高次脳からパニックになってしまった鈴木さんを救ったものとは……(写真はイメージです)

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 41歳で脳梗塞に倒れ、高次脳機能障害(以下高次脳)を負ったライターの鈴木大介さんは、ルポライターとして取材活動ができなくなったばかりでなく、日常生活の些細なこともおぼつかなくなった。

 回復までの長く険しい道のりは『脳が壊れた』(新潮新書)、『されど愛しきお妻様 「大人の発達障害」の妻と「脳が壊れた」僕の18年間』(講談社)、『脳は回復する 高次脳機能障害からの脱出』(新潮新書)の「脳こわ3部作」でユーモアを交えて綴られ、多くの人に勇気と気づきを与えている。今回は、鈴木さんを救った「あるもの」について、特別寄稿していただいた。

見た目は五体満足だけど……

 脳梗塞を起こして高次脳の当事者となったことで、「依存的」という言葉に対する印象が180度変わった。

高次脳からパニックになってしまった鈴木さんを救ったものとは……(写真はイメージです)

 病前にやれていた「極めて当たり前のこと」が、当たり前にやれなくなる障害が高次脳だが、失意と絶望と混乱の中で僕を救ってくれたのが「依存」だったからだ。

 高次脳では、本当に自分でも信じられないようなことがやれなくなる。たとえば当事者になった僕は、「外出先で普通に目的地に辿り着く」ということですら、度々失敗した。身体に自立歩行できないような強い麻痺があったわけではなく、見た目は五体満足にもかかわらずだ。

 その理由は、視覚や聴覚や嗅覚など、あらゆる脳に入力される情報の「総量」が過多になると、もれなく襲ってくるパニックのせいだった。

 例えば鬼門なのが、デパートの1階入り口付近だった。化粧品や宝飾品のコーナーが集中しているこのエリアは、ひときわ照明も明るく、大量の商品がキラキラ輝いている。これに加えて店内アナウンスや呼び出し音、人のざわめきに、行き交う人の動き……。

『脳は回復する 高次脳機能障害からの脱出』鈴木大介【著】

 これら全ては脳にとっては情報であり、一気に入り込んできたその情報量に、僕の壊れた脳はあっけなく破綻を来し、パニックを起こした。

 それはもう、悪夢の世界だ。それまで聞いていた人の声が、突如として「意味を持つ声」ではなく単なる音としてしか聞き取れなくなる。目に入る文字の意味が分からなくなる。いま自分が何をしようとして、どこに向かっていたのかすら分からなくなる。

『されど愛しきお妻様「大人の発達障害」の妻と「脳が壊れた」僕の18年間』鈴木大介【著】

「世界の意味を読み取れなくなった」僕の息は詰まり、高所に渡された細い板の上にポンと放置されたように足が竦み、もはやその場で目を閉じて立ちすくむか、座り込むしかない。

 けれどそんな時、不思議な経験があった。

 パニックで座り込んでしまった僕の背中に妻が手を当ててくれて、僕の手を握って引いてくれるだけで、なぜか再び歩き出せるようになったのだ。意味を失っていた世界が一気に現実に戻る。単なる音だった言葉が意味を取り戻し、いま何時でここがどこで、自分がどこに向かっていたのかを取り戻す。それはそれは、不思議で感動的な体験だった。

 そして、妻の手にそんな劇的な効力があることを知った僕は、どこに行くにも妻の同伴を求め、手をつないで歩くことを求めるようになった。苦手な人と話さねばならない時も、複雑な作業をこなさなければならない時も、傍らに妻がいることで、不可能に思われた一歩を踏み出すことができた。

 その様を言葉にするなら、間違いなく「依存的」だったろう。

 けれど、そんな経験をした立場から、問いたいことがある。「依存的」って、そんなにも悪いことだろうか。当事者は、当たり前のことが全然やれないという失敗を重ね、失意と不安の中にいる。けれども、ちょっとした支えがあったり、隣に信じられる人がいるだけで、驚くほど一気に「やれることが増える」のだ。別に自分のやることを全部代わりにやってくれとお願いしているわけじゃない。そばにいて、ほんのちょっと手を添えてくれるだけでいいのだ。

 病前は僕も、依存的という言葉にあまりいい印象は持っていなかったが、当事者となった後は、耐え難い悪夢の世界から引き出してくれるその手を求めることを、否定できなくなった。

この年始、「依存」という言葉について考えてみてほしい

 高次脳の症状を説明する家族向けのパンフレットなどには、大抵こんな文字が書き連ねられている。「子どもっぽくなる」「すぐ人に頼る」「ひとりでは何もしようとしない」「家族に代弁を求める」、そんな症状があったら、高次脳かもしれませんと。だがこんな書き方をされると、やっぱりどうにも印象が悪い。

 けれども当事者となって思うことは、周囲が困ることは、すなわち「当事者が困っていること」だということ。当事者が頼ってくるのは、あなたを信頼しているからで、ほんの少しの支えがあれば、やれなくなったことが再びやれると直感しているからなのだ。代弁を求めるのは、あなたにしか上手に自分の本音を話せないからだ。

 改めて問いたいが、依存的とは、そんなにも悪いことだろうか?

 高次脳でやれなくなることは、その他の脳の機能にトラブルがある状態と、大きく被ってくる。『脳が壊れた』、『されど愛しきお妻様』、『脳は回復する』と3冊の高次脳に関わる書籍を出して、様々な読者から、この「当たり前のことができなくなる」不自由について、共感の声が寄せられた。認知症、うつ、適応障害、PTSD、過労状態、産前産後等々……。この不自由は、高次脳に限らず多くの人が人生のどこかのステージで遭遇するイベントなのかもしれない。

 けれども、そんな不自由にちょっと添える手があるだけで不自由を抱えた人が救われるなら、依存的という言葉にこびり付いた悪いイメージを肯定的に解釈し直すことは、誰しもの生き易さを担保することだろうと思う。

 この年明けにかけ、老いた親や家族に邂逅したひとも多いと思う。以前には当たり前にやれたことが、どうにも上手にやれない。それはとても心細い体験だ。

 今年、願わくばこの記事を読んだあなたが、弱ってしまい依存的になってしまった誰かの手を進んで引いてあげられる、そんなひとりになってほしいと、切に願う。

鈴木大介(すずき・だいすけ)
子どもや女性、若者の貧困問題をテーマにした取材活動をし『最貧困女子』(幻冬社)などを代表作とするルポライターだったが、2015年に脳梗塞を発症して高次脳機能障害当事者に。その後は当事者としての自身を取材した闘病記『脳が壊れた』『脳は回復する』(いずれも新潮新書)や、夫婦での障害受容を描いた『されど愛しきお妻様』(講談社)などを出版する。

2019年1月13日 掲載