かつて天王寺駅と南海本線を結ぶ、短い支線がありました。全線廃止からすでに25年以上が経過していますが、天王寺支線があったことを示す痕跡がいまもわずかに残っています。

全線廃止から四半世紀が経過

 大阪市南部の交通結節点として知られる天王寺駅。JRは大阪環状線、阪和線、大和路線(関西本線)が乗り入れていて、地下鉄も大阪メトロの御堂筋線と谷町線が通っています。


JRの天王寺駅ホーム。かつてここに南海の電車が乗り入れていた(2018年11月24日、草町義和撮影)。

 また、天王寺駅の南側には近鉄南大阪線の大阪阿部野橋駅と、阪堺電気軌道上町線の天王寺駅前停留場もあります。2014年には日本一高いビル「あべのハルカス」が、大阪阿部野橋駅のビルとしてオープン。全国的にも注目を集めているエリアです。

 しかし、天王寺駅に乗り入れていた鉄道路線はもうひとつありました。その名は「天王寺支線」。南海本線の天下茶屋駅(大阪市西成区)から天王寺駅までの2.4kmを結んでいた、南海電鉄の短い鉄道路線です。全線廃止から25年以上が経過した2018年11月24日(土)、天王寺駅から線路の跡地をたどってみました。

 JR天王寺駅のホームは北側の1番線から南側の18番線まで並んでいますが、18番線のさらに南側には天王寺支線の19、20番線ホームがありました。しかし、ホームがあった場所は南海も出資する駅ビルが1995(平成7)年にオープン。天王寺支線の痕跡は完全に消滅しています。

 天王寺支線は、ここから西へ約500mまではJR線に沿っていました。廃止後も線路がそのまま残っていましたが、数年ほど前に撤去。いまはアスファルトで舗装されていて、こちらも線路の痕跡は残っていません。

 JR線から離れた天王寺支線は左にカーブしながら大通りの踏切を抜け、南西へと進んでいました。大通りの先は空き地が約70m伸びていますが、柵で覆われていて線路の跡地には入れません。

空き地の脇で浮かび上がる路盤

 この空き地が途切れたところで、台形の黒ずんだコンクリートが姿を現しました。その形から考えて、天王寺支線の線路が敷かれていた路盤の断面と思われます。その周囲は白っぽい色をした新しいコンクリートで固められており、黒ずんだコンクリートが浮かび上がっているように見えたのが印象的でした。


天王寺支線の路盤とおぼしき黒ずんだコンクリート壁(2018年11月24日、草町義和撮影)。

 空き地の先は公園に生まれ変わっていました。線路の跡地を使っているため細長いですが、天王寺支線は複線だったため公園の幅も比較的広くなっています。沿線の住民らしき老人が、あちこちで散歩を楽しんでいる様子がうかがえました。

 この公園を歩いて阪神高速14号松原線をくぐった先に飛田本通駅がありましたが、ホームなどの遺構はどこにも見えません。その先の堺筋を越えると、赤い色をした阪堺電気軌道阪堺線の橋りょうが見えてきました。天王寺支線はここで阪堺線の下をくぐっていたのです。くぐった先には今池町駅があり、阪堺線の今池停留場との連絡が図られていました。

 よく見ると、この橋りょうの端には2004(平成16)年に行われた塗装のデータが書き込まれていて、「天王寺線跨線橋」という橋りょう名も記されていました。「支」が入っていないのは少し気になりますが、かつてこの下に天王寺支線の線路があったことを、いまに伝えているのです。

 この先、天王寺支線の線路跡は高い柵で覆われていて、脇の道を歩いているうちに南海本線の高架橋が見えてきました。天王寺駅から歩き出して、わずか1時間弱。写真を撮らずに歩けば、もっと短い時間で済んだことでしょう。都会に残る廃線跡を散策はすぐに終わりました。

 それにしても不思議なのは、ビルや民家が密集している大阪の市街地を通っていたということ。沿線人口が少ないローカル線ではないにもかかわらず、なぜ天王寺支線は廃止されたのでしょうか。

梅田を目指して建設

 南海鉄道(現在の南海電鉄)は1898(明治31)年までに、大阪と和歌山を結ぶ鉄道(現在の南海本線)を開業。大阪側のターミナルは、いまと同じ難波に設けられました。ただ、和歌山側の当時の終点駅は和歌山市内の北外れに設けられたため利用者が少なく、営業成績も見込みより悪かったといいます。


阪堺線の橋りょうの名は「天王寺線跨線橋」。この下に天王寺支線の線路があったことを示している(2018年11月24日、草町義和撮影)。

 そこで南海は「見込みちがいをもっとも手近かなところでカバーしよう」(『南海電気鉄道百年史』)と考え、天王寺支線を計画。当時、大阪鉄道という私鉄が大阪(梅田)〜京橋〜天王寺間の路線(現在の大阪環状線の東側)を運営しており、これに乗り入れて梅田まで直通運転しようと考えたのです。

 こうして1900(明治33)年10月26日、天王寺支線が開業。翌1901(明治34)年には、大阪鉄道の路線を引き継いだ関西鉄道と共同で、大阪駅と住吉駅(現在の住吉大社駅)を結ぶ直通運転が始まりました。客車と貨車をつないだ7両編成の列車が1時間間隔で運行されていたといいます。

 この直通列車は1907(明治40)年に廃止されたものの、天王寺支線は国鉄線へのアクセス路線として残りました。しかし戦後、大阪環状線と南海本線の交差地点に新今宮駅が開業。乗り換え客がそちらに移り、天王寺支線の利用者は大幅に減りました。こうして1984(昭和59)年11月17日限りで天下茶屋〜今池町間1.1kmが廃止され、残る今池町〜天王寺間1.3kmも1993(平成5)年3月31日限りで廃止されたのです。

 現在、関西空港へのアクセス改善などを目的に、なにわ筋の地下を通る新線「なにわ筋線」の建設が計画されています。これが完成すると、南海の列車はなにわ筋線に乗り入れ、JR大阪駅の北側にある北梅田駅(仮称)まで運転される予定。天王寺支線で運転されていた梅田直通列車が100年以上の歳月を経て、復活することになりそうです。