昨年10月末に4年7か月勤めた経済産業省を退職し、創設1年に満たない医療AIベンチャーに転職しました。「どうしてそんな勿体無いことを」と言われることもあるのですが、今のところ僕は自分の決断に満足していますし、同様のキャリアを検討・選択する若手も増えてきているように感じています。

 そこで、今回は僕自身が就職・転職する際にキャリアについて考えたことをご紹介したいと思います。就活生はもちろん、転職を検討している20代〜30代の社会人、そして管理職や経営者層の方にも参考になれば幸いです。

 なお、退職に至った経緯や退職当日の心境はこちらに記しています。(「経済産業省退職にあたって」https://www.philosophyofyouths.com/blog/181031)

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その組織に属して得られるものは「本当に必要」か

 多くの人が見過ごしていることではないかと思いますが、人間がある組織に身を置くのは、その一員であることによって得られるものがあるからです。言い換えれば、組織に身を置くにも明確な理由がある方が自然なのです。

 この「得られるもの≒理由」は、金銭や名刺(対外的に示せる立場)といったものから、精神的安定や仲間への愛着、社会に対する課題意識、個人的な原体験やコンプレックスといったものまで多岐にわたります。

 そして、この「得られるもの」が、「本当に必要」なのかどうかを具体的に考えることがとても重要だと感じています。ところが、同世代と話していても、現状を肯定したい気持ちが働きがちのせいか、意外にこの点が突き詰められていない人が多い印象です。

 たとえば、一般に収入は高い方が望ましいわけですが、高い収入を得るために拘束時間が長くなったり、職場でのストレスが強くなったり、ということも少なくありません。そういった中で、自分にとって収入がどの程度大切な要素なのかを具体的に考える必要があります。

 僕自身の例を挙げてみます。国家公務員という仕事の性質として、あくまで部分的な話ですが、下記のようなものがありました。

・やりがい(社会を良くするための規模の大きな仕事に携われる)

・社会的信用(経営者から学者まで色々な人と仕事ができる)

・福利厚生(かなり手狭ながら官舎に相場より割安で住める等)

・職業の安定性

 これらは社会一般に羨ましがられ、また、批判の対象にもなることもあります。しかしながら考えるべきことは、これらの事柄が「自分にとって本当に必要か」にほかなりません。僕の場合は、日常生活に組み込みたい(もっと拡大したい)ものとして、下記のようなものがありました。

・より自由な時間(学問関心に沿って物事を考えられる余裕)

・自分の名前で発信する自由度(公務員だとどうしても制限がありました)

・実際の経営に携わる経験

 僕自身は経済産業省の仕事も組織文化もかなり好きで、多くの人にも恩義を感じているのですが、まだ未婚で体力がある年代ということ、学問関心を10年間失わなかったことを踏まえて、後者の事柄を優先して転職する決定を下しました。これは、僕自身がいまほしいと思えるものをきちんと言語化でき、最終的に腑に納得することができたということです。

ほしいものは変わってゆく

 さて、多くの人が新卒入社や転職に当たって「得られるもの」を想定して決断すると思うのですが、これらはあくまで、意思決定時点では採用担当や先輩職員ほかからの情報に基づく仮説にほかなりません。実際に働いてみて、これらの仮説が覆ったり、程度の大小が違っていたり、ということも数多くあります。

 また、年齢を重ねる中で、自分がほしいものも変わっていくはずです。配偶者やパートナーを得たり、子どもを持つようになったり、留学に行ったり、親の健康状態が変わったりということで、自分の中の優先順位が大きく変わるのは、当然のことだと思います。そして、大袈裟に言えば、「自分が人生において何を重視するか」ということがより深く理解できるようになることも、ひとつの成熟と呼べるのではないかと感じています。

 日本の就活や転職活動では、「自分はこういうバックグラウンドで育ち、今後こういう人生を歩んでいきたい」というストーリーを、半ばフィクションとして打ち立てて提示することが求められます。そのこと自体は仕方がない部分もあるのかもしれないのですが、そのフィクションは、常に解体と再構築が繰り返されていくべきなのではないかと考えます。繰り返しますが、やはり、ほしいものは変わっていくのです。

「分人」でキャリアを考えてみる

 少し別の視点で考えてみたいと思います。作家の平野啓一郎さんが、『私とは何か――「個人」から「分人」へ』(講談社現代新書)という書籍を出されています。本当にオススメの書籍です。

「分人主義」はフランスの哲学者ジル・ドゥルーズが提唱した概念に基づくものです。どこかに一つの確固たる「本当の自分」があるのだという考え方ではなく、ある人間関係やコミュニティによって自分の様々な側面(この各側面を「分人」としています)があり、その構成比率や発現比率で人を捉えなおすという考え方です。職場での自分、家庭での自分、友人といるときの自分、趣味の集まりでの自分、など、それぞれ違った側面を見せる方が多いのではないかと思います。

 僕自身について言えば、下記の3つの側面から自分自身を考えてみました。

物事を考えたい自分

物事を発信したい自分

物事を変えたい自分

 そして、僕はどうやら,糧耄┐鬚發辰箸發辰帆やしたく、△蝋餡噺務員時代はかなり制限されていたので少し試してみたい(,旅佑┐觝猯舛ほしいという意味で)、は引き続き携わっていたいけれども今は´△諒に気持ちが向いている、という自己理解に至りました。

 上記はあくまで一例で、たとえば「リーダーとしての自分」「フォロワーとしての自分」、「バリバリ活動してアドレナリンMAX状態の自分」「心おだやかにセロトニンが出ている自分」など、様々な側面で考えることができるかと思います。

 人生において、「どういう状態の自分の割合を増やしていきたいか」、より具体的に言えば、「どういった人間関係のもとで、どういうコミュニケーションや作業を重ねていきたいか」、こういった点を考えることは思考の整理にとても役立つだろうと思います。

なぜ就職・転職するかを、10秒、1分、10分で語る

 先ほど、就職活動や転職活動で語るストーリーは半ばフィクションである、といったことを書きましたが、もちろん、自分自身が納得できるのであればそれでよいのではないかと思います。

 逆の発想で、就職・転職の理由を、10秒、1分、10分でそれぞれ語れるか、ということを考えてみると面白いと思います。

 10秒で語る場合は、シンプルな即答です。僕が医療AIベンチャーのAillisに転職した場合で言えば「社長の沖山翔に惚れたから」というのを第一に挙げます(よく挙げています(笑))。

 1分で語る場合は、より多面的な視点で、いわば自分の中でのポートフォリオに触れることになります。僕の場合は、本稿で述べている事柄に少しずつ触れていく形になると思います。

 10分で語る場合は、ライフストーリー、つまり、自分がどういった人生を生きてきて、どのような価値観を持つ(と自覚している)に至り、今後どういう人生を歩んでいきたいか、ということを語ることになると思います。

 僕の場合は、富山の田舎で育ち、大学で法学部前期課程に入学するも学問関心に抗えず文学部に移り、官僚になってからもその関心が薄まることがなかったため、行政や財界との接点を有する学者を目指していきたい、といったことを具体のエピソードを交えてお話しすることになると思います。

 必ずしも誰かに提示する必要はありません。大切なことは、(現時点での)自分の中で、純度高く、つまり一般化や迎合が極力ない形で、納得できているかどうかです。

先達の頭脳と言葉を借りる

 最後に一番重要なことを書きたいと思います。それは、人生における大事な意思決定のときにこそ、先達の頭脳と言葉を借りるべきだ、ということです。

 同義反復的ですが、多くの人は、自分で考えられることは自分で考えるのだと考えがちです。そうではなく、自分では目を背けてしまっている事柄なども含めて、先達や師に自分が有していない経験や知見に基づいて助言をしてもらうことが非常に有効だと思います。逆に言えば、この点を意識しないと、自分の頭の中だけでいつまでも考えが堂々巡りになってしまいます。

 僕自身、国家公務員試験を受けるときも転職するときも、人生の師と呼べる人に何度も相談し、最終的にはともに強い納得感のもとで決断することができました。その過程で自分の視座も可能性も拡げてもらったという実感もあります。

 若い世代の中には、年上の方々をひとまとめに「固定観念を持っている」と捉えている人もいるかもしれませんが、先達の経験と知見にこそ参考になる点が非常に多くあります。行き詰まりを感じている方であればなおさら、自分の思考の枠組みに囚われない選択肢や視点を獲得できるよう、先達にアドバイスを乞うよう意識されるとよいかと思います。

筆者:野村 将揮