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 カルロス・ゴーン容疑者にかけられた嫌疑として報道されている中から、信憑性が高いと認められることを、逮捕容疑の特別背任と金融商品取引法に分けて、(2)と(3)で整理した。心証的には特別背任も金融商品取引法も、相当に濃い色で受け止めざるを得ない。問題は、法に照らして司法判断がどんな風に下されるかということ、平たく言えば、有罪か無罪かどっちだ?ということに尽きる。

【前回は】日産の西川社長グループとゴーン元会長との、瀬戸際の死闘が始まった! (3) 金融商品取引法違反

 法曹関係者の見方は千差万別である。証拠の全容が分からない状況で、見聞きした範囲で判断するところに無理がある。伝わる情報は主に東京地検特捜部や日産が何らかの計算や思惑に基づいてリークしている分と、マスコミ独自の取材や推理が混在している。東京地検特捜部が証拠を洗いざらい表に出すわけはないし、反響を確認している情報もあるだろう。

 今回の事件で容疑者2名の供述内容が報道される都度感じたことは、ゴーン容疑者もケリー容疑者も行為の前段で「違法でない」ことに相当の注意を払っていたということである。複数の容疑者が逮捕された場合、逮捕後は別々に取り調べを受けるため、供述内容の矛盾の有無が事件解明の突破口になる例は多い。むしろ取り調べの王道でもあろう。ところが、2名は金融商品取引法の事案に関しては、口裏を合わせたかのように「違法でないように指示をした」とか「取扱いに違法性がないかどうか事前に弁護士や金融庁に確認した」等の供述をしているという。当時から問題を指摘されないように細心の注意を払っている、ということは一歩間違えば違法になることを認識していたとも言えるのではないだろうか。

 そこで疑問なのは、今まで漏れ伝わってくる金融商品取引法に関する2名の供述は押し並べて「メモのようなものだ」とか「支給を決定したものではない」ということだ。メモのようなもので、支給が決定されていないのであれば、そもそも違法かどうかを懸念することに矛盾がある。

 メモの域を超えて将来支給せざるを得なくなるような記録が、何らかの形で残されていると考えなければ理解できない供述である。