芝園団地の広場にはベビーカーを押す女性や子どもが多い(写真:筆者撮影)

「初級から中級の日本語を学びたい人、日本人とおしゃべりしたい人、ぜひ参加してください!(想学习初级中级日语的人。想和日本人聊天的人。自由参加!)」

ある日曜日の午後、埼玉県川口市の芝園団地内にある公民館で、こんな貼り紙を見つけた。NPO法人川口国際交流クラブが行っているもので、参加費無料の日本語教室だ。覗いてみると、中国人やベトナム人、ボランティアの日本人ら20人以上が集まっていた。

「朝のあいさつは『おはようございます』です。昼間に会ったら、『こんにちは』。さあ、言ってみましょう」

2週間前にハルビンから来日したばかりの男の子


中国ハルピンから来日したばかりの男の子は「ひらがな」から学び始めた(写真:筆者撮影)

中国人の母親と子ども、ボランティアの日本人女性の3人のテーブルに座り、しばらく見学させてもらった。40代前半くらいの中国人の母親は日本語が話せたが、隣に座る息子(12歳)は一言も話せないようだ。話を聞いてみると、息子は2週間前にハルビンから来日したばかり。その日、初めて母親が日本語教室に連れてきたという。

息子は5歳から12歳まで中国のハルビンに住む祖父母の家に預けられていた。下には7歳になる子どももいて、その子はまだ祖父母の下に預けているという。複雑な家庭の事情が背景にあるようだが、中国では国内でも、北京や上海で生活費を稼ぎ、田舎に住む祖父母の下に子どもを預けている家庭は少なくない。初対面で、この家庭の詳しい事情まで聞くことはできなかったが、おそらく中学入学を前に、せめて1人だけでも子どもを手元に呼び寄せたいと母親は考えたのだろう。

母親は息子が日本の生活に慣れるまでは心配だからと、子どもが来日する前に仕事を辞めたという。来春から日本の公立中学に通うという息子の日本語教育について、深く思い悩んでいるように見えた。

団地内の別の日本語教室では、また違う光景が展開されていた。こちらは若い中国人ママが中心となって行う「芝園支援交流倶楽部」の主催によるものだ。LINEと使い方が似ている中国のSNS、ウィーチャット(微信)のグループ170人ほどに配信して参加者を募っている。月に2回、月謝は4000円。日曜日に日本人教師が授業を行っている。

筆者が知る限り、芝園団地内の日本語教室はこの2つのみだが、もしかしたら、ほかにもSNSで連絡を取り合い、団地内の中国人が集まって日本語を学んでいるのかもしれない。


芝園団地の入り口にある商店街(写真:筆者撮影)

芝園団地は“中国人比率が非常に高い団地”として近年、全国的に有名になった。川口市の人口約60万人のうち、中国人は約2万人。自治体別の在留中国人数で全国第5位だ。東京都、大阪市などの大都市を除くと、中国人比率の高さは群を抜いている。その象徴的な存在が、このUR都市機構の賃貸住宅、芝園団地だ。2018年6月時点で、約4500人いる住民のうち、約半数の約2300人が中国人、あるいは中国にルーツを持つ人々となっている。

筆者は今春から拙著『日本の「中国人」社会』の取材のため、団地に何度も足を運んできた。最寄り駅のJR京浜東北線、蕨(わらび)駅から団地に向かって歩き始めると、すれ違う人々から聞こえてくるのは、ほとんど中国語だ。


蕨駅から芝園団地に向かう通りにも中華料理店や食材店がある(写真:筆者撮影)

敷地内や近隣する通りには中国人向けと思われる中華料理店や中華食材店が軒を連ねている。団地は中庭を囲んでひとつの小さな街のようになっているが、全部で8棟ある居住棟のエレベーター付近には、ゴミ出しや騒音に関する注意事項や行事のお知らせが日本語と中国語で併記されている。

平日の昼間や週末に中庭を歩くと、元気に遊び回る子どもたちと、中国から「子守り」のためにわざわざ来日した祖父母たちが大勢いて、日本の一般的な団地とはかなり雰囲気が異なる。筆者は長年中国と中国人を取材してきたが、全住民の半数が中国人というのは、かなりのインパクトだ。現地に行くたびに「まるで中国の小区(集合住宅)みたい」という感覚に襲われる。

芝園団地に多くの中国人が集住するようになった理由

有名になった芝園団地だが、中国人たちが何を考えているのかについてはあまり報じられていない。

そもそもなぜ、芝園団地にこれほど多くの中国人が集住するようになったのか。自治会や、住民、元住民などへのインタビューを総合すると、主に以下のような理由が考えられる。

・UR都市機構の物件は保証人が必要ないので、外国人でも借りやすい
・1980年代から1990年代にかけて新宿や池袋の日本語学校に中国人留学生が増えたが、彼らがしだいに郊外の安くてアクセスのいい地域の物件を求めるようになり、移住してきた
・IT企業のエンジニア用の寮として借り上げられている
・友人や親戚など、中国人同士のクチコミを頼ってきた
・すでに中国人コミュニティーが形成されていて、母国語で情報を得やすい

自治会によると、増えてきたのは1990年代後半からで、当初は何らかのきっかけで大学教授などのエリート層が入居し始めたという。以降、東日本大震災の年などを除き、毎年、右肩上がりで増え続けているそうだ。

2014年に自治会が住民200人に対して行ったアンケート調査では、東北3省(遼寧省、吉林省、黒竜江省)出身者で、主に30代のファミリー層が多かった。

2017年からこの団地に住んでいる20代の中国人男性はこう語る。

「私は上海出身なのですが、これまで同郷の人には1人しか会ったことがありません。東北や福建省出身者が多いのではないでしょうか。仕事はIT企業のエンジニアが多い。蕨からは品川や新橋、東京駅にアクセスしやすく、池袋にも近い。生活費の安さや住みやすさがクチコミで中国人社会に広まり、ここまで数が増えたのでは」

確かに、隣駅の西川口駅前に広がる新興のチャイナタウンで中華料理のメニューを開いて見ても、とくに東北料理や福建料理が多く、平日の夜に食べに行くと、会社員風の男性や若い家族連れが目につく。

筆者が気になった「言葉」の問題


芝園日本語教室で使っている教科書の数々(写真:筆者撮影)

また、筆者が気になったのは、「言葉」の問題だ。市内に多数ある日本語教室の存在だった。川口市のパンフレットによると、市内には19カ所もの日本語ボランティア教室がある。

日本に住む中国人は約73万人(2017年末の法務省の統計)に上るが、大まかにいえば、1)留学生、2)留学後そのまま就職や結婚をした人、3)仕事のために来日した人々(とその家族)の主に3つに分けられる。

1)〜3)のいずれの場合も、技能実習生などの場合を除き、基本的には本国で日本語を学んでから来日したか、あるいは来日後、日本語学校などで本格的に日本語を学んだケースが多いと思われる。つまり、日本にいる中国人の大半は、日本語はある程度話せることが多い。

ところが、ここには日本語教室が多く、まだ日本語を話せない人が多くいるとみられる。

つまり、“通常コース”から外れた人々、たとえば祖父母や乳飲み子を抱えた主婦、祖父母の元から親元に返された子どもなどのように、来日前に日本語を学ぶ機会がなかった人々が多く来日しているのではないかということだ。

団地内でベビーカーを押しながら散歩している若い女性とその母親らしき中年の女性に中国語で声を掛けてみた。

「私は福建省出身です。ここに引っ越してきて1年くらい。夫の友人の紹介でここに住むことになりました。まさか私が日本に来ることになるとは思っていなかったのですが、夫が池袋で飲食業に勤めることになって、私も夫についてやってきました。この団地なら中国人が多いし、私も寂しくないだろう、と思ったみたい。母も中国から手伝いにきてくれるし、周囲はみんな中国語ばかりの環境なので安心。ここで中国人の友達もできたし、日本語ができなくてもまったく不自由しないですよ」


芝園団地内には数軒の中華料理店がある(写真:筆者撮影)

この女性に「日本語はできる?」と聞いてみたところ「うん、少し……」と小さな声で答え、母親と顔を見合わせて笑っていた。

とくに生活に不便はないのだろう。団地に隣接するスーパー「マミーマート」でも、レジで日本語を話す必要はなさそうだった。

団地の敷地内に数軒ある中華料理店や雑貨店の経営者や店員は、ほぼ全員が中国人だ。以前、ここに住んでいたという友人の中国人によると、団地から徒歩で行ける蕨市立病院にも中国人看護師がいるので心強いという。

「中国人だけ」の社会

日本に住む中国人には、都心の大企業に勤務するエリート会社員も増えてきた。中国の経済躍進を追い風に、日中の橋渡しをしているような国際人材の存在がクローズアップされている。彼らはいわゆる、日の当たる存在だ。しかし、その一方、生活のために子どもを中国の祖父母に預け、自分たちが長時間稼いで仕送りをしている家庭、日の当たらない存在もまだまだいる。


団地内の掲示板に貼られた中国語と日本語の注意書き(写真:筆者撮影)

後者の“古いタイプの中国人”が、芝園団地などに代表されるような、中国人が多い地域に集まって住み、助け合いながら生きているということなのだろう。それはそれでいいことなのかもしれないが、筆者には心配もある。日本に住んでいながら、中国人だけの社会を構築し、その中でのみ生きる人がどんどん増えていき、日本社会に溶け込まないままになるのではないか、ということだ。

ある時、芝園団地に住む中国人に「次に来たら、あの中華料理店で食べてみたいな」と言ったところ、大変驚かれた。「ここに住む日本人は、中国人がやっている店にはまず行かないですよ。お互いに通う店はまったく違うし、行動様式も異なる。彼らは同じ団地に住んではいるけれど、交わることはほとんどないんです」というのだ。

また、こんなこともあった。中国人ママたちが主催するフリーマーケットが集会所で行われたときのこと。声を掛けた女性から「えっ? あなた日本人なの? ここに日本人もくるのね」と言われた。嫌味で言っているのではなく、純粋に驚いたようだった。


ひとつの団地の敷地の中で毎日のように顔を見合わせていても、お互いにコミュニケーションすることはほとんどない。「冷ややかな分断」という言葉が浮かんだ。

数年前までは夜中の騒音やゴミの捨て方、子どもの外でのおしっこなどの問題が起きていたが、管理するURが中国語の通訳を置いたり、注意の貼り紙を増やしたりするなどして対応した結果、最近では住民同士のトラブルは減ってきたという。

しかし、トラブルが減った=何も問題が起きていない、というわけではない。コミュニケーションがないから、表面的なトラブルはないだけ、ともいえる。

分断したままの“快適な生活”は、続くだろうか。何かトラブルが起きたとき、まったくコミュニケーションを取ってこなかった外国人のことには疑心暗鬼になりやすい。「ここには〇〇人がいるから……」といった根拠のない臆測や批判が湧き上がる可能性はないだろうか。

私たちは新しい“隣人”たちについて、もう少し知る必要性があるのではないか。