日本代表の「平成最高の試合」をみんなで決めようじゃないか

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日本代表のワールドカップでの激闘もあった2018年が終わり、新たな年が幕を開けた。

今年は平成最後の年でもある。5月1日からは、元号が変わるのだ。

まだ、今回のアジアカップも3月の親善試合も残っているが、今回は平成(1989年〜2018年)における「日本代表最高の一戦」をコラムニストの方々とともに考えてみた。

2010年W杯:グループステージ初戦 vsカメルーン(○1-0)

選定者:ロッシ

戦前の下馬評を覆し、ベスト16進出を果たした“岡田ジャパン”。躍進の大きな一歩となったのが、グループステージ初戦のカメルーン戦だった。

アンカーに阿部勇樹、1トップに本田圭佑を起用する4-1-4-1が採用されると、その本田が松井大輔からのクロスを沈めて貴重な先制点をゲット。

中澤佑二、田中マルクス闘莉王のCBコンビが披露した身体を張った守備、川島永嗣の気迫のセービングには魂を揺さぶられた。

2012年:親善試合 vsフランス(○1-0)

選定者:編集部I

親善試合と公式戦とは重みや価値が違う。ただ、スタッド・ド・フランスであのフランスに勝ったのだ。

試合内容で圧倒したわけではなかったが、終了間際に高速カウンターで“仕留めた”シーンには興奮させられた。

後にW杯優勝監督となるデシャン氏にとって、この試合が初黒星。指揮官が讃えたのは、日本の「献身」だった。

ただ、今見返してみると、今夏のW杯で日本がベルギーにやられたあのシーンのようでもあるのだが…。

2004年:アジアカップ準々決勝 vsヨルダン(△1-1 PK4-3)

選定者:カゴノブアキ

試合内容ではワーストゲームに近いかもしれないが、その勝利に至った経緯はまさにベストだった。これからも未来永劫語り継がれる120分であるに違いない。

PK戦に持ち込まれたときの緊張感。中村俊輔と三都主アレサンドロの軸足が滑り、連続で失敗した際の絶望感。今なお忘れられない重圧だった。

そして宮本恒靖の必死の交渉によるエンド交換、さらに守護神川口能活の鬼気迫る連続セーブでの大逆転…。

大会を通して会場だった中国は反日ムードに包まれ、準決勝バーレーン戦でも大苦戦を強いられ、決勝では中田浩二のゴールにハンド疑惑も。話題で一杯の大会だったが、最も印象に残っているのはヨルダン戦だ。

2018年W杯:決勝トーナメント1回戦 vsベルギー(×2-3)

選定者:カレン

大会が始まるまでは「日本代表史上最も盛り上がりに欠けた」W杯になるかと思われたが、蓋を開けてみると、至る所で「手のひら返し」が発生してのお祭り騒ぎ。

そして、未開の領域である「8強」が最も近い所までやってきたのもこの大会であった。

最終的には三位に輝くベルギーを相手に後半開始直後に二点をリード。世界中を驚かしたまさかの展開に、彼らの雄姿を見守る誰もが勝利を確信し、ピッチ上の選手たちも夢を見た。

しかし、大会終了後も議論の的となった「ロストフの14秒」の末に敗戦…。赤い悪魔を前に、世界との差を痛感させられた。

1997年:W杯アジア第3代表決定戦 vsイラン(○3-2)

選定者:編集部O

2002年のワールドカップ自国開催はすでに決まっていたが、なんとしてもピッチの上で掴みたかった“世界”への切符。

中立地のマレーシア・ジョホールバルで開催された運命の一戦は、中山雅史のゴールで先制したもののイランが逆転。しかしFWの2人同時交代(カズ、中山→城、呂比須)で流れを引き戻し、城彰二の同点弾で延長戦へと持ち込んだ。

そして118分、中田英寿のミドルシュートから、岡野雅行。この試合チャンスを逃し続けた男が滑り込みながらボールをゴールへ流し込んだ瞬間、日本中が歓喜の色に染まった。

「ドーハの悲劇」を乗り越えてたどり着いたあの瞬間は、今も多くの人の心に刻み込まれているに違いない。

2011年:親善試合 vs韓国戦(○3-0)

選定者:井伊莞爾

サッカーにおいて日本は歴史的に韓国を追いかける立場にあり、特に直接対決では非常に分が悪かったのだが、常識を超越した男・本田圭佑の登場がその力関係さえも破壊した。

アジア王者に返り咲いた後のこの試合では、相手の懐のど真ん中に陣取りながらボールを奪われない彼の存在が韓国を混乱に陥れ、ドルトムントで飛ぶ鳥を落とす勢いだった香川真司が2ゴールを記録して3-0という歴史的な大勝を飾っている。

日本人にとってある意味でこれ以上にない最高の結果となったのではないだろうか。