1月22日に安倍晋三首相がロシアのプーチン大統領との首脳会談に臨む。だが首脳会談に先駆けて開催された外相会談では、ロシア側から北方領土に関して厳しい要求が突き付けられた。北方領土交渉は今後どのような展開があり得るのか。軍事ジャーナリストの黒井文太郎氏が現実的な視点から交渉の行方を占う。

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ロシア側には2島すら引き渡す意思はない

 2019年1月14日の日露外相会談が物議を醸している。相手方のラブロフ外相が「まず日本は4島がロシア領と認めよ」「北方領土という用語を使用するな」などと強い要求をしたからだ。

 ロシア政府はかねてから4島はロシア領だと主張しており、日露間に「領土問題は存在しない」との立場だが、これからまさに交渉を進めようという矢先に、日本側も譲れない主権放棄を迫るというのは、いきなり先制パンチを放ったようなかたちになった。

 これに対し、日本政府は会談の内容について説明することを拒否。ただ「日本側の考えを先方に伝えた」と公表するに留めた。これはロシア側の強い態度に、日本側が打つ手を失っていることを示している。最近、日本政府は対露交渉について具体的な話を一切しなくなっているが、それはロシア側から色よい反応が引き出せていないことの証明だ。今回の外相会談でも、通常は会談後に行われる共同記者会見を日本側の要望で取りやめるなど、日本政府は逃げの一手に終始している。今年の年初には「安倍政権の狙いは、日露交渉で得点を挙げて選挙で勝つこと」などといった超楽観的な観測記事も出ていたが、もはや一気に吹き飛んだような雰囲気である。

 もっとも、ロシアがこれまで1ミリすら領土返還の約束をしていなかった事実から、筆者などは「プーチン政権には2島引き渡しの意思すらない」とかねて指摘してきた。今回のラブロフ外相の強硬姿勢も、十分に予想範囲内である。安倍政権としては、期待どおりにいかずに戸惑っているかもしれないが、そもそも「首脳同士の信頼関係があれば、2島は確実。あとはプラスアルファだ」というような楽観的な見方自体が、ロシア側の言動をきちんと分析できていない誤認識である。

北方領土の地図(出所:外務省)


安倍首相が打てる手は?

 本来なら、いくらなんでもここまで双方に根本的な立場の相違があれば、領土引き渡し交渉など不可能である。だが、驚いたことに安倍首相自身は、1月16日に官邸で交渉推進派の旗振り役である鈴木宗男元議員と会談し、外相会談について「順調な滑り出しだった」と発言したという。安倍首相は1月22日にプーチン大統領との首脳会談が予定されているが、とにかく平和条約締結に並々ならぬ強い希望を持っており、何があっても交渉を前に進めるつもりなのだろう。

 では、今後、どういった流れがあり得るだろうか?

 まず、ロシア側が突きつけている「4島をロシア領と認めよ」との要求が大きな障壁になる。ロシア側としては、この主張を取り下げることはあり得ない。かといって、そこは日本側も公式には譲れない。そこで安倍首相とすれば、とりあえずこの問題を突き詰めることは避け、交渉打ち切りを回避して、今後も前向きに進めていくことを確認することになるだろう。ロシア側も「日ソ共同宣言(以下、56年共同宣言)を基礎として平和条約締結を目指す」こと自体は合意しているので、決裂したいわけではあるまい。

 しかし、安倍政権がどうしても平和条約締結を目指すなら、日本側にできることは、いずれは主権問題を曖昧にしたまま条約締結を進めるという選択しかない。4島がロシア領だと明言はできないが、日本領だともあえて主張はしないという選択だ。

 主権問題に触れない平和条約であれば、ロシア側も受け入れる可能性がある。というのも、これは日本側からすれば主権問題の一時棚上げだが、ロシア側からすれば、すでに4島を実効支配している以上、「領土問題は存在しない」ことを追認することにほかならないからだ。

 安倍政権としては、北方領土の主権放棄は政治的に論外だろうが、ロシアと「56年共同宣言を基礎とする平和条約締結」が合意されていることを前面に出し、「条約締結後の2島引き渡しが可能だ」とどこまでも主張し続けて国内で押し切る以外に、平和条約締結の道はない。そのような内容の平和条約に価値があるか否かという問題はともかく、安倍政権があくまで平和条約締結を目指すなら、そう選択するしかない。

ロシアにとっての「56年共同宣言」

 さて、では仮に主権問題を曖昧にしたまま平和条約締結が合意されたとしよう。曖昧にするということは、現状容認と同義であり、未解決の領土問題は存在しないことに事実上はなる。日本側は主権の要求を実質的に放棄したことになるのだ。

 しかし、日本側はその代わりに、56年共同宣言に明記されていた「2島引き渡し」を要求することになる。だが、ロシア側はそれを受け入れることはないだろう。その布石をプーチン政権はすでに打っている。

 ロシア側は共同宣言を基礎とする平和条約締結に合意しているが、共同宣言はあくまで基礎とするだけのことであり、そのとおりに実行するとはプーチン政権は一度も約束していない。すでにプーチン大統領自身が「主権については書かれていない」「引き渡し期限が書かれていない」「どういった条件で引き渡すか書かれていない」などという屁理屈を連発し、2島引き渡し条項の死文化を図っている。また、もともと最初に共同宣言の有効性が言及された2001年のイルクーツク声明から一貫して「双方受け入れ可能な解決を」との合意がなされており、いくらでも引き渡しの履行を先延ばしできることが担保されている。

 さらに、今回の外相会談後の記者会見でラブロフ外相は、56年共同宣言当時と60年の日米安全保障条約改定後の軍事同盟の状況の根本的変化に言及している。つまり、現在は56年当時と状況が違うので、共同宣言のとおりにはいかないことを指摘したのである。これは、現行の日米安全保障条約による日米同盟の現状を、2島引き渡し条項の履行を回避する口実にされることを示している。

領土問題は形骸化していく?

 こうしてみると、もしも本当に安倍首相が日露平和条約締結に邁進するなら、今後の道筋が自ずと浮かび上がる。

 前述したように、主権問題を曖昧にしたまま、平和条約締結が合意されるとしよう。日本側は主権放棄を認めることはできないため、苦し紛れに「一時棚上げ」というスタンスを示すしかないが、実質的にはまぎれもなく主権放棄だ。

 そして、次に日本が期待する2島引き渡しについては、現行の日米安全保障条約による状況の変化などを口実に、ロシア側が履行をしぶることになる。56年共同宣言を基礎とする合意がある以上、明確に引き渡しの無効をあえて宣言することはないだろうが、その条件について合意ができていないということで、履行は延々と先延ばしにされるだろう。ただし、安倍政権サイドはそれを外交上の失敗とは認めなくないだろうから、日本政府側も延々と「2島引き渡し交渉は継続中」と言い続けることになる。安倍政権がいつまで「両国首脳の信頼関係があれば、平和条約締結後に少なくとも2島は確実に引き渡してもらえるし、うまくすればさらにプラスアルファを得られるはずだ」との根拠のない楽観論を信じ続けるのかはわからないが、いずれその見通しの甘さに気づくときは来るだろう。

 そうして領土問題が形骸化していく一方、平和条約締結により、両国の経済協力は大幅に拡大される。それはロシア側に大きな利益をもたらすと同時に、日本側にもある程度は利益をもたらす。このまま平和条約を結ばずに現状維持を続ける選択と、主権問題に触れない平和条約を締結する選択は、2島すら返還されないということでは同じ結果になるが、それぞれ別種のプラスとマイナスの面がある。日本政府側とすれば、最大の問題である主権問題については、実質的な主権放棄を「2島引き渡し交渉が継続中」とごまかしながら、その他の日本側の幾ばくかのプラス面を国内的には大々的にアピールしていくしかない。

 ただ、国際的な安全保障環境からみると、現在、旧西側陣営との対立が急速に高まっているプーチン政権に、旧西側陣営の日本が政治的にますます擦り寄っていくことは、日本の国際的な信用度を落とすことになるということには留意する必要があるだろう。

筆者:黒井 文太郎