34歳、国立大卒の美しき才女、高木帆希(たかぎ・ほまれ)

「家事手伝い」という名の「無業」で10年もの間、ぬくぬくと過ごしてきた帆希に、突如、降りかかった「父の死」。

年下の彼氏・牧野涼輔の家に転がりこもうとするも別れを告げられ…

二子玉川の兄夫婦の元へと転がり込むも失敗…。

大学時代の友人・瑞樹に援助を求めるも、モラハラ夫との歪んだ夫婦生活を垣間見てしまう…。

マッチングアプリで出会った土井からは、酷い仕打ちを受け…心身共に疲弊しきった帆希は、銀座のバーで出会った記者の真奈と共に現代の犇遒厩み寺″と言われる施設に行く…。

だがそこは、怪しげなカリスマ代表・ジューン橋爪の現代の“大奥”だった…。




「…ご連絡が遅くなってしまって…申し訳ありません…」

表参道の裏通りにある隠れ家のようなカフェ『月光茶房』 で、私は桧山泉とお茶をしていた。心地よいジャズが流れる落ち着いた雰囲気のカフェだ。

私が今こうして泉という女性と並んで座っているのは、「楽園の翼」からの帰り道…見知らぬ番号から電話を受けたことに遡る。



「高木さんに…助けて頂いた…ものです…」

―助けられたって…私に!? そんな人…いたっけ? 全然、身に覚えないけど…。

「高木…港一さんに…電車内で…助けて頂きました…」

受話器の向こうからか細い声が響いた。痴漢被害者の女性…私から優雅で穏やかな生活を奪った張本人だった。

「今さら…どのようなご用件でしょう?」

―父がもしこの人を助けなければ…。

そう思うと私は無性に腹が立っていた。父に寿命というものがあったのかもしれないし、彼女のせいにするのは強引すぎるかもしれない…だけど…誰かのせいにしたかったのだ…。

「一度きちんと会ってお話ししたくて…」

―今さら…何なの!? 会って話したいって…。

「葬儀にも来なかったのに…どういうおつもりで私に会いたいとおっしゃってるのか…意味がよくわからないんですけど」

大人げない対応だ…頭ではわかってる…私はこの人に八つ当たりしてる…完全に。

「お願いします…会って頂けないでしょうか?」

食い下がる桧山泉に押し切られる形で、私は彼女と会うことになったのだった。

「あの日以来、ずっと体調を崩していて…葬儀にも伺えず…本当に申し訳ありませんでした…」

泉は色白の童顔で、思わず「守ってあげたい」と思わせるような印象の女性だ。私より少し年下といったところだろうか。

痴漢にあっている泉を父が見過ごせなかったのも、何となく…わかる。

「私があの日、あの時、あの電車に…あの車両に乗ってさえいなければ…高木さんは…。悔やんでも悔やみきれなくて…本当に…すみません…」

そう絞り出すように話す泉を見ていると、忌まわしきあの瞬間がフラッシュバックした。

―あの日、あの時、あの場所にさえいなければ…私だって…今と違った人生を歩んでいたかもしれない…。

だけど、私も泉も戻ることは出来ない。
ここから先に、進まなければいけない。

私は泉のことを許せないと思いながならも、どうすれば彼女の心に巣食った灰色の後悔を払拭することができるのかも同時に考えていた。

泉の「自責の念」というやつを解決する方法…。

私はその瞬間、とんでもない名案を思い付いてしまったのだ。

「あなた、悔やんでいるんですよね? 助けられたはいいけど、助けてくれた人は自分のせいで死んだ。自責の念に苦しんでらっしゃるんですよね?」

「…はい…ごめんなさい…私のせいで」

「それを解決する方法がひとつだけあるんです」

「解決する方法っていったい何ですか?」

「私を養ってください」

「へ?」


帆希のトンデモない提案に困惑する泉。そんな泉は、ある問題を抱えていて…


不特定多数の悪意に悩む泉


「泉さん、悪い冗談とか思ってるでしょ? 手の込んだ意地悪とか。違うんです。真剣なんです、私」

泉は黙ったまま、私を複雑な表情で見つめている。当然、そうなることは想定内だ。私だって逆の立場なら…泉と同じ表情を浮かべているに違いない。だけど生きていく為には…こんな無茶な提案をしてみるしか方法はないのだ…。

「いちから説明するのも難しいんで単刀直入に言いますけど、私、今、住むところもないし、お金もないし…非常に困ってるんです」

「そう…なんですね…」

「このままじゃ死んじゃうかもしれない…」

大袈裟に言うつもりはなかったが、思わず私は「死ぬかもしれない」と口走っていた。お金だってもういつ無くなってもおかしくない状況に私は陥っていた。

なるべくお金のことを気にしないように、前向きに振る舞ってきたつもりだが…もう、限界だった。

「貴女に関わった人間が二人も死んじゃったら…どうします? 嫌ですよね? 私、死神か! って自分のこと今よりも責めますよ。そう思いません?」

今にも泣きそうになっている泉に畳みかけるのは忍びないと思ったけれど、このチャンスを逃すわけにはいかなかった。

そんな時、泉のスマホが何かの着信を知らせて震えた。一度は切れたものの、また震動するスマホに泉の表情が強張った。

「出なくていいんですか?」

「いいんです…また嫌がらせだと思うんで」




どうやら痴漢事件以降、父の熱狂的なファンが泉のことを見つけ出し、SNSで晒したそうだ。それからというもの、嫌がらせの電話やLINEが入るようになったという。

「スマホ解約して新しいのに変えたら? SNSのアカウントだって全部消せばいいんだし」

「そんなことしたら…身に覚えのない悪意に負けたことになります…」

口では強気なことを私に話しているが、スマホが振動するたびに泉の表情は強張っていった。

「ちょっと貸して」

私は泉のスマホを取り上げると、泉のアカウントに送られ続ける悪意のコメントをチェックしていった。

『隙がある恰好してるから痴漢に遭う。正義の人、高木先生が可哀そう』
『てか、あんたのせいで文学界の宝が消滅した』
『高木港一を返せ!!』

目を覆いたくなるような誹謗中傷の数々に私は思わず、全てのSNSのアカウントを消去した。

「こんな悪意に貴女が心を砕かれる必要なんてない! アカウントくらい消したって貴女が負けたことにはならない。スマホも解約すればいい!」

こんなことを書き込むような人間は、本当の父のファンではない。ただ単純に父という存在を利用して、自分のストレスを彼女にぶつけて解消しているだけだ。

私は、父を使って正義を振りかざす匿名の悪意が許せなかった。

「本当はずっと怖かったんです…でも…私…どうすることも出来なかった…ありがとうございます」

ホッとしたように笑顔を向けてくる泉に、私はさっきまでの「寄生してやる」という気持ちが薄れていった。

―私も…匿名で書き込みする人たちと一緒だ…バカなことしなくてよかった。

これからのことはまた明日、考えよう。何とかなる…まぁ、何とかならなくても…今は目の前の泉の気持ちが少し楽になっただけで私は満足だった。

単純に、誰かの役にたった…そんな気がして…私は嬉しかったのだ。

「高木さん…うち…狭いですよ、それでもいいですか?」

「え?」

「養うのは難しいですけど…しばらく…なら…ぜひ…」

私は何と…父が救った桧山泉に、救われることとなった。


迷惑な居候と過ごす宿主・泉。次第に愚痴をこぼすようになり…


不思議な同居人との生活!?


「泉さん! ボディーソープはJOE'S SOAPにして、ヘアケアは絶対、ノンシリコンね!」

泉の家で過ごすようになってから二週間が過ぎた。

広尾にあるデザイナーズマンションに住んでいる泉は、大手総合商社の受付で働いている。私より5つ年下の29歳だ。

―まぁ、デザイナーズマンションって言っても、駅からもの凄く遠くて不便な場所だけど…。

初めは追い出されないようにと、泉のご機嫌を伺いながら過ごしていたが…最近では、いつもの私らしく言いたいことはきちんと泉に伝えるようにしている。

目白の家とは全く違う居場所ではあるけれど…私は、父と暮らしてきた頃の穏やかな気持ちになりつつあった。

「シャンプーはどうでもいいんですけど」

「どうでもよくないって。泉さん、髪の美しい女はモテるんだから」

「そういうんじゃなくて…帆希さん、働かないんですか?」

「私…絶対、働かないって決めてるから…」

心に決めているものの…本当にそれでいいのか…泉と暮らしていく中で気持ちはグラグラと揺れ動いていた。

―あの時の恐怖を…一瞬で砕かれた、あの瞬間を忘れることが出来るのだろうか。

働くことは生きることだと…本当は自分でも解っている…。いつまでも泉の好意に甘えてはいられない。そんなことくらい私自身いちばんよくわかっていた…。

―だけど…働きたくない…ううん…働くのが…怖い。

今まで誰にも話したことのない…私の心の傷を…泉に話したらどう思うだろう?

『そんなくだらないことで働かないって決めてたんですか?』

きっと泉は言うに違いない…他のひとにとっては、友達に愚痴を言ってそれで終わるような些細な不運だったかもしれない…だけど、あの頃の私には…耐えることが出来なかった…。

そんなことを考えていると、泉が話しかけてきた。

「あの…帆希さん…聞いてほしいことがあるんです…」

切り出された瞬間、私の頭の中に「出てって下さい」の言葉が浮かんだ。

―そろそろこの生活も終わりか…。

この二週間、快適に過ごすことが出来ただけでもありがたかった。

私は、覚悟をしながら泉の言葉を待っていた。

「私…妊娠…しちゃったみたいなんです…どうしよう…」

「妊娠って…相手は誰!? どういうこと!?」

てっきり家を追い出されるのかと覚悟をしていたが、予想を覆す泉の衝撃の告白に、私は少しだけ…ホッとしていた。

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「私が話をつける」と正義感に燃えた帆希は、泉のお腹の子の父親である男と会うことになるが…