南武線の駅名に「○○河原」や「川」にちなんだ駅名が多い理由は?

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前回の「JR南武線に「武蔵」のつく駅名が超連続するのは何故なのか?」に続いて、今回は南武線の「○○河原」という駅名について紹介します。

「武蔵」ほど連続はしていないけど多い「河原」

JR南武線に乗っていると、「武蔵○○」の連続と並んで気になるのが「○○河原」という駅名です。

さすがに「武蔵○○」ほど連続してはいませんが、「向河原(むかいがわら)」「宿河原(しゅくがわら)」「分倍河原(ぶばいがわら)」と、26駅中3駅が「○○河原」となっています。

気になり始めると、とことん気になってしまう「駅名の謎」。いったいなぜ、このようになったのでしょうか?

駅名=地名(+何らかの要素)の原則はここでも健在

「河原」のつく3駅のうち「向河原」と「宿河原」は、駅周辺の地名・または通称をそのまま駅名にしたものです。

「向河原」は、この駅の周辺の通称が「向河原」であったことから、そのまま名付けられました。
この地域は、多摩川の流路変更に伴って「飛び地」となったため、「川の向こう側」という意味でそのように呼ばれるようになったのです。

向河原駅・駅舎/画像出典:Wikipedia/向河原駅

また「宿河原」は、鎌倉時代に宿場町として栄えていた地域ということから「宿場のあった河原」という意味の地名がつき、そのまま駅名になったと言われています。

「分倍河原」に関しては、元々は開業当時に駅に隣接していた地名から「屋敷分」という駅名でしたが、南武鉄道が立川駅まで延伸した翌月に現在の駅名となりました。

その由来は

鎌倉時代と室町時代に合戦があった「分梅古戦場」または「分倍河原古戦場」が、武蔵国の多摩川河畔のこの地域だったことから名付けられた。多摩川の氾濫などの影響で収穫が少ないことから、口分田を倍にした地域であったので「分倍」となった。梅にまつわる土地が多いので「分梅」→「分倍」となった。

など、諸説あります。

南武線は「多摩川」と大いに関係あり

さて、このように「河原」という駅名の多い南武線沿線の地域は、「川」や「河原」とよほどの繋がりがあるのでしょうか?

実は南武線は、距離の多い少ないはあるものの、全線が多摩川に並行して走っているのです。分倍河原の駅名の由来の中に「多摩川の氾濫の影響で収穫が少ない地域だった」というものがありましたが、特に川崎寄りの南側の駅は、まさに多摩川の氾濫原を走っています。

夕暮れの多摩川/画像出典:フォトスク

そのことを象徴するように、南武線には「川」のつく駅名も「川崎」「矢川」「立川」とあり、「河原」のつく駅と合計するとかなりの割合となります。

それだけ多摩川と共に生き、良くも悪くも多摩川の影響を受けてきた地域ということが、容易に想像できますね。