2019年の流行語になるか!? 輝き出した「ジェンダーイコール」を感じてきた

写真拡大


人は「正しいから」という理由ではなかなか動かないけれど、楽しいから、得するから、という理由で動く。裏返すと、やらないと損するから、周りから攻められるからという動機の方が強そうだ。この心理によって、今じわじわキテいるのでは!?と感じたのが、ジェンダーイコール(=男女共同参画)の波だ。

先日「ジェンダーとコミュニケーション会議」というカンファレンスを傍聴し、母親として、仕事をしたい女性として、グサグサ突き刺さるものがあったのでお伝えしたい。

■1人踊りではなく「Shall weダンス?」


ジェンダーイコールとは、平たく言えば、会社でも家庭でも、男女の役割はイコールで行こうという考え方である。

かなり乱暴にまとめると、今までのジェンダー/フェミニズム運動なるものは、女性が女性の地位を向上させたいあまり、時に男性をdisりながら論じられてきたように思う。そして、言ってる女性たちは悲しいかな、目くじらを立てた「乾いた女」のイメージをひっさげている(※個人の偏見です)。男女差が今より激しかった時代は必然そうなるのだろう。

その甲斐あってか、今のジェンダーイコールの考え方とは、男性側を叩かず「その方がお得だし、ラクだから!」と示して協力を仰ぐやり方だ。双方の性からイコールを目指し、男性側にも旧来の「男らしさ」を求めない姿勢が新しい。

その潮目は、ご存じのアニメ「プリキュア」シリーズにも表れてきた。シリーズの初代『ふたりはプリキュア』(2004年)のスローガンは「女の子だって暴れたい!」。これは男の子を意識して対等になりたいという意味での「女の子だって」だった。

だが15年たった『HUGっと!プリキュア』(2018年)では、「男の子だってお姫様になれる!」というセリフが登場し、史上初、男の子がプリキュアに変身したのである。どんな性別でもなりたいものになれる、という強い人間肯定が性別を超えてきた瞬間だ。

……というわけで、ジェンダーイコールは性別を限定しないことに根差している。
先のカンファレンスからして、登壇者は月刊『VERY』編集長、日本経済新聞女性面編集長、『ハフポスト』日本版 編集長、NHK『あさイチ』デスクをはじめ、大手広告会社の要職女性やクリエイティブディレクターなどの面々で、みな「潤った男女」。はっきり言ってビジュアルもキラキラしていた。

日本の真ん中で、リア充男女が「ジェンダーイコール、今アツいよね!」と語るんだから、もはやこれがニュースである。ジェンダーなる乾燥ワードは、日陰からとうとう日向に躍り出て、輝き出した。

■男女差がないとお得、ただそれだけ


ジェンダーイコールが輝き出したのには、実はワケがあった。
カンファレンスで基調講演を行ったグローバル広告企業であるマッキャン・ニューヨークのプレジデント、デヴィカ・ブルチャンダーニ氏(女性)によると、職場に女性役員を登用すると利益が上がるという結果が出たからだ。
(※女性役員が最低1人いる大企業は、1人もいない大企業より5%業績が上回っている)

なんとなく女性登用と言っとけという雰囲気ではなく、人権的に男女平等の正しさを主張するためでもなく、その方が儲かるのである。めっちゃシンプルかつ、経済効果重視のニッポンで響きそうな効能ではないか。

「じゃあなんでこれまで進んで来なかったの?」と首をかしげたが、これにも回答が出ていた。既得権益層……平たく言えば、いま企業の上の方に君臨しているオジサマ方(“粘土層”と呼ぶらしい)が席を譲らず、むしろ女性を排除したがるもよう。

衝撃的だが、メディアにおいても伝統的な男女の役割表現をすると社内が喜ぶ風潮があるらしいので、日本は感情的にジェンダーイコールが受け入れられにくい土壌のようだ。あげく矛先を女性に向け、「(子育てなどの理由で)昇進の登用を断っているのは女性本人だ!」と攻める向きもあり、こりゃ進まないわけである。

だが、RIZAPグループ株式会社代表取締役であり、カルビー株式会社シニアチェアマンの松本晃氏いわく、
「日本人、有名大学出身、男性、シニアが日本の経営者を占めているが、そのモデルが通用しなくなって30年たちました。(中略)女性が役職への登用を断るというが、(私の)登用を断った人はゼロ。みなさんが年収600万円もらっていたとして、昇進したら10億あげますと言ったら断りますか?」
……断りませーーーん! 会場にいる人々の、心の声が聞こえた。

「意識改革なんていっていると変わらないんですよ。具体的にやっていかないと。所詮、人は損得です。割が合うからやるんです」。真隣に、意識改革を進めている外務省の女性参画推進室長がいて言い放っていた。

■子育てもジェンダーイコールが得?


社会でジェンダーイコールが通常となれば、仕事も家事も子育てにおいてもイコールになるのが自然だろう。ではそれで夫婦が得することは何かといえば、お金に換算しにくいけれど、リスク分散と孤独からの脱出を挙げたい。

まず仕事と家事のイコーリティについて。一本の大黒柱がボキリと折れるおそれがある時代、人生100歳時代には、ツーオペで稼ぐ方がリスクは少ないし、単身になっても生活できる力が必要であるから得だろう。

次に子育てはといえば、のちのちの家族関係に影響すると踏んでいる。産後クライシスを経験した妻や、子育て期をワンオペで乗り切った妻は、その時の辛さを一生覚えているという。(たしかに私もことあるごとに思い出す)。ゆえに定年後は、子どもから解放されて自由闊達に生きる妻×仕事に燃え尽きたヒマ夫のペアができあがり、2人の子どもは一緒にすごした時間の多い親……母親と連絡を取り合う。

いま定年後の男性の孤独が問題視されているが、子育ておよび家庭への介入が少なかったことが理由のひとつじゃなかろうか。求められやりがいがあるからといって、長時間労働を受け入れていると、仕事を辞したあとにぽっかり穴があく……悲劇である。

■女性にも“粘土層”がいる?


いいことづくしのジェンダーイコールのようだが、オジサマだけでなく、女性にも粘土層はいるだろう。男性と協働するということは、それまで男の責任とされてきたことを半分担い、女性ならではの既得権益を半分放棄することだからだ。

そんなもの最初から享受してないよ〜と言いたいところだが、思い当たるフシがあった。先日、友だちと飲みに出かけ、男性陣に多く払ってもらったのだ。もしやこれが女の既得権益というやつか? 財力に差はあれど、酒量は同じくらいなら……割り勘じゃないか?

こんな感じで、日常を細かく見ていくと、性や身体の特性から生じる社会的な区別はたくさんある。男らしさとは、女らしさとは、男の甲斐性、女子力、母力、母性本能……といった知らず知らずに染みついた性別観や幻想は確かにある。

「モテる」をキーワードに、「ヤレてなんぼの選ぶ性(男性)」と「チヤホヤされてナンボの選ばれる性(女性)」を前提として磨き上げている男女層もいる。

だから家庭に本気でジェンダーイコールを持ち込むならば、母親である私たちは、良妻賢母の呪縛や粘土層が求めるお母さん像から意識的に脱していく必要がある。自分なりに、夫婦なりにオトシマエをつけ、行動することになるのだが、それにはけっこうエネルギーが要る……つまり、面倒くさくて放置しがちだ。

やっぱり意識改革って、損得勘定より難しい。

色々な壁を感じつつ、いったん無視して、「とりあえずビール」のノリで「とりあえずジェンダーイコール」の波にのり、行けるとこまで行ってみよう、今はそう思っている。

斎藤貴美子
コピーライター。得意分野は美容・ファッション。日本酒にハマり、Instagramの#SAKEISAWESOMEkimikoで日本酒の新しい切り口とコピーを思案中(日本語&つたない英語)。これからの家族旅行は酒蔵見学。二児の母。