育か、大学教員の持つ昔からのジレンマと言えるかもしれない。

また前述の調査における「研究活動の増加に有効とする手段は」という問いに対しては、大学教員の全体の6割以上が「大学運営業務や学内事務手続きの効率化」と回答している。煩雑な事務手続きに時間を費やしている現状がわかる。文部科学省と財務省による競争的資金を利用した大学リストラ政策が、このような状態を生み出したと推測できる。

国公私すべての大学に共通して、こうした業務と教育・研究に現場の教員は疲弊している。AI(人工知能)やICT(情報通信技術)化によって事務効率を高めて時間の余裕を生み出し、研究活動や教育の質の向上に繋がる環境の整備が急がれる。

■神奈川県の法科大学院がすべてなくなった

2018年春、首都圏の神奈川県にあった4つの法科大学院がすべてなくなった。山陰、四国など地方ではもっと悲惨である。この主因は将来の法曹人口の読み違いと、文部科学省と法務省との縦割り行政である。文部科学省は法科大学院を管轄し、法務省は司法試験を管轄している。

木村誠『大学大崩壊 リストラされる国立大、見捨てられる私立大』(朝日新書)

法科大学院のリーガルマインド(法の適用をする際に必要な的確かつ柔軟な判断力)を重視する教育と、法律や判例の知識を重視する司法試験の内容とがマッチしていない状況こそが、縦割り行政の結果といえる。だから法科大学院を卒業しないでも受験できる予備試験に、優秀な学生が集中するという皮肉な結果を生んだ。

高学歴ワーキングプアや博士ホームレスという大学院卒の悲惨な状況も、将来の博士需要を見誤った文科省の誤算が主因である。ただし文科省だけの責任ではない。法科大学院の設置も大学院の重点化も、会社経営者など経済界の要望がバックにあった。

企業のコンプライアンス(法令順守)が進むには、今までの法学中心の法学部の教育体制では対応できないとして、リーガルマインドや実践的に法律を学ぶ法科大学院の創設を主張したのである。スタート時に予想以上の数の大学が法科大学院創立に走り、やや乱立気味になった。

■政策が当事者を忘れてしまった結果

その後、司法試験の合格実績が低迷し、志願者が減少した法科大学院が次々と撤退した。大都市と地方との法曹人口(特に弁護士)の不均衡を是正するという大義名分も、地方の法科大学院の撤退によって、名実ともに空文句に終わった。さらに司法試験の合格者数も当初は増えたが、弁護士の就職難が表面化するにつれ、頭打ちになった。法科大学院を卒業しても司法試験に受からず、以前のように司法浪人も生まれた。明らかに法科大学院制度は失敗した。

弁護士や博士を大量に生み出して、お互いに競争させるという新自由主義的発想が背景にあったのは確かだ。1990年代に始まった大学院重点化政策もその一つである。グローバル化も法曹人口の拡大も、時の経済界のオピニオンリーダーの意見に影響されている。

大学院重点化によるポスドクの就職難や法科大学院の淘汰の問題も、時の経済界の要望や意見をそのまま反映するのでなく、当事者となる若者たちの進路にプラスとなるように設計するという基本を忘れてしまった結果だ。

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木村誠(きむら・まこと)
教育ジャーナリスト
1944年、神奈川県生まれ。早稲田大学政治経済学部新聞学科卒業後、学習研究社に入社。『高校コース』編集部などを経て『大学進学ジャーナル』編集長を務めた。現在も『学研進学情報』などで活躍。

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(教育ジャーナリスト 木村 誠 写真=iStock.com)