上京してからというもの、私の人生はパッとしない。

地元では「かわいいリカちゃん」と呼ばれ、散々もてはやされてきたけれど。

私程度の女なら、この街にくさるほど居るー。

地元を飛び出し、憧れの人気女性誌への入社を果たした秋吉りか子(29)は、自分の"無個性"にウンザリする日々を過ごしていた。

そんなある日、中途で採用された一人の女が、りか子の前に現れる。ムッチリとしたスタイルに、やたら身振り手振りの大きな帰国子女。

りか子が虎視眈々と狙っていたポジションを華麗にかっさらっていき、思わず嫌悪感を抱くがー。

まるで正反対の二人の女が育む、奇妙なオトナの友情物語。

人気女性誌「SPERARE(スペラーレ)」で編集長の秘書として働く秋吉りか子。りか子は、編集部のポジションを手に入れるため必死で努力をするが、突然現れた“小阪アンナ”と名乗るぽっちゃり女子に、そのポストを奪われてしまう。

そのうえ、冷徹な編集長とやけに親しげなアンナ。 そんな彼女に、りか子は底知れぬ嫌悪感を抱くが―。




「秋吉さん、一体これはどういうことなの。」

朝一番、デスクの前に立ち、氷の視線を私に向けているのは、「女帝」と呼ばれ社内でも恐れられている編集長の高梨涼子だ。

どうやら私は、また彼女を怒らせてしまったらしい。目を合わせることも出来ず、小さな声で「申し訳ございません」と言うだけで精一杯だ。

そこに、聞き覚えのある不愉快に明るい声が響く。

「What’s going on?」

すると、編集長は視線をそちらへ向け、やたらと能天気なその声の主に駆け寄る。

「アンナ!」

突然トーンの上がった編集長の明るい声に、めまいがしてしまいそうだった。

―また、あの子!

「アンナは気にしなくていいの。この子ったら本当に使えないのよ。」

編集長は困ったような笑顔を、その女"小阪アンナ"に向けると、私がすぐ隣のデスクで立ち尽くしているというのに、それを気にも留めず堂々と話を続けた。

「スケジュール調整もミスしてダブルブッキング、ただ持ってくるだけのゲラにもコーヒーをこぼして読めやしない。しかも、毎朝のチャイラテもショットの追加を忘れるなんて…。取り柄のない子がSPERAREで働けるだけありがたい話なのに。仕事もまともにできないの。」

編集長が私の方にチラリと目線を向けた瞬間、背筋が凍った。

しかし、ダブルブッキングはスケジュールを無視して勝手に編集長が入れた予定だし、そもそもゲラのコーヒーの染みは編集部が慌てて私に渡そうとしてマグカップをひっくり返してしまったからだ。チャイラテのショット追加も、店員が間違えただけのこと。

その責任を一手に引き受けなくてはいけないのかと思うと、たまらず叫び出したくなってしまう。

「oh, Ryoko-san…」

そんな事情を知らないアンナは、本当に"気の毒に!"というような顔をして、編集長に飛びつき熱い抱擁を交わしている。

それから彼女はくるりと向き直り、ガツガツと下品なヒールの音を響かせてこちらに詰め寄ってくる。

「そんな簡単なこともできないの?意味がわからないわ、個性もない女は黙って与えられた仕事をしていればいいじゃない。高望みするから、mistakeするんじゃないの?」

そう言って私を見上げるこの女は、勝ち誇った顔をしていた。

一体、私が何をしたというのだろう。自分の夢を目指して努力してきただけなのに。

なぜこうもあっさりと、よく知りもしない他人に、夢も希望も、今まで必死に積み上げてきた実績さえ奪われなくてはならないのだろうか。

気がつくと、大声で叫んでいた。

「何も知らないくせに、何なのよ!個性がなくて悪かったわね!あとその気持ち悪い“ミステイク”の発音やめてよね!!」



その大きな自分の声で、ハッと目が覚めた。

真冬だというのに寝汗をかき、ぜえぜえと呼吸は荒い。

「ゆ、夢だったの…?」

夢と現実の合間をさまよいながら頭を抱えていると、隣で小さな唸り声が聞こえる。

「何だよ、りか子…。土曜だぞ、頼むから寝かせてくれよ。」

その声で、ようやく現実に引き戻された。

「あっ、ごめんね、修一…。」

不機嫌な恋人が眠るベッドを見つめながら、私はため息をつく。

夢も現実も、今の私にとっては苦しいだけなのだ。


悪夢から目覚めたりか子だったが…


―ずいぶんリアルな夢だったわ…。

私は修一を起こさないようにベッドを抜け出すと、ドリップコーヒーをいれながらぼんやりと考える。

毎年、この時期の編集部は年末進行に追われ戦場と化すのだが、今年はどういうわけか和やかな雰囲気を保っていた。

時折、笑い声さえ聞こえる編集部のデスクを盗み見ると、小阪アンナがその中心にいた。初めて挨拶した日と同様に、まるで外国人のような大きい身振り手振りと大げさな喋り方が、ひときわ目立っている。

まだ入社して一ヶ月も経っていないのに、彼女はしっかりとSPERAREの編集部に馴染んでいたのだ。

その姿に、私は焦っていた。だからあんな夢を見たのだろう。

複雑な気持ちを抱えたまま、朝食の準備に取り掛かるのだった。



外資系コンサル企業に勤める修一とは、付き合って2年になる。

上京してすぐの頃、精一杯めかし込んで参加したお食事会。そこで出会ったのが、彼氏の安藤修一だ。

出会った当初は「東京に染まっていない」私を気に入ったようで、ずいぶん熱心にアプローチしてくれた。

付き合ってからはトントン拍子で、同棲する仲にまでなったというのに、そこから私たちの関係はずっと足踏み状態だ。

仕事も恋愛も中途半端なまま迎えてしまった、20代最後の冬。

―あの頃は、仕事も恋も順調だったのになあ…。

私のお気に入りの、リビングの窓から見下ろす表参道の景色。修一と暮らし始めた頃は輝いて見えたというのに、今は心なしか霞んでいる。




「どう?『目黒フラット』のミルクフランス、買ってきたのよ。コーヒーもクラシックフレンチに変えてみたの。」

修一は私の問いかけにイエスともノーとも言わず、スマホをいじりながらミルクフランスをかじっている。

久しぶりに気合を入れて用意した朝食も、丁寧に豆を挽いて淹れたコーヒーも、彼の心には響かないらしい。

最近はずっとこんな感じだ。一緒に出かけることも少なくなってしまい、彼にとってはただの同居人に成り下がってしまったのだろうか。

そんな不安を振り払うように、私は話題を変える。

「修一、年末どうするの?」

「ああ。俺は一応、実家に帰るよ。」

長期休みのたびに予定を確認するけれど、そこに私が同行することはほとんど無い。その行き先が彼の実家ならなおさらだ。

「ねえ、今年は私もご挨拶に行こうか?もう一緒に住んで2年になるんだし…。」

決して重たくならないように、軽い口ぶりで提案したつもりだった。しかし、そのことを私は3秒後に激しく後悔することになる。

「…いや、そういうの面倒だからいいよ。」

「面倒」という一言で片付けられてしまえば、それ以上は何も言えなかった。

「りか子も、年末は地元に帰ってくれば?」

今年も、この関係を進展させることも終わらせることも出来ないまま、新年を迎えなくてはならない。そのことだけが明確な現実として突きつけられた。

ため息とともに、私はブラックコーヒーを飲み干すのだった。


失意のなか訪れた地元で、目の当たりにする女の嫉妬


「ほーんと、りか子ってエライよね。」

そんな呑気な事を言っているのは、地元の幼馴染・美香だ。

結局、修一の「実家にでも帰れば?」という言葉通り、私は新年を地元の鎌倉鶴岡八幡宮で迎えることになってしまった。

久しぶりに再会した美香と2人で歩く若宮大路は、大晦日のため、真夜中だというのに信じられないほどの人で溢れかえっている。

「そんなこと無いよ…。普通に働いてるだけだもの。」

「なーに言ってるの!」

ここから先は、里帰りのたびに繰り返されるいつもの会話だ。両親も、幼馴染も、口をそろえて同じことを言う。

「地元を出て、東京で働いて、しかも人気雑誌の編集部!秘書なんて誰にでも出来る仕事じゃないでしょう?羨ましいなぁー。」

美香の言葉に私は愛想笑いを浮かべ、小さな声で「ありがとう」と告げる。

私が、安定安泰の百貨店勤務を捨てて選んだ仕事は、三ヶ月更新の契約社員。しかも、仕事内容はただの雑用だなんて、美香は微塵も思っていないのだ。




「昔から、りか子って"真面目な努力家"だよね。ほんと尊敬しちゃう。」

ふと、美香が無邪気な笑顔で私を覗き込む。目尻を目一杯下げて、まるで作り物のような笑顔で。

「ずっと地元を離れない私とは、大違い。」

美香の実家は小町通りから一本裏道に入ったところにある、老舗の和菓子屋だ。一人っ子の美香には、実家を継ぐ以外に選択肢などなかったのだ。

「覚えてる?高校の時、卒アルに"将来の夢"書かされたの。」

「あー、あったね。懐かしい。美香は実家を継ぐ、だったよね。」

あの頃は全てがキラキラと輝いていた。今みたいに誰かを妬んだり、思い通りにならない現実に振り回されたりせず、ただまっすぐ、自分の進むべき道を歩いていたのに。

卒業アルバムに「エディター」と書いたあの頃。遠回りしているけれど、それでもどうしても諦めることが出来ない編集者への道。

あと少しで手に入れることができたはずだったのに。あの女さえ、いなければ。

「あ、そうそう。私、来年結婚するの。」

「え!?そうなの?」

八幡宮の鳥居をくぐると、美香はそれを見上げながらおもむろに結婚報告をした。ふと左手の薬指を見れば、ダイヤモンドが眩しすぎる輝きを放っている。

「式の招待状送りたいんだけど、住所変わってない?」

「う、うん。南青山のままよ。」

私がそう答えると、美香は少しだけ意地悪く「ふうん」と言って微笑む。

「ねえ、りか子。」

「あんたってさぁ、高校の時の夢、結局叶えられたの?」

そう言って、ニヤリと笑みを浮かべる美香の顔が、私には醜く歪んで見えてしまった。

遠くでは除夜の鐘が、鳴り続けている。

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