小横綱・稀勢の里引退!一応の満足と抱えきれない「説明」を抱いて、これからの稀勢の里を一層応援していきますの巻。

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さようなら小横綱・稀勢の里!こんにちは未来の理事長!

小横綱・稀勢の里が引退を決断しました。まだ本人の言葉を耳にできてはいないのですが、田子ノ浦親方がその意向を明かしたといいますから間違いないのでしょう。長年に渡り、勝ち負けに一喜一憂してきた力士が土俵を去ることは寂しくもあり、しかし、安堵するような気持ちもあります。少なくとも勝ち負けに関して、心ない声に胸を痛めることはもうなくなるのだと。胸を痛めてきたみんなで互いに労いたい。お疲れ様でした、と。

心は決して悲しみに満ちているわけではありません。

一度も優勝できないかもしれないと怖かった。横綱には届かないかもしれないとうなだれた。大横綱の素質を持ちながら、心が伴わなかった稀勢の里を見守る時間は、落胆つづきでした。繰り返される「あと少し」の戦いは、何度も心を折ろうとしてきました。どうしても最後まで積み上がらない石の塔を、積んでは崩れ、崩れてはまた積むことの繰り返し。修行のようでした。

しかし、僕は見たのです。稀勢の里が優勝する姿を。弟弟子と笑顔で並んだパレードを。横綱になった姿を。土俵入りを。逆境のなかでつかんだ奇跡の勝利を。世間が稀勢の里を讃え、稀勢の里に日本がわく様を。もしかしたら一度も見られないかもしれないと思ったものを見たのです。終わり方が少々無様であっても、稀勢の里の物語は決して悲劇ではありません。何も得られずに終わったわけではないのですから。量が少ないだけで、すべてを得てから幕を下ろすのですから。石の塔は最後まで積み上がってから、もう一度崩れただけなのです。





稀勢の里を見守ってきた時間、大変でもあり楽しい日々でした。これほど「説明」を要する力士は二度と出てこないだろうと思います。優勝30回、60連勝といった数字があれば何の苦労もありませんが、稀勢の里は全部合わせて優勝2回の小横綱。世間的には「横綱になってからが本番」という認識でしょうから、印象としては「史上最弱の横綱」であるかのように受け止められているでしょう。

「いーや、そんなことはないんです」と説明せずにはいられないことが山のようにある。大関時代の勝ち負けは横綱に匹敵するものであったこと(文字通り横綱級)、横綱昇進の基準に関する世間の誤解を解くこと(二場所連続優勝は必須ではない)、決して基準を捻じ曲げたわけでも下駄を履かせたわけでもないこと(過去に同様事例多数。鶴竜含む)、横綱としての勝ち負けに大怪我が影響していること(昇進場所で大怪我)、横綱が全員優勝しているわけでもなければ横綱としての優勝がない横綱だっていること(優勝1回の横綱も多数)など、いちいち説明せねばなりません。

そもそもが平成二十四年五月場所、残り4日で星2つリードしたあの場所でスンナリ優勝していれば何もかもが変わっていただろうと思うと、繰り言ははるか時を超える大河のようにつづきます。そこで負けちゃうような天運・宿命・心の持ち主なんですよ、というところを伝えずにはおれない説明事項だらけの力士です。

そうしたおなじみの説明事項に、晩年は「怪我の対応を誤って短命に終わったバカ、ではない」ということも加わりました。今場所、先場所の稀勢の里の体たらくは、長期休場の要因となった上半身の故障によるものではなく、下半身にこそ問題があります。悪癖である腰高が一層目立ち、前に出ても組み止められてしまう足腰のチカラのなさが、無様な転がり方を生んでいるだけ。

その意味ではまだまだできると思いますし、もう一度身体を鍛え上げて、真の進退場所に臨んでほしかったという気持ちは残ります。三場所全休で臨んだ昨年九月場所では二桁勝った力士です。先場所初日に負った足の故障のほうがむしろ影響しているはず。今の悪い流れを一度切り、心身整えて最後の場所にもう一度臨んでほしかった。「後先考えずに負傷を押して頑張ったバカ」という非難を晴らしてから身を引いてほしかった。「いーや、ちがうんですよ」と。

こうした「説明」はこれまでも、そしてこれからも徒労に終わるのです。

どれほど言葉を尽くしても、最後は無様に転がった幕引きがそれを上書きしていく。わかりやすい数字を持たないことで、「でも弱いでしょ?」という心ない決めつけに跳ね返される。時間が経てば経つほどに、そうした決めつけが固定され、一瞬見えた稀勢の里の完成形は存在ごと忘れられていくのです。それに抗って僕はまた「説明」をつづける…そういう日々がつづくのです。果てしない徒労が。

それを「喜び」とせよ、ということです。語り尽くせぬほど言い添えなければないことがある力士を愛で、これからもその説明をしつづけることを「喜び」とせよ、と。そういう楽しみを与えられたのだ、と。鼻を高くすることはできない代わりに、この時代に目撃したものでないと持ちえない感覚と語らずにはいられない説明の数々を、稀勢の里は残してくれたのです。説明不要の大横綱も素晴らしいけれど、説明満載の小横綱も悪くない。これからもつづく、長い説明の日々と、果てしなき徒労を、僕は楽しみとしていきたいと思います。この「説明」と、そうせずにはおれない「熱意」は、今この時代のものだけが持ちうる特権なのですから。

今日、この引退は別れではなく始まりです。

大相撲の世界は土俵を去って終わるものではありません。これからは親方としての日々が待っています。そして、やがては理事長となる未来が。若い力士を育て、稀勢の里が成し得なかった未来を託す。協会を運営し、未来の大相撲を作る。新しい土俵での挑戦が始まります。

この点において稀勢の里の戦いは険しいものとなるでしょう。今までのように、内にこもって自分のことだけやっていればいいというわけにはいきません。人と会い、頭を下げ、言葉を尽くし、世間にまみれて戦わなければならないのです。ものすごく心配です。すごくダメそうです。引退の間際すら自分の言葉を残さず、いつも風呂場で「アーーーー」と叫んでいた小者につとまるものかと、心の底から心配です。

しかし、それが横綱のつとめ。

「相撲で強かった」というだけの理由でトップに立たねばならない歪な組織に身を置く以上、それが定めと思って、その地位に合わせて成長していかなければなりません。足りないものがたくさんあります。だからこそ、応援のし甲斐もありますし、見守らずにはおれない心情も生まれます。立派な親方、立派な理事長となって、大相撲を引っ張っていってください。大相撲の歴史をつなぐのは稀勢の里しかいないのです。それが横綱なのですから。これからも稀勢の里の戦いにヤキモキし、ともに歩んでいこうと思います。

お疲れ様でした、ありがとう!

そして、これからも頑張れ!超頑張れ!今まで以上に!




最後の一番の相手が栃煌山という、何とも締まりのない終わり方!