スキマスイッチ・常田真太郎がeスポのイメージ転換「ゲームとは何かを繋ぐもの」

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「奏(かなで)」「全力少年」など、ヒット曲で知られるスキマスイッチでの音楽活動の傍ら、強いサッカー愛も度々表現してきた。選手との繋がりもあって川崎フロンターレの応援ソングを制作したこともある。

常田真太郎とそれを繋いだのは、ゲームでもあった。
「ウイニングイレブンが上手くなりたい。そこが10代の後半で再びサッカーに目覚めるきっかけだったんです」

子供の頃からゲームが近くにあり、サッカーゲームも楽しんできた。そしてそれは、自分と周囲を繋ぐ重要なツールであり続けている。eスポーツとは何か。アマチュアのゲーマーとして、強い思いを口にした。

「新時代eサッカーの可能性」一覧
常田真太郎
1978年生まれ。愛知県出身。スキマスイッチで鍵盤、コーラスなどを担当。
高校の文化祭で組んだバンドで音楽に目覚め、卒業後、多数のバンドにキーボードとして参加。インディーズのレコーディング・エンジニアなども行いながら、さまざまな楽曲のアレンジを経験する。並行してオリジナル楽曲も作り続け、大橋卓弥との出会いをきっかけにスキマスイッチを結成。サッカーは幼少期からプレー。高校時代は柔道部で活動したが、2000年のユーログループリーグ、ポルトガル×イングランド戦のルイコスタのプレーに魅了され再びサッカー熱が加熱した。芸能人サッカーチームSWERVESの部長を務める。
―ゲームとの出会いは?
小学校4、5年生くらいでファミコンが家にやってきまして。周囲よりちょっと遅かったんですよ。78年生まれなんですけど、周りはだいたい3年生のクリスマスくらいに買ってもらっていて。家があまり裕福ではなかったので本体がないものだから、とにかく本体を持っている友達の家に遊びにいくという少年でした。

「ゲームウォッチ」は持っていましたが、それもいとこのお下がりかなんだかで。そうやってなんとかゲームをやっていたんですが、友達の家に行くと「カセットビジョン」だとか、違うゲーム機も置いてあって。ダイヤルを回すようなゲームや、PCのゲームもありましたね。羨ましい思いはありました。
―ファミコンが家に来た後はどのように?
がっつりやりました。母親にはやりすぎで叱られることもありましたね。昼間、基本的にやるときは友達とやる。時間は一時間だけ、というふうにルールが決まっていました。でも夜に密かな楽しみが出来ていったんです。親父とやることです。親父も当時、ゲームにハマって。母親がいないときとか、ちょっとご飯を作っている間の30分とかは追加でOKだったんですよ。親父が「ちょっとやるぞ」と言い出したときはね。母親も「ちょっとだけね」と言いながら許してくれました。親父の寝室にファミコンにテレビとゲームが置いてあって。そのときは、ファミコンのゴルフをやっていましたね。
―ゲームは、お父さんとのコミュニケーションの時間だった。
自分としたら「よしっ、親父を取り込んだ」というところです。一方で親父は、家族が寝静まった頃に一人でやっていたらしくて。ゴルフのゲームがすごく上手くなっていて。対戦したら勝てなくて、すごく悔しかったのを覚えています。その頃、親父は実際のゴルフもうまくなっていて。これがゲームとリアルのスポーツがシンクロしたのを見た、初めての経験でした。
―お父さんとのゲームの時間では、言葉をかけられるものなんですか?それとも静かで心が落ち着く時間で?
両方ですね。本当によく遊んでくれた父なんですよ。カメラマンでした。家に事務所があって。仕事の合間に、例えば僕が家のリビングでだらだらしていると「おい、キャッチボールするぞ」と家から連れ出してくれて、夕方から近所の公園でキャッチボールが始まるという。で、帰ってきてまた仕事に戻るような感じでした。

遊びに関しては僕よりも貪欲でしたね。僕なんかが呼べない数の近所の子を巻き込んで、うちの狭いリビングでミニ四駆のコースを段ボールで作ったりとかして。ちゃんとしたやつは買えなかったんで、一緒に作っていたりしましたね。そういった父の中の遊びのなかにファミコンがある感じでしたね。
―遊び、といえば基本的には動き回るものです。ゲームはちょっと止まってやる遊びですよね。だからこそ、他と違うところもあったのでは?
ゴルフのことを教えてもらう、という時間でしたね。親父は愛知県・東海エリアで活動していて。スポーツを主に撮っていました。話好きな人で。今でも電話で1時間とか平気で話をしています。だからゲームの間もゴルフや、僕の学校の話など、ずっと喋っていましたよね。
―新しいゲームの価値かもしれません。お父さんの趣味の領域に、子どもも入ってきて一緒に楽しんでほしいという方もいるでしょう。まずはゲームで。そういうやり方もあるということです。
どうやら僕をゴルフに連れて行きたかったらしいんです。小5か小6のときにいっぺん打ちっぱなしに連れて行ってもらったんです。でも、そのとき僕はすでにサッカーにハマっていたんですよね。結構退屈しちゃって。そういったこともありましたね。
―お父さんから聞いたゴルフの話で覚えていることは?
ゴルフはやっぱり風だと。ひたすら風。「アゲインスト」という言葉を言っていたのを覚えています。
―ファミコンのゴルフ、かなりボールが曲がりますもんね!
そうです!そんな中で父が言っていたゴルフ用語の英単語をよく覚えているかなぁ。ピッチングウェッジで打つと、「おまえはそれで打つのか。じゃあ俺はサンドウェッジで」と。で「サンドって何?」と聞くと「砂だ」と。画面を見ると「SW」と出ている。今でも僕、ゴルフの経験は全然ないんですけど、知識は残っていますよね。「アイアンで刻む」とか。ずっと忘れないものです。

父からゲームを通じて教わったことは、「興味を持つものへのアンテナの張り方の中にゲームも存在する」ということでしょうね。結局、後にサッカーにどんどん惹かれていくのはウイニングイレブンからなんです。
―話を聞いていて、思いました。「自分も若かった頃の父親と一緒にゲームを一度でいいからやってみたいな」と。映画の「フィールド・オブ・ドリームス」みたいな気分です。
トウモロコシ畑が出てきてね!いずれにせよ、僕にとってゲームは「人と繋がれるもの」でもありました。引っ込み思案で、それほど友達も多い方じゃなかったんです。でも、ファミコンをネタにしたら、友達の家に行けるし、自分の家に呼ぶこともできました。
―ウイイレに辿り着く前に、他のサッカーゲームはどんなものを?
ほぼほぼ、あの時代のものはやってきていますよ。まずはファミコンの「サッカー」。横にスクロールする6人制のサッカーゲームをやった記憶もあります。相手とすれ違うだけでボールを奪えるやつです。その後は、PCエンジンの「フォーメーションサッカー」。あとはスーファミ(スーパーファミコン)の「プライムゴール」。このへんは友達の家に通ってやっていましたね。
「Jリーグサッカープライムゴール」(画像:バンダイナムコエンターテインメント)

印象深かったのは「リベログランデ」。これは後に出会うJリーガーがすごく高い評価をしているんですよ。プレイヤーの一人称の目線で戦うんですが、これが「実際の選手が持つ理想の視野に近い」と。実際に選手はピッチを俯瞰しきれない。これくらいが現実的であり、理想でもあると。プレイステーションになった後は、「実況ワールドサッカー」と「ワールドサッカー ウイニングイレブン」は両方とも友達と買いあってやりました。
―友達の家とソフトを1個ずつ買いあう。昔、やりましたね!一方が大ヒット作になったりすると、ちょっと複雑な気持ちになったりとか。
そうそう。ただ、途中から「ワールドサッカー」のほうがなくなっちゃって「ウイニングイレブン」が残った。僕がハマったのは、2か3からです。その後、ウイニングイレブン(96年)にオリンピックエディションというのが発売になって。その頃から友達を呼んで、みんなでやるようになってきましたね。当時7人から8人が集まってトーナメントをやるという。
―それ、今でいうeスポーツです。
はい。始まりました。常田家で。火がつきましたね。
―その後、ウイニングイレブンとの縁が深まっていきます。
名古屋の高校ではサッカーに挫折をした中で選んだ柔道部で3年間精一杯活動し、卒業後に上京しました。音楽の専門学校に通うようになると、サッカーを見ることや、やる機会がなくなるんですよね。一方、ゲームだけは別でした。ウイニングイレブン4に20歳くらいにハマって。友達同士で対戦するんです。そこで「サッカー、やっぱりおもしろいな」ということになって。

2000年頃の話です。02年ワールドカップに向けて世間の盛り上がりが始まる頃でした。その頃に高校時代サッカー部だった友達が脱サラして、上京してきたんです。名古屋でフットサルの地域リーグのチームに所属していた友達でね。その彼が駒沢公園でフットサルをやろうと誘ってくれて。そこで僕をもう一度サッカーのもとへと引き戻してくれたのですが、そのタイミングでまた別の伝道師的な人と出会います。音楽仲間から「おまえと同じくらいウイイレにはまってる友達がいるから紹介するよ」と言われて、一度みんなでウイイレをやることになりました。紹介された彼はマンチェスターユナイテッドサポーターで、とにかくうまかった。うまいというよりもサッカーをしている感じに近くて、そこにとにかく驚きました。

そんな彼に「ウイイレがうまくなりたい」ということを伝えると、00年ヨーロッパ選手権(オランダ・ベルギー共催)のポルトガル代表のVHSを渡してくれたんです。確かポルトガル−イングランド戦でした。ルイ・コスタ(ポルトガル)がとんでもないゴールを決めて、ヌーノ・ゴメスやフィーゴもいたチームです。

「うまくなりたいなら、このビデオを見て研究したほうがいいよ」と。「リアルサッカーを見なさい」ということで! 「シンタくんは、リアルサッカーの知識が無さ過ぎるから」と言われて。「中学までやっていたかどうか知らないけど、今の世界のサッカーはこうなんだ」。「Jリーグを見てるのもいいけど、ヨーロッパのチームを使いたいならヨーロッパのサッカ―を見た方がいいよ」と。
―最先端ですね。18年後の今、「リアルサッカーとゲームを繋げる」という話を秋田豊さんがしているところです。
ここで出会えた僕の友人は、いわば師匠ですよね。僕は当時、友達とウイイレをやるにも日本代表を選んでいたんですよ。世界のサッカ―を知らなかったので。後にこの友達の集まりがウイイレの「Nリ―グ」として発展していきます。まあ、彼が当時練馬区にある家に住んでいて、そこによく集まってやっていたので「練馬リ―グ」の略なんですけど。最終的にはそこに20人くらいが登録して。毎年1〜2回くらいやっていたんですけど。そのなかで日本代表で臨んだら、やっぱり全然勝てなくて。

でも僕はそのとき、上京してきた友達のおかげでサッカ―自体の面白さにもう一度目覚めていたんです。で、そのまま借りたビデオの影響でポルトガル代表、そしてルイコスタにハマって。それですぐに自分でスカパ―!を頑張って導入して世界のサッカ―を見るようになっていきました。まさに神様からの贈り物。はい、彼は自分にとっての神様であり、師匠の名前は「てるおくん」です。今の僕の現状をみると、彼には感謝の言葉しかありません。
03年にスキマスイッチとしてメジャーデビュー後、04年に「奏(かなで)」、05年に「全力少年」などヒット曲に恵まれ、目まぐるしい変化のなか、ゲームとの縁は変わらなかった。友人たちとのプレーを続けつつも、Jリーガーや日本代表選手とウイニングイレブンで対戦する機会も増えた。そこでさらに「リアルサッカーとサッカーゲーム」のつながりについて感じるところがあった。
ーゲームを通じて繋がった縁。後に、Jリーガーとも繋がっていったとお聞きしています。
はい。Nリーグで活動しつつも、リアルなサッカー選手に出会うのはまだまだ遠い話でした。サッカーの記事で代表選手が「合宿中もウイニングイレブンをやっている」という話や、「Jリーグの合宿中にも持ち込んでいる人がいる」という内容を読んだりして。すると「ウイニングイレブンってやっぱりすごいんだな」と思ったものです。

で、スキマスイッチとしてデビューして2〜3年目の2005年の秋ぐらいに音楽関係のスタッフから急に話しかけられたんです。前々から知っていた彼が「シンタさん、兄貴がすごくスキマスイッチを好きで。電話かけるんで、ちょっと喋ってもらってもいいですか」と。すごい面白いことを言うなと思いつつ「いいよ」と。「どんな兄貴なの?」と聞くと「Jリーガーなんですよ」と。「おおJリーガーなの?」となって。それまで自分はJリーガーに会ったことがなかったんで。
―どの選手でしょう?
「すごいね!誰?」と彼に聞くと「中村憲剛です」という。「あーあ、今年J2から上がった、川崎の」という話になり。ちょうど彼はその前の週に素晴らしいミドルレンジからのボレーシュートで決勝点を決めていたから、インパクトがあったんです。で、実際に電話口で話すと、緊張しつつもすごく喜んでくれて。

一緒にサッカーを見ましょう 、という流れから「そういえば、ウイイレとかする?」と聞いてみたところ、彼は「めっちゃしています」と。実際に僕の家に招いたのは、その翌々日でした。僕の音楽関係の先輩に「近いうちご飯を食べよう」という社交辞令が嫌いな人がいて。すぐにその場で約束をしていたんです。それに倣ってスケジュールを聞いたら、明日はダメだけど明後日ならOKという返事でした。
―彼のウイイレの腕はいかがでしたか?
めっちゃ強いんですよ。これまでNリーグで対戦した人のはるか上をいっていて。比じゃないんです。それこそ師匠よりもです。まったく相手にならない。0−6とかで負けるんです。で、見ていると華麗な技は一切使わないんです。当時、フェイント機能とか実装されていたんですけど使わない。しかもどのチームで戦っても強いんです。ゲームでなく、サッカーの知識で勝つんです。
―サッカーの知識で?
そうです。全ポジションの効果的な動き方を知っているので。「あ、やっぱりプロってすごいな」となりましたよ。こうしたら守れるし、こうしたら攻めることができるということを知っている。仮にこっちが個人技を駆使しても、全部取られるんですよ。そのことで「本当にサッカーのことをよく知っているんだな」と分かる。戦い方の指摘もしてくれるんです。どこがよくないという風に。
―自分も身に付けたい 。そう思いますよね。
師匠のてるおくんに続き、「一緒にサッカー見ながら、教えて」という話をして。そこから06年のワールドカップも一緒に見ました。ハーフタイムにウイイレをやって。20分あれば1試合できますから。そして試合が終わってまたウイイレをやるという。ちなみに彼にドイツワールドカップを見ながら、「ここに選ばれたらどうすんの?」なんて話をしたら「いやぁ、さすがに無理ですよ」とそのときは笑っていました。結局その1ヶ月後にはフル代表に選ばれるんですが。
―二人でかなりウイイレをやりこんでいる様子です。
多分、2〜3000試合くらいやっているでしょう。ただ、僕が勝ったのは20試合もないですよね。でも結果的にそこから輪が広がっていきました。佐藤寿人くんもそうですし。川崎フロンターレの別の選手ともやる機会も持つことが出来ました。選手のサッカー観が見えるのが楽しいですよね。

ちなみに現在はサガン鳥栖に所属している谷口博之選手は、リアルの世界ではボランチやセンターバックを務めるのですが、ゲーム上では自分自身をFWで使いたがっていました。ああ、攻撃が好きなんだなと。
―ウイニングイレブンをあまりやったことのない人に向けて、上達法を教えてください。常田さん風の楽しみ方。
ウイイレにはチュートリアル(練習モード)があるんですよ。それをまずやってみるといいでしょう。ものすごくよくできてます。パスやシュートの状況で「このボタンを押します」など教えてくれるんです。やっぱりコントローラーを持つと、すぐに試合をしてみたいと思うでしょうが、ウイイレをかなりやっている僕でも、新しいバージョンが出てきたときのチュートリアルは必ずやります。新機能もあるので。ボタンの加減も違ったりするんですよね。あと、やっぱり強くなりたかったら、人とやったほうが強くなると思います。
―人との対戦に加え、人が見ている前での対戦というのはメンタルが問われそうです。
Nリーグの話に少し戻ると、あの頃は20人弱が集まってやっていました。決勝となるとみんなが見ているわけですよ。緊張します。ヤジも飛ぶし。僕らはちゃんと選手の入場シーンからしっかり再生していました。自分が使う国のユニフォームを着て戦っていましたから。

人が見ていると、いつもやらないプレーをやるし、シュートも外してしまいます。代表の選手がゴール前でシュートを外しても「なんでだよ!」って言わなくなりましたよね。だって、自分たちもゲーム上でプレッシャーがかかって外すんだもん。
―見られてやることの難しさですよね。
家で一人、コンピューターとやっているのとは全然違いますよ。そう考えると、Jリーガーの方がウイイレをやる場合には「人が見ている」というのは意識しないかもしれませんね。当たり前に人前でやっているし。サッカ―って足でやるものという手前、ミスがあるのがある程度は当たり前だから、言い換えれば人前でミスをするところを見せなきゃいけないスポ―ツでもあるでしょう。なので、どう気持ちを切り替えられるのか。そのメンタリティがすごい選手こそが日本代表になるんだという見方もするようになりましたね。

それは憲剛を見ていても分かりますよ。とにかく負けず嫌いですし。そして彼も人にプレーを見られることについて、まったくもって慣れていると感じます。逆の発想でいえば「緊張の克服」にもゲームは役立ちうるということです。
―eスポーツはもう一つ、「見る」という側面もあります。どういう観点で見ると楽しいでしょうか。
僕自身、やっぱりスポーツが好きなんで、すごい技術を見ると感動するというのはありますよね。「職人技」は、僕自身もYouTubeで見ています。そのジャンルの人口=裾野が大きければ大きいほど、職人の希少価値が高まるものですし。例えば、リアル世界のサッカーがそうです。本当にすごい技術を持っている人は1億分の1だったりします。マイナーな世界のことだったら、100分の1かもしれない。ゲーム人口からの確率を考えると、ありがたみが噛み締められますよね。
―音楽に関わることをお聞きしたいです。ウイニングイレブンのゲーム音楽はどうご覧になっていますか?
最先端の、EDMと言われるエレクトリックダンスミュージックを主体に盛り込んでいますね。ビルボードランキングのトップからダーッと並べているんです。それがサッカーとの親和性が高い。それこそウイイレで聴いて「これいいな」と思って、購入することもたまにあります。2018年に亡くなってしまった、Aviciiとかすごく好きなんですけど、それが入っているとテンションも思い切り上がりますね。以前のウイイレでは、自分の好きな音楽をMP3に変換して、セッティングなどのシーンで流す機能がありました。試合中は出来ませんでしたが。そこでは自分の好きなアーティストの音楽を入れていましたね。もちろんスキマスイッチも入れていましたよ。

そうそう、僕にとって音楽のスタートはゲームミュージックでもあるんですよ。「ドラゴンクエスト」から入りました。中3の時、ドラクエの音楽をピアノで弾く友達を見て「あんな曲が自分で弾けるんだ」って。しかも男子が。当時、クラシックは特に好きじゃなかったし、しかもピアノも習っていなかったんですけどそこから憧れました。学生時代に影響を受けた音楽は、槇原(敬之)さん、ミスチル、スピッツ、そしてドラクエです!
―最後に、今後のeスポーツに期待したいことは?
誰でも参加しやすい、裾野が大きいという考え方ができるスポーツだと思うんですよね。だからどんどん輪が大きくなっていってほしいです。

スポーツは身体を使うもの、という固定観念もあるかもしれません。でも一般的に“スポーツ”と認識されている種目だって大きな幅があるでしょう。走るものがあれば、走らないものもある。身体をぶつけるものも、ぶつけないものもある。一方でチェスや将棋も「脳のスポーツ」と言われています。

僕、思うんです。「考えて、努力して、練習して、勝つ」という点においては同じじゃないかって。今ある一般的なスポーツの概念を少し緩めてあげて考えると、eスポーツもスポーツの一種と言えるのではないかと思います。

個人的に思うスポーツのポイントは、やっぱり「誰かと何かをする」というものですね。誰かと比べて、負けているから頑張る。勝っているから嬉しいしもっと勝ちたくなる。僕も小さい頃からスポーツをずっとやってきていますけど、やっぱり心身ともに大きく成長させてくれたなと思っています。

ちなみに「考えて、努力して、練習して、勝つ」という発想を幅広く適応させるというのは、音楽でも同じことです。僕も相方も、部活人なので。音楽を作っていても、アスリート的な感覚なんですよね。つい先日も二人で「練習」について語り合って。僕たちはライブを「試合」と言っています。そのライブの場で披露できる喜びと、お客さんがいるというプレッシャー。そこのところはスポーツと似ていると思っています。インスピレーションを作品に落とし込むというスピード感、ひたすら基礎練習をやるという点も、スポーツに近いですし。あるとき、大先輩のプロデューサーの方に、「キミたち、スキマスイッチの音楽はすごくスポーツ的なところがあるよね」と言われたことがあって。すごく嬉しかったんですよ。

eスポーツプレイヤー、あるいは幅広くゲームをやられる方にはぜひ「みんなでやってほしい」と思いますよ。一人でやる、例えばRPGのようなゲームもありますが、出来れば誰かと何かをやってほしい。コミュニケーションもとってほしい。それこそ僕自身、一人でゲームをやるときは練習だと思ってやっているところもあります。

僕の思う人類の生んだ2大文化は「音楽とサッカー」です。おそらく何億人が関わっているものに 一つは仕事として、一つは大いなる趣味として関わらせてもらっています。ゲームも実はそこに匹敵するものではないか。最近はそんなことも思っています。


インタビュー・文=吉崎エイジーニョ
写真=岸本勉(PICSPORT)
デザイン=桜庭侑紀
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